001 ★
7/23:改稿 書きミス等を修正。
生まれ変われるのならこの世界以外でありますように。
嬉しかったこともある。楽しかったこともある。幸せだったこともある。
それでも。
嬉しかったことことよりも、悲しかったことのほうが何十倍も多かった。
楽しかったことよりも、辛かったことのほうが何十倍も多かった。
幸せだったことよりも、不幸せだったことのほうが何十倍も多かった。
体中から消えることのない傷。
心から消えることのない傷。
魂から消えることがない傷。
何千、何万と唱えさせられた祝詞を、呪いの言葉に変えて自分自身に捧げよう。
生まれ変われるのならこの世界以外でありますように。
今度生まれるのなら、強く強くありますように……。
それが、私の最後の記憶だった。
正確に言えば、前世の自分の。
私の生きるこの世界――。この世界の成り立ちは、何もない真っ暗闇の世界に、一柱の光の精霊が降り立ったことから始まった。
光の精霊は、真っ暗闇の世界を照らし、全ての基礎を作り上げた。
風や水、火や土。そして、この世に生きる全てのものを。
誰が最初にそう呼び出したのかは定かではない。けれど、いつしか、この世界は光の精霊の名で呼ばれる事になる。
親しみと敬愛を込めて『リヒト』と。
『リヒト』には多種多様な生きものが存在していた。
植物や動物はもちろん、魔獣や幻獣、妖精や精霊。そして人族や半人半獣の種族――人族からは亜人族と呼ばれている――に至るまで様々。
この世界に生きる全ての種族を把握する事は、"とてもじゃないが不可能"、とまで言われていた。
そんな多種多様な種族が生きる場所。
それは、この世界に唯一つしかない広大な大地と、そこを取り囲む、果てが無いとも言われている海の二箇所だけだった。
海には人魚族や半魚人族など、水中で生きていける種族が集落や国を作り、生活している。そんな海を熟知しているであろう彼らでも、『果てが無い』とまで言われている外海に出ると、二度と戻ってこれないであろうと云われていた。
世界に唯一つしかない広大な大地――ルカティーバ大陸は、人の足では到底すべてを見尽くせぬほど広い。
大陸の広大さもさることながら、まるで大陸を分断するように、大地の中央には深い深い森が広がっている。そして、その森を取り囲むように四つの山脈がそびえ、そこからは何本もの河が海に向かって流れていた。
その森は『深淵の地』や『深淵の大樹林』と呼ばれ、広さは森側の山脈部分の土地を合わせると、大陸のほぼ10分の1を覆い尽くすほどの広さを誇っている。
そんな深い深い森の中央に、天を貫くような大樹がそびえ立っている。
『リヒトの大樹』からは魔法の源泉――マナが尽きることなく溢れだし、そのマナは深淵の大樹林を覆っている。そのため、深淵の大樹林は数多くの精霊が集う場所として知られている。
そんなリヒトの大樹は、光の精霊が変化した姿として、この世に生きる全てのものから神聖視されている。
そこから少し離れた、隠れるように作られた小さな集落で私は生を受けた。
私の父は、光の精霊の眷属として名高い『白竜人族』の生き残りだった。
白竜人族は、寿命が300年と言われている他の竜人族よりも寿命が長く、1000年近く生きる人もいるという。そのせいか、白竜人族は他の竜人族と比べ出産率が低い。そして、子供の頃は身体が弱く、育ちにくいと聞いた。けど、大人になったら殆ど病気もしないくらい体は強くなるらしい。
ただ、どんなに強くても、どんなに長生き出来ても、子供が生まれなければ種を保つことが出来ない。徐々に徐々に、白竜人族はその数を減らしていくことになる。
そんな折、癒しの巫女をしていた人族の母と父が恋に落ち、結ばれた。そんな二人の間に生まれたのが、私。
私は生まれた時から特別な存在だった。
何故ならば『光』の精霊に祝福されて生まれてきたからだそうだ。
この世に生きる全てのものは精霊から祝福を受け生れ落ちる。ただし、普通は『火』『水』『風』『土』のいずれか一つのみ。まれに二つ授けてもらう子もいるらしいけど、それでも『光』に祝福されて生れ落ちることは無い、との事。
そんな私をひと目見ようと、目も開かない頃から私の周りには、色々な人が入れ替わり立ち代わり訪れていたそうだ。まぁ、小さな集落なので入れ替わり立ち代わりと言っても大した数ではないけれど。
ただ、集落の人たちの姿が切れると、「待ってました」とばかりに精霊や妖精、時にはめったに人前には現れない幻獣や、魔獣なんかもひょっこり姿を現し、私の遊び相手になってくれていた。
そんな私が六歳になったある日。母が重い病にかかり床に伏せた。
見る見るやせ細る母。必死に看病する父。
そんな二人を見るだけで何も出来ない自分。
父や母を心配させてはいけないと幼心に思った私は、こっそりと家を抜け出し、大樹の根元でシクシク泣いていた。
そんな時、とても柔らかくて優しく、綺麗なメロディがどこからともなく聞こえてきた。きょろきょろ辺りを見渡すけれど、声の主の姿は見えない。いつの間にか涙は止まり、私はその歌に聞き入っていた。
歌が終わると、歌っていた声と同じ声が私に教えてくれた。
この歌を歌うと病気や怪我が治るらしい。
母の病気が治るかもしれない! 母を助けられるかも知れない!
その日から、私はその歌を覚えるまで、毎日毎日大樹の根元に通った。
歌の内容はまったく意味が理解できない。
けれど、その言葉やメロディを覚えるまで、毎日毎日大樹の根元に通った。
何度も何度も、何回も何回も口に出して歌い、必死に覚える。
母を助けたい一身で。
母の容態が急変し、その命が尽きかけようとしたとき、何とか覚えた歌を歌う。
言葉を間違えていたらどうしよう? メロディを間違えていたらどうしよう? 歌いながらそんな考えが頭を過ぎる。緊張で手は汗でビショビショで、声は震えそうになる。けれど、ぎゅっと手のひらを握り、必死に歌う。
一節一節歌い終るたび、どんどん良くなっていく母の顔色。完全に歌い終えると、母の顔色は良くなり穏やかな寝息を立てていた。
あの後――完全に体調が回復した母に教えて貰った。私が歌った歌は、歌ではなく『祝詞』と言うらしい。けれど、癒しの巫女でをしていた母でもまったく聞いたことが無いような言葉だったそうだ。
母と父に大樹の根元であった不思議な出来事を話すと、泣いていた私の為に『光』の精霊が手助けしてくれたんじゃないか、と言われた。
元気になった母と父、そして私の三人で大樹の根元に行き、感謝を伝えた。
心なしか、大樹の葉が嬉しそうに揺れた――気がした。
十歳になったある日。集落の周りを囲う柵をこっそりくぐって、大樹林に足を踏み入れた。
まだまだ身体が弱いから、集落から出ちゃいけないときつく言われていた。
いけないことをしていると理解していたけれど、それよりもわくわくする気持ちのほうが大きかった。
それが破滅への一歩とも知らずに。