第105話 ミカの怒り
――七星の光城五階・アンリVSイエグ――
「さあ、美しく散りなさい!!」
イエグの呪文【金色世界】によってイエグの周囲の物体が金塊へと変わっていく。やがて全ての金塊が無数の槍へと変化し、アンリに向けて一斉に放たれた。
しかしアンリは空間の影響を感じさせない華麗な動きでそれらを次々とかわしていく。どの槍もアンリの身体に掠りさえしない。
「おのれ、ちょこまかと……!! 呪文【蜘蛛金糸】!!」
金塊が蜘蛛の糸のように張り巡らされ、アンリの動きが制限されてしまう。その隙を突き、イエグは再び金色の槍を放った。
「呪文【自害剣】」
アンリが呪文を唱えると、その右手に禍々しさを漂わせる紫色の剣が握られた。アンリはその剣で周りの金糸を斬り裂き、更に飛んできた槍も打ち払った。
「呪文【界層低下】」
続けて呪文を唱えるアンリ。その直後、アンリは一瞬でイエグとの距離を詰めた。
「しまっ……!!」
イエグの反応が遅れる。このままではやられる。しかし呪文を唱えている余裕はない。瞬時にそう判断したイエグは、咄嗟に右腕を前に出す。そしてアンリの剣撃がイエグの右腕に炸裂した。
「……!?」
しかしイエグは奇妙な現象を目の当たりにする。今のは右腕が吹き飛ぶほどの感覚だったというのに、吹き飛ぶどころか血の一滴も出ていなかったのである。当然HPにも変化はない。
「どういうこと……!?」
「知りたいか?」
不思議そうな表情を浮かべるイエグに、アンリはその剣を見せつける。
「この自害剣は、その名の通り自害専用の剣。自分を傷つけることはできても他者を傷つけることはできない。お前は無傷だったのはそのためだ」
「……ふ、ふふ。あははははは!!」
イエグの豪快が笑い声が響き渡る。
「馬鹿じゃないの貴女!? そんな使えない剣で一体何がしたいっていうのよ!!」
「……決して自らの手で他者を殺すことはしない。それが私の戦闘スタイルだ」
アンリがそう言うと、イエグは呆れたように息をついた。
「どうやら本格的に頭のネジが飛んでいるようね。それじゃ貴女は私に殺されに来たってこと?」
「勘違いするな。私はお前を殺さないが、お前はここで確実に死を迎えることになる。今の内に遺言の内容でも考えておくといい」
「……意味が分からないわね。殺さずにどうやって私が死ぬっていうのよ!!」
「さあな。それは死んでからのお楽しみだ」
イエグの額に青筋がピキピキと復活する。
「とりあえず頭がおかしいってことはよく分かったわ。これ以上は時間の無駄だからさっさと殺してあげる!!」
激昂するイエグに対し、アンリは密かに笑みをこぼす。まるで既に勝利を確信しているかのように。
☆
――七星の光城三階・ユナVSミカ――
ユナとミカ、互いの剣が目にも止まらぬ速さで幾度となくぶつかり合う。天使と悪魔の間に生まれた二人は、その血筋故に呪文を一つも所持していないため、剣一本に自らの命を託していた。
戦況はミカの方が優勢である。条件は変わらないはずだが、この戦いに懸ける信念の強さがその差を生み出していた。ユナは形勢を立て直そうと、後方に跳んでミカとの距離をとった。
「……強くなったわね、ミカ」
「……お姉ちゃんもね」
しばらく互いに見つめ合うユナとミカ。幼い頃に両親を殺され、数年間を森の中でひっそりと暮らしてきた二人の姉妹。
一緒にモンスターを退治したこと、洞窟に身を潜めて雨を凌いだこと、やっと手に入れたパンを分け合ったこと……。二人の脳裏には様々な思い出が蘇っていた。
「……その剣、まだ使ってたのね」
「……うん。お姉ちゃんだって」
森の中で暮らしていた頃、武器を買うお金などなかった二人は、ゴミ捨て場に捨ててあった二本の剣を見つけ、それを使って森のモンスター達と戦っていた。今の二人が手にしている剣は、その頃と全く同じものだった。
「切れ味は悪いし、無駄に重いし、剣としてはホント最悪。だけどやっぱり、この剣が一番しっくりくるんだよね……何でだろ。お姉ちゃんとの思い出がいっぱい詰まった剣だからかな」
「ミカ……」
「あの頃は苦しいことも沢山あったけど、お姉ちゃんがいれば辛くはなかった。お姉ちゃんがいれば楽しかった。お姉ちゃんは私の全てだったんだよ」
ミカは目を細くして自分の剣を優しく撫でる。やがて静かに剣を下ろし、暗い顔でユナを睨みつけた。
「だけどお姉ちゃんは……私を天使に売った。私を見捨てた。どうして……?」
「違う、見捨ててなんかない!! このまま森の中で暮らし続けるより、せめてミカだけでも衣食住の満ち足りた生活を送ってほしかった!! 私はミカの幸せを願って――」
「幸せ? お姉ちゃんと引き裂かれることが私の幸せ……!?」
ミカの身体が小刻みに震え出す。
「本当は嫌いだったんでしょ、私のことが。邪魔だと思ってたんでしょ!!」
「そんなこと思ってない!! 私は本当にミカのことを――」
「ゲホッ、ゴホッ!!」
すると突然、ミカが咳と共に口から血を吐き出した。
「ミカ!? どうしたの!?」
「……お姉ちゃんだって気付いてるでしょ? この『天空の聖域』の空間は悪魔の身体には有毒だってこと」
左手で血を拭いながらミカは言う。
「私の身体に流れてる悪魔の血は半分だけ……。通常の悪魔に比べたら影響は少ないけど、それでも長い間『天空の聖域』にいたから私の身体は着実に蝕まれていった。おかげで私の身体、すっかり弱くなっちゃった」
「……ごめんなさいミカ。私はそんなこと知らなかった……!!」
「知らなかったで許されると思ってるの? お姉ちゃんのせいで私は幸せどころか不幸のどん底だよ。絶対に許さない……!!」
ミカの頬には一筋の涙が伝っていた。
「もう私を見捨てたお姉ちゃんなんていらない。私の事が嫌いなお姉ちゃんなんていらない。だから死んで……お姉ちゃん!!」
「ミカ……!!」
再び剣を構える二人。ユナは自分の過ちを心の底から後悔した。だが時は既に遅く、ミカの心は完全に壊れてしまっていた。




