第139話 覇王vsラファエ
サーシャの別荘に戻ると、アスタ達はずぶ濡れの僕を驚きの表情で迎えてくれた。外に出てラファエを探し回ってみたが見つからなかったと嘘の報告をすると、皆はすんなり納得してくれた。結局皆の間では〝ラファエは自分の家に帰った〟という結論に至り、捜索は打ち止めとなった。
そして夜になり、皆が寝静まった頃。僕は部屋のベッドに仰向けになり、特に何もすることなく天井を見つめていた。夕方まであれだけ降っていた雨も今はすっかり止み、雲の間からは星々が顔を覗かせていた。
「……そろそろ行くか」
僕は呟き、ゆっくりと身体を起こした。まさかキエルよりも先にラファエと戦うことになるとは……。いや、そもそもラファエと戦うこと自体想定していなかった。
ラファエと戦わないという選択肢は、最初から僕の中に存在しなかった。戦いを挑まれた以上、誰であろうと正面から受けて立つ。それが覇王としての僕の矜持だ。
だが、この戦いは従来のものとは違う。今までは圧倒的な力で相手を蹂躙するだけの戦いだった。
この戦いは――相手を〝救う〟為の戦いだ。
「!」
部屋を出ると、そこには廊下の壁にもたれて腕を組むサーシャの姿があった。
「……行くのか」
全てを理解したような顔で、サーシャはそう言った。【未来予知】でこうなることが分かっていたのか、はたまた【千里聞】で僕とラファエの会話を聞いていたのか。
「……ああ」
しかしそんなことは聞くだけ野暮だと思い、僕はそれだけ返事をした。
「……そうか」
サーシャもそれだけ返すと、後は何も言わなかった。
普通の人ならここで〝頑張れよ〟とか〝勝てよ〟といった気休めの言葉を掛けるのだろうけど、サーシャだしな。そんなことを思いながら、僕はサーシャの前を通り過ぎていった。
☆
「さて……」
ユートがサーシャのもとから去った後のこと。サーシャは窓の外に目を移し、近くにそびえ立つ山の頂上を静かに見据える。まるで獲物に狙いを定める狩人のように。
「私は私の役目を果たすとしようか……」
そう呟くと、サーシャは静かに歩き出した。
☆
別荘を出た僕は、人間の姿のまま自分の足でラファエの待つ荒野へ向かう。【瞬間移動】を使わないのは、この間に自分の気持ちに整理をつけておきたかったからだ。
おそらくラファエは全力で僕を倒しにくるだろう。セアルへの罪滅ぼしのため、そして自身の中に渦巻く後悔の念を消し去るために。
これまでのラファエの様々な言葉や表情が、僕の脳裏に浮かんでは消える。もしかしたらラファエとは分かり合えるかもしれないと思った。だが結局それは、僕の独り善がりだったのだろうか――
夜の闇の中を歩くこと数分、僕は荒野に到着した。その中央には僕を待ち構えるラファエの姿があった。その目からは強い覚悟がハッキリと伝わってくる。
「……やはり来ましたね、ユートさん」
どこか頼りなかった雰囲気のラファエは、もうそこにはいない。それは紛れもなく一人の戦士の風格だった。
「……最後に一つだけ聞いておく。本気で僕と戦うつもりなんだな?」
「僕の意志は変わりません。僕は貴方を――倒す!!」
ラファエの全身から迸る威圧感に、一瞬気圧されそうになる。これが七星天使としてのラファエの姿……!!
「では始めましょうか、ユートさん。いや――覇王!」
「……ああ」
ならば僕も覚悟を決めて闘うしかない。それがラファエを救うことに繋がると信じて。
「呪文【火炎激流】!!」
ラファエの右手から放たれた炎が、文字通り激流のように僕に向かってくる。僕は冷静に、右手の人差し指と中指に力を込めた。
「〝破滅一閃〟!」
その二本指を右下から左上へ勢いをつけて振り、それにより発生した風圧で炎の打ち消しを狙う。
「なっ……!?」
驚嘆の声は僕のものだった。ラファエの炎は風圧を物ともせず、ほとんど勢いを殺すことなく僕の身体に襲い掛かった。
この炎の威力、以前『七星の光城』で対峙した時はまるで違う。あの時のラファエには本気で僕と戦う意志はなかったのだから当然と言えば当然だが、イエグの【蜘蛛金糸】を容易く断ち切った〝破滅一閃〟がまるで通用しないのは予想外だった。これが覚悟の差というやつか。
もし昼間のような大雨が続いていたら、ラファエの呪文がここまでの威力を発揮することはなかっただろう。どうやら天気の神様はラファエの味方をしているようだ。
「どうした!? 何故覇王の姿で戦わない!?」
そう言い放ち、ラファエは再び【火炎激流】を繰り出した。僕は横に跳んでかわすと同時に、右手の拳を強く握りしめる。
「〝破滅一撃〟!」
ラファエとの距離を詰めて拳を叩き込むべく、僕は地面を蹴って一直線に突き進む。
「呪文【火炎壁】!!」
しかし炎の壁の出現で視界からラファエが消え、反射的に僕は足を止める。次の瞬間、背後に気配を感じて身体を反転させると、至近距離にラファエの姿があった。この一瞬で僕の背後に回り込むとは……!!
「呪文【火炎剣】!!」
ラファエの右手に炎の剣が握られ、僕の腹部を斬り裂いた。炎で生成された剣にもかかわらず、まるで実際の剣に斬られたような感覚に襲われる。僕は素早く後方に跳び、ラファエとの距離をとった。
「常人なら真っ二つになっていたところですが……流石ですね」
ラファエは感心したように呟くが、その表情は変わらない。
僕は斬られた腹部に目を移す。HPはそれほど削られていないものの、服の方はしっかりと引き裂かれていた。
イエグと『邪竜の洞窟』で戦った時は、呪文を一度も使うことなく、終始人間の姿のまま圧倒することができた。しかしどうやら今回の相手はそうはいかないようだ。呪文なしで圧倒するのは難しいと、僕の本能も告げていた。
「さあ、早く本気を出せ!! ウリエルさんやセアルさんのように、この僕も殺してみろ――覇王!!」
ラファエが三度目の【火炎激流】を放つ。炎の範囲は更に拡大し、もはやかわす余地もない。その派手な攻撃に対し、僕は静かに右手を前に出した。
「呪文【絶対障壁】!!」
僕は目の前に障壁を出現させる。その障壁は炎を完全に防ぎ、僕の周囲だけを焼き尽くした。
「……失敬した。どうやら余は貴様の覚悟を甘く見すぎていたようだ」
その口調は既に阿空悠人のものではない。呪文を発動したことで【変身】が解除され、僕は初めてラファエに覇王の姿を晒した。
「ようやく化けの皮を剥がしましたね、覇王……」
凄惨な笑みを浮かべながら、ラファエは覇王としての僕の姿を見据える。僕は右腕を水平に大きく振り、周囲に燃え盛る炎を掻き消した。
「ここから先は覇王として、貴様の相手を務めるとしよう」