第114話 キエルの過去
覇王及び四滅魔と七星天使の第一次戦争から七日が経過した。
ここは天空の聖域。崩壊した『七星の光城』から数十km離れた所に、一つの小さな城が建っていた。
それはキエルが【創造】の呪文で生成した城であり、キエル達はそこを新たな拠点としていた。ただし【創造】で生成できる大きさには限界があるので、規模は『七星の光城』の10分の1にも満たない。
その一室では、目を細くして窓の外を眺めるキエルの姿があった。キエルは今、亡きセアルと遠き日に交わした言葉を思い起こしていた。
☆
これは二人がまだ幼い頃の話。穏やかな気候の中、幼馴染みの二人は雲の上を仲良くお散歩していた。
「キエル! お前の将来の夢は何じゃ!」
セアルは無邪気な顔で、隣りを歩くキエルに尋ねる。
「……唐突だな。そんなことを聞いてどうする?」
「いいから答えるのじゃ! どうせお前のことだから将来のことなど何も考えておらんのじゃろう?」
「そんなことはない。俺にだってちゃんと夢はある」
「ほう! どんな夢じゃ!?」
興味深そうにセアルは目を輝かせる。
「しっかり働いて、しっかり食べて、しっかり寝る大人になる。それが俺の夢だ」
「なんじゃそりゃ! そんなの誰もが当たり前にやっとることじゃろう! それを夢とは言わん!」
「……そう言うお前には、夢はあるのか?」
「ある!」
腰に手を当て、胸を張るセアル。それからビシッと上の方を指差した。
「それはズバリ! 天使達のトップに立って、世界の平和を守ることじゃ!」
「……これはまた大きく出たな。世界というのは地上も含めるのか?」
「もちろんじゃ! 地上もこの天空の聖域も、全ての平和はワシが守ってみせる!」
「なるほど。つまりお前は絵本に出てくるようなヒーローになりたいわけか」
キエルがそう言うと、セアルはうーんと喉を唸らせた。
「そういうヒーローとはちょっと違うのう。ワシはもっとこう、悪を倒す為なら悪にでもなる、みたいなのに憧れるのじゃ!」
「……変わってるな」
「お前にだけは言われたくないわ! しかし本当にお前には将来の夢はないのか?」
「それはさっき話しただろう」
「だからそれを夢とは言わないのじゃ!」
するとセアルは何かを思いついたような顔をした。
「だったらワシがお前の夢を決めてやろうではないか!」
「……夢は他人が決めるものではないだろう」
「ええいうるさい! ではお前の夢を発表するぞ!」
コホン、と咳払いをするセアル。
「ワシのお願いを何でも聞けるようになること! 今日からそれがお前の夢じゃ!」
「……随分とお前に都合の良い夢だな」
「異論は認めんぞ! お前は一生ワシの傍にいて、一生ワシのお願いを聞くのじゃ! いいな!」
「……それは遠回しなプロポーズか?」
「なっ!? ち、違うわ馬鹿者!」
「ぐおっ!?」
セアルは顔を真っ赤にしながら、キエルの背中を蹴り上げたのであった。
☆
回想を終えると、キエルの表情に自然と小さな笑みがこぼれた。
「思い出したよ、セアル。俺には夢があった。お前が与えてくれた夢がな……」
キエルは自分の右手を見つめる。最後に握りしめたセアルの手の感触が蘇る。
「お前が残した願いをこの手で叶える……。それを俺の信念としよう」
強く右手を握りしめるキエル。それは信念など何もなかったキエルに、初めて信念が芽生えた瞬間だった。
それから少し経った後、部屋のドアを二回ノックする音がした。
「誰だ?」
キエルが言葉を返すと、静かにドアが開いた。それはラファエだった。
「下級天使から報告が入りました。ここから5kmほど離れた場所で『魂の壺』を発見したそうです。もう間もなくこの城に運ばれてくると……」
「……そうか」
キエルは再び窓の外に目を向ける。
「セアルの奴、俺達にも内緒で『魂の壺』を隠していたとはな。俺達に何か一言あったら捜索する手間も省けたというのに」
「…………」
ラファエは無言で俯き、唇を噛みしめる。
「セアルのこと、まだ責任を感じているのか?」
「……はい」
か細い声でラファエは返事をした。ラファエは自分が覇王と対峙した際、まともに戦いもせずに覇王をセアルの所まで通してしまったことを、今でも悔やんでいた。
「あの時、僕はセアルさんよりも人々の魂を優先してしまいました。僕が覇王を止めていたら……セアルさんは……セアルさんは……!!」
悲しさと悔しさでラファエの身体が震える。キエルはラファエのもとまで歩み寄り、その肩に手を乗せた。
「お前が気に病むことはない。セアルは自分が死ぬ未来を予知していた。それでもあいつは逃げずに覇王との戦いに臨んだ。同じ七星天使として死の未来を怖れずに立ち向かったセアルを、俺は誇りに思う」
「でもっ……!!」
それでもラファエは、自分を許すことができなかった。
城の一階に下りるキエルとラファエ。そこには既に『魂の壺』が運ばれてきていた。
「……どうやら本物のようだな」
キエルは『魂の壺』に近付いて確認した。今ではおよそ500の人間の魂がこの中を彷徨っている。
「キエルさん。もう、いいですよね……?」
ラファエの瞳が揺れる。この壺を破壊して、人々の魂を解放すること。それがラファエの心からの願いだった。
一方のキエルはこの壺をどうするべきか、判断を倦ねていた。唯一【魂吸収】を使えるセアルが死んだ今、もはや人間の魂を集める手段はない。幻獣の復活には1000の魂が必要だが、今あるのは半分だけ。つまりキエル達にとって何の意味もない壺と化したことになる。
しかしそれならば何故、セアルはわざわざこの壺を隠していたのか。自分が死ぬことが分かっていたなら、この壺が不要なものになることも分かっていたはずだ。キエルはセアルがこの壺を残した意味について考えていた。
「キエルさん……!!」
ラファエが再度訴える。僅かな沈黙の後、キエルは静かに口を開いた。
「……そうだな」
セアルがこの壺を残した意味は分からない。だが元より二人は人間の魂を狩ることに異を唱えていた。それにこのまま壺を残しておけば、ラファエの苦悩が続くことになってしまう。
キエルは決断し、拳を握りしめる。そして『魂の壺』を破壊しようとした、その時。
「たっだいま~!!」
城の入口から陽気な声が聞こえてきた。それは七星天使の一人、ガブリだった。