第128話 決闘の約束
キエルさんは迷いのない足取りで大通りを進み、その後を僕がこっそり追いかける。
まさかこの僕がおっさんのストーカーをする羽目になるとは。でも呪文を使ったら【変身】が解除されてしまうし、他に方法はない。
そして尾行すること数分。気が付けば僕は人気のない町外れまで来ていた。一体キエルさんはどこに向かって――
その時僕の脳裏に一つ予感がよぎる。まさか……。
「!」
突然キエルさんは足を止める。そしてこちらに背中を向けたまま、キエルさんは虚空に向けてこう言った。
「そろそろ姿を見せたらどうだ、覇王」
「……やっぱりバレてたか」
観念した僕は建物の影から姿を見せた。僕がキエルさんの気配を察知できたのなら、その逆が成り立っても何ら不思議ではない。僕は改めて周囲に人の気配がないことを確認した後、【変身】を解除し、覇王の姿に戻った。
「七星天使である貴様が、こんな所で何をしている? バイトの帰りか?」
僕が問いを投げると、キエルさんは身体を僕の方に向けた。
「なに。今し方、数多の戦場に別れを告げてきたところだ」
「……全てのバイトを辞職してきた、ということか」
キエルさんは沈黙で答えを返した。同時にキエル語を自然と理解できるようになっている自分に少し驚く。
「あれほどバイトに心血を注いでいた貴様が、どういう風の吹き回しだ?」
「今までの俺は無意識に真の居場所と己の信念を求め、様々な戦場を渡り歩いてきた。だがようやく信念を見出した今、もはやその必要はなくなった」
「……ほう?」
雑貨屋での会計や公園での風船配り等のバイトをやっていた裏にはそんな心情が潜んでいたのか。なんかちょっとズレてるあたりがキエルさんらしいけど。
「お前が俺を尾行していた目的は察しがついている。おおかた『魂の壺』に関する情報を得る為だろう?」
「……その通りだ」
誤魔化してもしょうがないので、僕は素直に認めた。
「『魂の壺』は今どこにある?」
「簡単に教えると思うか? と茶を濁してもよかったが、その壺は俺達の新たな拠点に安置してある」
やはり現在『魂の壺』はキエルさん達の手中にあるようだ。
「セアルの亡き今、貴様達にとってその壺は無用の長物と化したはずだ。にもかかわらず何故未だにそれを手元に置いている?」
「…………」
「余に世界を滅ぼす気などないことは貴様もよく分かっているだろう。もはや貴様には我々を敵視する理由はないはずだ。人間共の魂を解放するのに一体何の弊害がある?」
「……面白いことを言うものだな。ウリエルを、イエグを、そしてセアルを葬ったお前達を敵視する理由がないと?」
悽愴な笑みを浮かべてキエルさんは言った。
「勘違いしているようだから言っておく。確かに俺とお前はかつて戦場を共に生き抜いた戦友だ。だが決して俺はお前の味方になったつもりはない。お前が――覇王が七星天使の宿敵であることに変わりはないのだからな」
反論の余地はなかった。もし僕が逆の立場だったら、仲間を殺されて黙っておくことなどできるはずがない。キエルさんは更に言葉を続ける。
「『七星の光城』でお前と対峙した時に交わした言葉、覚えているか?」
「……ああ」
あの時僕は「できれば貴様とは戦いたくなかった」と本音を漏らし、キエルさんもそれに同意していた。その後エリトラにキエルさんの相手を託したので、結局戦うことはなかったが。
「だがあの時とは違う。今の俺には貴様と戦いたいという確固たる意志がある」
「……それは仲間の仇を討つ為か?」
僕の問いに、キエルさんは小さくかぶりを振る。
「前にも言ったが、仲間の仇討ちという理由で雌雄を決するのは俺の主義ではない。でなければウリエルが殺された時点でそうしているはずだ」
「では、何故余との戦いを望む?」
「……それが、セアルが俺に託した〝願い〟だからだ」
キエルさんは自分の右手を見つめた後、それを静かに握りしめる。
「あいつとは幼馴染みでな。俺が七星天使になったのも無理矢理あいつに引き入れられたからだ。思えば随分と振り回されたものだが、俺の半生を語る上であいつの存在は欠かせないものになっている」
どこか懐かしむようにキエルさんは言った。
「……そのセアルの願いを成就させることが、貴様の〝信念〟というわけか」
「そういうことだ」
今のキエルさんを突き動かしているのは、亡きセアルから託された願い。一緒にバイトをしていた頃とは明らかに雰囲気が違っていた。
「と言っても、それは理由の七割に過ぎないがな」
「……ほう。残りの三割は?」
「至って単純な道理だ」
不意にキエルさんに笑みをこぼす。
「俺の血肉が叫んでいる……貴様と極限までの死闘を繰り広げたいと。そう、これはいわば戦士としての本能だ。あのセアルを倒した貴様の実力がどれほどのものか、この肉体が試してみたいと疼いて仕方がない」
先程までとは打って変わって、キエルさんの目は少年のように熱く燃えていた。これぞまさしく僕が知っているキエルさんだった。
「お前を人気のない場所まで誘導した理由、分かるな? 人間の魂を取り戻したければ、この場で俺を倒してみせろ。それができたなら『魂の壺』はくれてやる」
「!」
「さあ、どうする覇王。俺からの挑戦、受けるか受けないか」
僕にも無意識に笑みがこぼれる。キエルさんが『魂の壺』を手放さなかったのはそういうことか。仮にその条件がなかったとしても、ここまで言われて引き下がっては男が廃るというものだ。
「その言葉に偽りはないのだろうな?」
「無論だ。戦士に二言はない」
「……いいだろう。だが余にも背負っているものがある。悪いが手加減なしでいかせてもらうぞ」
「そうでなくては困る」
ただならぬ雰囲気がこの場を支配し始める。ついにこの時が来た。キエルさんと決着をつける、この時が。そして戦いの幕が切って落とされようとした、その時――
「ユート! どこにいるの!? ユート!」
遠くの方から一つ声が聞こえてきた。この声は……セレナ!?
まずい、セレナに覇王の姿を見られるわけにはいかない。僕はすぐさま【変身】を発動し、人間の姿になった。
「あっ! やっと見つけた!」
程なくしてセレナが現れ、僕のもとに駆け寄ってきた。
「ど、どうしてセレナがここに?」
「それはこっちの台詞よ! なかなか帰ってこないから心配になって探しちゃったじゃない! こんな所で何してるの!?」
「えっと……」
僕が返答に困っていると、キエルさんは小さく息をついた。
「今日のところは見送った方が良さそうだな」
キエルさんは僕に背を向けた後、更にこう続けた。
「五日後、〝始まりの地〟にて待つ。その時に雌雄を決しようではないか」
始まりの地。それは僕とキエルさんが最初に出会った雑貨屋を指しているのだろう。
キエルさんは虚言を弄するような人ではない。五日後、そこに行けば必ずキエルさんは僕を待ち構えていることだろう。
「分かったよ、キエルさん。いや……キエル」
「……それでいい」
最後にキエルはもう一度、僕達の方に目を向けた。
「それはお前の恋人か?」
「……ああ」
「……そうか。大事にしろよ」
そう言い残し、キエルは悠然とこの場から去っていった。
「ユート、誰なのあの人?」
不思議そうに僕の顔とキエルの背中を交互に見るセレナ。僕はセレナに笑いかけ、こう言った。
「ただのバイト仲間のオッサンだよ」