第116話 セアルの遺言
「安心しろ、手加減はした。この程度の一撃で沈むほど脆弱ではないはずだ」
「……ゴホッ、ゲホッ」
口から流れ出る血を拭いながら、ゆらりと起き上がるガブリ。そして怒気を宿した眼光でキエルを睨みつける。
「キエルてめえ……リーダーの俺様によくも……!!」
「悪く思うな。何かしでかしそうになったら殴ってやれとセアルから言われていたものでな」
「けっ……そりゃ随分とはた迷惑な遺言だなぁ……」
ペッ、とガブリは口の中に溜まった血を吐き捨てる。
「お前が何を企もうと知ったことではないが、強引に他の者を巻き込むのはやめろ。ラファエがお前に協力することはない。それは俺も同じだ」
「ほぉう? リーダー様の命令を無視するってのか?」
「先程からやたらとリーダーであることを強調するが、そんな肩書きだけで俺達を従えられると思うな。どうしても言うことを聞かせたいのなら、力ずくで屈服させてみろ」
その瞬間、ガブリの口の端が大きく歪んだ。
「上等じゃねーか。俺より席次が上だからって調子に乗ってんじゃねーぞ……!!」
互いに睨み合うキエルとガブリ。今にも激しい戦闘が始まりそうな雰囲気。しかしガブリは肩の力を抜き、かぶりを振った。
「あー、やめだ、やめやめ。テメーとやり合ったところで得られるものなんざ何もねえ。ただの時間の無駄だ」
ガブリは歩き出し、キエルの横を素通りして城の入口の方に向かう。
「どこに行く気だ?」
「んなもん俺の勝手だろーが。考えてみりゃ俺達が足並みを揃える必要なんざどこにもねえ。俺は俺のやりたいようにやらせてもらうぜ」
そう言い捨て、ガブリは城から去っていく。一人この場に残ったキエルは大きく溜息をついた。
「セアル……曲がりなりにも皆をまとめ上げていたアイツの器量に今更ながら感服させられる……」
キエルは改めて『魂の壺』に目をやる。ガブリが去った今、この壺を破壊するのは容易なことだ。しかしキエルはガブリの言い分にも一理あると考えていた。
確かに今まで人間の魂狩りに全く関わってこなかった自分に、この壺をどうこうする資格はない。それにセアルがこの壺を遺した意図を汲み取れないまま破壊するのは、キエルには些か躊躇われた。かと言ってラファエの気持ちを無下にするわけにもいかない。
どうしたものかと迷っていたところ、キエルはふとあることに気付いた。壺の表面、その一部が赤く変色していたのである。
「あれは……」
目を凝らすキエル。明らかに何らかの呪文があの部分に施されている。そしてキエルにはその呪文に覚えがあった。
あれは【声音記録】という呪文。無機物の一部に自分の声を記録するというもの。キエルは幼い頃にセアルとこの呪文で遊んでいた。
もしやと思いながら、キエルはその部分にそっと手を触れてみる。すると――
『ラファエ、ミカ、ガブリ、そしてキエル。この声はワシ――セアルが七日前に記録したものじゃ』
キエルにとって馴染み深い声が再生させる。キエルが予見した通り、それはセアルが遺したメッセージだった。
『お前達がこれを聞いている頃には、ワシは覇王に敗れこの世から消えておるじゃろう。だから遺言と思って聞いてほしい』
お前達、と言うからには皆で聞いていることを想定して記録されたものだろうが、生憎この場にはキエルしかいない。キエルは引き続きセアルの声に耳を傾ける。
『まずはお前達に謝らなければならない。人間の魂狩りを決行したのはワシの意志によるものだった。しかしワシは心のどこかで、そのことをずっと後悔していた……』
それは偽りなど全くない、セアルの本心だった。
『何かを成し遂げるには犠牲が必要……ワシはそう自分に何度も言い聞かせた。だが結局最期の最期まで、この後悔が払拭されることはなかった。そんな気持ちのまま、ワシは魂狩りを続けていたわけじゃ。七星天使のリーダー失格じゃな……』
「…………」
無言で腕を組むキエル。昔からセアルのことを知っているキエルにとって、この独白はさほど衝撃ではなかった。むしろ「やはりそうだったのか」と納得すらできた。
しかしキエルはますます分からなくなる。ならば何故セアルはこの壺を遺したのだろうかと。その答えは音声の続きの中にあった。
『さて。いつまでもワシの悔恨話など聞かされても面白くないじゃろうし、ここからが本題じゃ。ワシが死ねば【魂吸収】を使える者がいなくなり、これ以上人間の魂を集める手段はなくなる。よってこの壺も無用なものになったと思うだろう。だが……』
ここで一旦セアルの声が途絶える。おそらく伝えるべき内容かどうか迷っているのだろう。そして短い沈黙の後、セアルの音声は再開された。
『だが、現段階でも幻獣を復活させる方法は既に存在している』
「……なに?」
思わず目を見開くキエル。それからセアルの音声はキエルにその方法を伝えた。
「……なるほど。確かにその方法ならば幻獣を復活させることができる……」
キエルは重々しく呟いた。幻獣の復活に必要な人間の魂は1000。今ある人間の魂は500。一見幻獣の復活は不可能になったと思えるが、セアルが伝えた方法を用いれば幻獣の復活は可能になる。
『しかしとてもじゃないが、このやり方は推奨できるものではない。だからこれはあくまで最終手段としてほしい』
ガブリがこの場にいないのは幸いだったとキエルは思った。ガブリならば迷わず実行に移しかねないからだ。
『この壺をどうするか、それはお前達で決めてほしい。死人の言うことに従うのも癪じゃろうしな。今すぐ破壊するもよし、何かの交渉材料に使うもよし、最後の切り札として保持しておくのもよしじゃ』
キエルはようやく、セアルがこの壺を遺した意図を理解した。
『最後に一つだけ。必ずや覇王を滅ぼしてほしい。ワシの復讐の為などではなく、世界の未来の為に。では、さらばじゃ……』
そこでセアルの音声は終わった。キエルの口元に小さな笑みがこぼれる。
「己の死を前にしても、世界の平穏を願うか。なんともアイツらしい……」
しかしセアルのメッセージを聞いた後でも尚、キエルはこの壺の処遇について判断しかねていた。果たしてどの選択が最善なのか。そもそもキエルは、覇王がこの世界の平穏を脅かす存在になる可能性は限りなく低いと考えていた。
だが、そこでキエルは思い出す。セアルが残した願いを叶えること、それが自分の信念であったと。
「ここは運命とやらに選択を委ねてみるのも、また一興か……」
キエルは『魂の壺』を残したまま、静かにこの場を後にした。