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妖精姫の初恋

作者: 牧野ちえみ

 太陽がのぼってしばらくたった、森奥の湖のほとり。少女は素足を水につけて、ちゃぷちゃぷと波紋が生まれるのを眺めていた。

 背中には透明な羽。透き通るような白い肌。小さなかんばせに、おおきな空色の瞳がきらきらと輝いている。亜麻色の短い髪が、柔らかな風に揺れていた。

辺りはいつもと同じ景色。けれど少女――妖精の姫ニコラは、それをこよなく愛していた。たとえばそよそよと風に揺れる草木。甘い香りの花は、朝露に濡れて宝石のように輝く。湖畔は鏡のように美しい世界を映しだしている。魔力の源である魔素マナの優しい光が、時折水面を漂う。

そんな美しい風景を見ながら、ニコラは囁くように歌を唄い始める。それが毎日の習慣であり、彼女の楽しみだった。彼女の歌に惹かれ、周りに小さな動物や、幼い妖精達が集まる。平穏な光景に、ニコラは微笑んだ。

 だが、何の前触れもなく、ガサリ、と何かの足音が響いた。妖精達は空を飛ぶので音はしないから違う。動物にしては、何やら金属のような音がしている。得体の知れない侵入者に、動物や妖精達は驚いて、何処かへと隠れてしまったようだ。すこしだけ残念そうな顔をしながら、ニコラは音のする方を見据える。

草木をかき分け現れたのは、黒い衣を纏った――人間。

「に、ニンゲン!?」

 思わず声をあげてから、慌てて口を噤む。

(どうしよう、おかあさんに報告しなきゃ)

 頭の中ではわかっている。が、危険だと噂される存在を目の前に、ニコラは平静を装えなかった。人族は妖精を殺したり、攫ったり、森を焼いたりする怖い存在だというのは、妖精族の共通認識だった。幼いニコラも、母親である妖精王にさんざん忠告されている。妖精達の住む『月の森』は、妖精王の魔力によって結界が張ってあるので、他の種族が入ってくることはほぼ無い。だが、まれに迷い込む者がいる。そのため、異種族を見つけ次第、妖精王に報告をするのが普通だった。

ニコラもそのために中空へと軽く羽ばたいて、そうして気づく。

「……怪我、してるの?」

 見れば、うつ伏せになっている人間は、腹側が大きく切り裂かれて居るようだ。緑の芝生を、みるみるうちに赤い液体が染めていく。

 人間は怖い。けれど、怪我した生き物を放置することは、ニコラにはできなかった。決心したようにふわりと着地して、さっき隠れた妖精達に向かって言う。

「みんな、ヴィヴィアナさまに報告して。怪我をしてる人間が居るの。あとね、薬草を摘んできてほしいな」

 先ほどとはうって変わって、てきぱきと様子を見にきた妖精達に指示を出す。そうして、倒れ伏している黒い服の人間を、仰向けにさせる。

(――この人、綺麗)

 宵闇のように黒い髪が、さらさらと流れ落ちる。はだけた服からのぞく、華奢だが、筋肉のついてひきしまった体。そして何よりも目を引くのは、青年の美しい顔。奇妙な侵入者は、思わず見とれてしまうほどの美形だった。瞳の色は何色だろうか、閉じられたまぶたを飾る睫毛は長く、そっと影を落としている。

 しばらくぼうっとしていたニコラだが、薬草を摘んできた妖精につつかれ、はっと意識を取り戻す。

 薬草を傷口にあてながら、小さな手のひらで軽く押さえる。

「循環を司る星の女神よ、ボクに力をかしてください」

 祈るように呟けば、ニコラのふれている部分が淡く光り始める。ゆっくりと、しかし確実に傷口が塞がっていく。最後までそれを見届けると、回復魔術を使った反動で、ずしりと疲労感が身体に残った。

(この人を運ばなくちゃ)

 そう思いながらも、少女は眠気に負ける。青年の傍らに横たわると、やがて、すやすやと眠り始めた。




 気がつけば、いつも使っている自分の寝台の上に寝転がっていた。ぐーっと体を伸ばして、柔らかな布団から抜け出る。窓を見やれば太陽は高く昇っていて、外は昼間の明るさに照らされている。さっきの出来事から数時間は経っていた。

