第127話 強力な気配
「……ここまで来れば大丈夫かな」
ある程度町の大通りを突っ走った後、僕とセレナは足を止めた。
「ユート、さっきは助けてくれてありがとう。でも……」
「ああ、ちょっとやりすぎたよな。反省してる」
少しばかり覇王としての僕が表に出てしまった。【弱体化】でステータスを下げていたにもかかわらず、ちょっと片手で押しただけであんなに吹っ飛ぶとは。僕は改めて己の強大さを思い知った。
「ところでセレナ、さっきはなんで突然あんなことをしたんだ? その、僕に胸を押し付けたり……」
再びセレナの顔が真っ赤になる。
「そ、それは、だって……」
しばらくモジモジした後、セレナは静かに口を開いた。
「……ねえ、ユート。ユートの傍にはいつも複数の女がいるって本当なの?」
「ぶっ!?」
僕は噴き出した。確かに僕の近くには常にアンリを始め、ユナやペータ、リナなどの女の子がいる。しかし断じて疚しいことはしていない。
「そ、そんなこと誰から聞いたんだ!?」
そう、一番の問題はそこだ。考えられるのは僕の正体を知っているサーシャとリナのどちらかしかいないが、リナがセレナにそんなことを言う可能性はゼロに近い。
となると犯人はサーシャしかいない。うん、絶対サーシャだよ。いかにもそういうこと言いそうだし。
「……スーから聞いたの」
「え?」
予想外の名前が出てきたので、僕は呆気にとられた。どうしてスーが……まさか!?
「スーがユートを観察してたら分かったんだって。ユートから複数の女のニオイがするって」
「……まじか」
一瞬スーに僕の正体がバレたのかと思って焦ったじゃないか。にしても観察しただけでそこまで見抜くなんて、恐るべしスーの洞察力。
「ま、まあ、僕の周りに何人か女の子がいるのは確かだけど、手を出したりとかは絶対ないから!」
「うん……分かってる。アタシもユートの生活環境をとやかく言うつもりはないわ。でも……」
セレナはスカートをきゅっと握りしめる。
「いつかユートが誰かに奪われて、アタシから気持ちが離れていくんじゃないかと思ったら、急に怖くなって。だから、このデートではもっと積極的になろうと思ったの」
「それで、あんなこと……」
小さくセレナは頷いた。僕としては嬉しかったのは間違いないけど、無理してまであんなことをしてほしいとは思っていない。自然体のセレナが一番だ。
「大丈夫、そんな心配はしなくていい。だって……」
咳払いを挟んだ後、僕は言った。
「僕にはもう、セレナしか見えてないから」
「……ほんと?」
「あ、ああ。だから無理して積極的になる必要なんてない」
体温が凄いスピードで上昇していくのが分かる。やばい、めっちゃ恥ずかしい。まさか僕がこんなキザな台詞を口にする日が来るとは……。
「ところでユート、その……」
セレナが斜め下に目をやる。その時僕はようやく、セレナの左手をずっと握ったままだったことに気付いた。
「っと、ごめん。迷惑だったよな」
「あっ、いいの!」
僕が手を離そうとしたところ、セレナが強く握り返してそれを阻止した。
「……さっきも言ったけど、無理する必要は――」
「ううん、違うの。これは、その……。アタシがこうしていたいの」
ほんのり頬を染めながらセレナは言った。その表情に僕の心臓は見事に打ち抜かれたのであった。
僕とセレナは手を繋いだまま、町の大通りを散策する。ようやくデートっぽくなってきた気がする。買い出しに来たという目的を忘れそうになるくらい、僕はセレナとの時間を楽しんだ。
――デートで良い雰囲気になったところで、それとなく夜のお誘いをするんだ。
ふとサーシャの言葉が脳裏をよぎる。あの時はいつもの悪ふざけとして聞き流していたが、今の雰囲気なら……イケるかもしれない。
「な、なあ、セレナ」
「なに?」
やばい、いざとなると緊張してきた。額から変な汗が流れ、心臓の音がやけにうるさく感じる。やっぱり今日のところはやめておくか……?
いや、覇王という立場上セレナとはいつでも会えるわけじゃないんだ。この機会を逃しては駄目だ。男を見せろ、阿空悠人!
「……今夜、セレナの部屋にお邪魔していいか?」
僕は勇気を振り絞り、そう声に出した。やや遠回しな表現だが、セレナにはしっかり伝わったらしく、その顔はみるみるうちに紅潮していく。
セレナの手の力が少しだけ強くなる。沈黙の後、セレナは僕と目を合わせないようにしながら、ギリギリ聞き取れるくらいの声量でこう言った。
「……勝手にすれば」
それは紛れもなく、セレナからの〝OK〟という意思表示だった。拒否されることも覚悟していたけど、これはセレナにもそういう欲求があったということだろう。これで今夜ついに僕は童貞を卒業し――
「!!」
僕は歩みを止め、後ろを振り返った。この気配は……!!
「……どうしたの?」
まだ顔を赤くしたまま、セレナが僕に聞いてくる。しかし僕はそれに答えず、注意深く周囲を見回す。
間違いない。近くに七星天使がいる。
この世界の環境にだいぶ身体が馴染んできたせいか、今の僕は転生したばかりの頃に比べると気配を敏感に察知できるようになっていた。それが誰のものか分かるほど鋭敏ではないものの、この強力な気配は七星天使以外に考えられない。キエルさんか、ミカか、ラファエか、はたまたガブリか。
「ユート、本当にどうしたの? 恐い顔しちゃって……」
「……ごめんセレナ。少しだけここで待っててくれないか?」
「えっ? なんで?」
「個人的な用事を思い出した。大丈夫、すぐ戻ってくるから」
「ちょっ、ユート!?」
僕はセレナから手を離し、気配のする方に向かって走り出した。
デートを途中でほっぽり出すなんて男として論外だが、僕の勘が正しければ現在『魂の壺』は七星天使の手中にある。だったら見過ごすわけにはいかない。
「!」
気配を追うこと数分、僕の目が一つの後ろ姿を捕捉した。あの大きな背中を見たら一発で分かった。あれはキエルさんだ。
バイト帰りか? それとも他に何か目的が? どちらにせよキエルさんが『魂の壺』について何か知っている可能性は高い。
僕はキエルさんに声をかけようと歩き出した――が、すぐに思い留まった。
もう僕とキエルさんは以前のようなただのバイト仲間ではない。十日前、僕は四滅魔と共に『七星の光城』を攻め、キエルさん達のリーダーであるセアルをこの手で殺めている。一体どんな顔でキエルさんの前に現れたらいいのか。
かと言ってこのまま何もしなければ『魂の壺』の情報を得るチャンスをみすみす見逃すことになってしまう。こうしている間にも、キエルさんの背中はどんどん遠くなっていく。
色々と考えた挙げ句、ひとまず僕はキエルさんを慎重に尾行することにした。