第106話 エリトラvsキエル
――七星の光城七階・エリトラVSキエル――
アンリとユナがそれぞれの敵と激しい戦いを繰り広げる一方、キエルと対峙するエリトラ。今のところ両者にこれといった動きはなく、エリトラはキエルの様子を窺っていた。
「……呪文【創造】」
先に呪文を唱えたのはキエルだった。何か武器でも生成するのだろうかと、エリトラは身構える。
しかしキエルが【創造】で生成したのは武器でも何でもなく、一個の大樽だった。
「さて、と」
キエルはその場でドガッと腰を下ろし、樽の蓋を開ける。中に入っていたのは――ただの酒だった。
「……どういうつもりですか?」
キエルの不可解な行動に、エリトラは疑問を抱く。キエルは右手で顎をジョリッと撫でた。
「戦いの前には酒を嗜むのが俺の流儀――と格好つけたいところだが、どうにもお前と戦うのは興が乗らなくてな」
「……我では役者が不足していると言いたいのですか?」
「そうではない。お前が強いのは雰囲気で分かるさ。だが、俺には今日会ったばかりのお前と戦う理由がない。理由もなしに戦うとなると酒の力でも借りなければやってられん、というわけだ」
「ホホホ。今まさに自分達の本陣を我々悪魔に侵されているというのに、戦う理由がないとは面白いことを言いますね。七星天使の名誉を守るというだけでも立派な大義名分になると思いますが?」
「……七星天使の名誉、か」
僅かに口角を上げるキエル。それからキエルは再び【創造】を発動し、二本の木杓を生成した。
「お前も一緒にどうだ? 酒は飲めるだろう?」
「……何かの罠ですか?」
「俺は戦士だ。そんなくだらん真似はしない」
「…………」
これから戦う相手を酒に誘うキエルに、エリトラは感心すら覚える。これを断るのは自らの〝格〟を下げるに等しい行為だろう。
「では、いただくとしましょう」
エリトラは歩み寄り、大樽を挟んでキエルの真向かいに座る。キエルは木杓の一本をエリトラに手渡した。
「その仮面は外したらどうだ? そのままでは飲めんだろう」
「ご安心を」
仮面の口の部分がパカッと開く。エリトラは木杓で酒を掬い、口に含んだ。同じくキエルも酒を掬い、口へと運んだ。
「味はどうだ?」
「……可もなく不可もなし、ですね」
「そうか。ま、所詮は呪文で生成した酒だ。やはりバイトで稼いだ金で買った酒に比べると数段劣る」
「七星天使の第二席ともあろう御方が、バイトを?」
「バイトを見下すのはいただけないな。俺にとってはバイトも一つの戦場だ」
「……これは失敬」
奇妙な空気の中、しばらく二人は酒を飲み続ける。キエルは飲むペースが異様に早く、既に樽の酒は三分の一まで減っていた。
「……一つ聞きたいことがある。お前が覇王に仕える理由は何だ?」
「愚問ですね。ユート様はいずれ人類を滅ぼし、世界を支配される御方。そんな偉大な御方に仕えることこそ至上の喜びなのです」
「……なるほど」
キエルは小さく笑みをこぼした。ユートの正体を知っているキエルにとって、それはある意味皮肉にも聞こえた。
「貴方はどうなのですか? 七星天使の地位に就いた理由は――」
「ないな」
キエルは即答した。
「俺には七星天使になった理由がない。セアルのように『世界の平穏を保つ』といったご大層な理念も持っていないしな」
「……そんな貴方が何故、七星天使に?」
「セアルから強引に引き入れられただけだ。あいつとは昔馴染みなものでな。無駄に実力だけはあったものだから第二席という不相応な席次まで得てしまった。早々に後継を見つけて引退したいものだ」
そう言って、キエルは最後の酒をグビッと飲み干した。
「先程お前は『七星天使としての名誉を守るというだけでも立派な大義名分になる』と言ったが、俺には名誉を守るだけの理由がないわけだ。七星天使としての理念を何も持たないのだから当然と言えるだろう」
「……その内見つかると思いますけどね。貴方だけの理念が」
「だといいがな。俺が数々の戦場に身を投じているのは、無意識に〝それ〟を追い求めているからかもしれん……」
キエルはゆっくりと腰を上げる。
「さて。良い感じに酔いも回ってきたところで、そろそろ開戦といこうではないか。経緯はどうあれ七星天使になった以上、その責務は全うしなければならない。たとえ俺自身に戦う理由がなくともな」
「……いいでしょう。しかし貴方と違って我にはユート様のご期待に応えるという確固たる信念があります。酒の恩はあれど、手加減するつもりはないのでご了承ください」
「無論だ」
一定の距離を置いて対峙するエリトラとキエル。弛緩していた空気に一転して緊張が走る。
「……いくぞエリトラ。呪文【土壌領域】!」
キエルが呪文を唱えると、この階全ての床、壁、天井が一瞬にして〝土〟へと変わっていった。無機物を全く別のものに変化させるという点ではイエグの【金色世界】に近いものがある。
「ホホホ。これが貴方の戦闘フィールドというわけですか」
「ああ」
すると土の塊が一カ所に集まり、やがてそれは一本の巨大な腕を形成した。そしてエリトラを叩き潰すべく、その腕が勢いよく振り下ろされる。
「呪文【攪乱箱】!」
エリトラが呪文を唱えた直後、キエルの視界からエリトラの姿が消える。代わりに側面に「?」と描かれた三つの大きな箱がその場に出現した。謎の光景にキエルは僅かに動揺を見せる。
「……三つの箱のどれかに奴が隠れているということか」
巨大な土の腕は真ん中の箱を叩き潰した。その瞬間、箱は大爆発を巻き起こし、土の腕は粉々に破壊された。
「ホホホ。残念でしたね」
残り二つの箱が自然消滅する。エリトラが隠れていたのは左の箱だった。
「面白い呪文を使うのだな」
「でしょう? かつては『奇術師エリトラ』という呼び名があったほどですからね」
エリトラは頭のシルクハットを手に持ち、トンと軽く指で叩く。するとシルクハットの中から二匹の鳩がパタパタと出てきた。
「我のモットーはエンターテインメント。たとえ戦いの場であろうと自分が楽しむことを忘れず、そして相手にも楽しんでもらうことです。観客がいればもっと良かったのですけどね」
シルクハットを頭の上に戻し、スポットライトを浴びているかのように両手を広げるエリトラ。
「とくとご覧に入れましょう……我のジェネシスなショーを!」