 ニコラには湖のほとりで寝こけた後からの記憶が無かった。おそらくは移動魔術で運ばれたのだろう。あるいは大きめの生き物に運ばれたのかもしれないが。

 ぴょこんと寝台を降りて、部屋の丸い鏡をのぞく。寝癖を撫でつけ、眠気の残る眼をこすって、ふと思い出す。

(……あの人、どうなったのかなぁ)

 無事なら良いけど、とひとりごちて、結局様子を見に行くことにした。

 ニコラの母である妖精王ヴィヴィアナは、優しく聡明で、しかし時折厳しかった。特に、人間に対しての扱いにおいて。あの人間の処遇がどうなるかはわからないが、いい扱いは受けないだろう。

 そんな風に考えていれば、いつの間にやら謁見の間にたどり着いていた。ヴィヴィアナは昼間は謁見の間に居て、妖精族の悩みや嘆願を聞いている。大きな扉をそっと開くと、そこには柔和な微笑みをたたえる女王が居た。彼女の前に跪くのは、ニコラの気にかけていた青年。妖精族の衣服を着ている青年は、今朝よりもどこか柔らかい印象を与える。

「起きましたね、ニコラ」

「おはよう、おかあさん」

 服の裾をつまんで挨拶をすれば、ヴィヴィアナは空色の瞳を細めた。

「あなたがこのニンゲンを助けたそうですね」

「えと、あの、森の中でみんながケガをしたら助け合うでしょ? だから……ごめんなさいっ!」

「あら、ニコラ。あたくしはあなたを褒めるつもりでいるのですよ」

「ふぇ?」

 間抜けな声をあげて、ニコラは母を見つめ返す。怒られるとばかり思っていたのに、ヴィヴィアナはいつもと変わらぬ笑顔だった。

「異種族が月の森から我らの国、アルティエリアへやってくるには、それ相応の資格が必要です。つまり彼は選ばれし青年。運命が彼を導いたのであれば、あたくし達は彼を守る義務がありますからね」

 女王は娘の頭を柔らかく撫ぜる。ニコラは照れくさそうに笑って、その後、きょろきょろと周りを見回す。

「えっと……あの人は?」

「中庭に居ますよ。そう慌てずとも大丈夫です、会っていらっしゃい」

「うん!」

 蒼穹のように青い瞳をきらきらと輝かせ、妖精の姫は旋風のように走っていく。それを見つめて、臣下の者たちはそろって穏やかな微笑を浮かべた。




 大樹の根元にある泉の前に、黒髪の青年はぼんやりと立っていた。怪我をしたところにくるくると包帯が巻かれていて、華奢だが無骨な指でその部分を押さえている。青年はニコラを見つけると、少しその目を見開いた。木苺みたいに赤い、とニコラは思った。流れる血のような、けれども美しい赤色だった。

「お前が、俺を助けてくれたんだな」

 凛とした、清涼な声。初対面のときに感じた恐怖とは真逆の、清廉なものだった。ニコラが頷くと、青年は小さく頭を垂れる。少女は草を踏みしめて青年に近寄り、顔を上げるように促す。そうして、彼が笑顔になるように、とびきりの笑顔で名前を告げた。

「ボクの名前はニコラ。ニコって呼んでね」

「俺の名前は、…………ジャック」

 少しためらいながら、青年は自分の名前を呟いた。

「ジャックは、どうしてここに?」

「今は、言えん。言えばきっと、お前達に迷惑をかけてしまう。だが、いつか礼はする」

 長い睫毛が哀しげに伏せられる。きゅ、と心をつかまれるような気がして、ニコラは身体を小さく震わせた。

「そんなこと、ないよ。ボク、キミの力になりたい」

「ありがとう。ニコは、優しいな」

 ずっと苦しげな顔をしていたジャックが、微かに笑っていた。心臓が、どきどきと音をたてる。壊れてしまいそうになるほど、こんどはニコラが苦しさを感じていた。彼から逃げ出すように反射的に駆け出して、森の中へと舞い戻る。走って、走って、途中で石に躓いて体制を崩し、その場に転がった。土ぼこりを払い落としながらニコラは混乱する頭にジャックの笑顔を再び浮かべてしまう。

(これは、何? 病気、なの?)

 頬に手を当てれば熱があり、のぼせてしまったように視界がくらりとする。瞳が潤んで、喉が渇きを訴える。風邪でも引いたのかしら、とニコラは首を傾げた。

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