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逆行少女  作者: 七七日
3/3

suicide


「はあ……」 

 久野有香ひさのゆかは大きな溜め息を隠そうともせず、周りにまき散らしながら通学路を歩いていた。

 快晴の空とは打って変わって表情は暗い。背を丸めながらトロトロと歩いていた。

 数人の女生徒のグループが彼女を追い越して歩いていった。追い越し際には嘲笑するような含み笑いを彼女に向けて。

 それを見て有香はぎりぎりと歯ぎしりして苛立ちを表した。

(帰りたい……)

 そう思っても、有香の両足は学校へ向かうのをやめない。家に帰れば母親に何故帰ってきたのかと問い詰められる、サボって何処かにいけば学校から家へと連絡がいく。逃げ場所など何処にもなかった。

 無言で教室に入る。

 有香に挨拶をする者などいなかった。有香も誰にも声をかけることなく、まっすぐ自分の席へと向かう。

 教室の中で有香の机だけが異質を放っていた。

 黒く変色しているのである。

 机の上には数々の誹謗中傷のたぐいが隙間なくマジックやボールペンで書かれている。

 ベンジンで消そうかと思ったが匂いがきつく周りから取り上げられてしまった。

 それに有香は分かっていた。どうせ消してもすぐにまた元通りになると。それでも少しは抵抗を見せたかった。

(私はまだましな方……)

 いつもそう言い聞かせてやり過ごしてきた。

 机の落書きや、者が無くなること、授業中にからかいの対象になること、雑用を押しつけられることなどはしょっちゅうだが、まだ直接的な攻撃はなかった。ドラマのようにトイレに連れ込まれて水を浴びせられるなんてことはまだない。

 だけどこれからは分からない。

 何が起こるか、何をやられるか。

 有香は毎日びくびくしながら過ごしていた。

(どうして私だけ……)

 見たところクラスでいじめに会っているのは有香だけだった。

 確かに引っ込み思案で、それほど整った顔立ちでもない、勉強も運動も人並み以下の有香は恰好ターゲットとなったことだろう。

 有香はちらりと窓際で本を読んでいる少女をみた。

(七瀬さんは……)

 彼女も有香と同じであまり話さず一人でいることが多かった。しかし彼女は勉強ができた。頭がいいとそれだけで皆に頼りにされていた。

 次の時間に当てられる生徒や、難しい宿題を課せられた生徒はこぞって彼女に助けを求めた。それに彼女は無愛想だが快く答えている。

 そんなわけで彼女は迫害を受けるどころか尊敬されている。

(日下部さんは……)

 有香より背が低くて、太っていて丸々としている。そして勉強もあまりできない。

 だけどいつも笑顔で明るい。

 話も上手でいつも彼女の周りには人が集まっていて楽しそうに談笑している。マスコット的なキャラクターでどうしても憎めない。七瀬さんと違い尊敬されたり、頼りにはされていないけど愛されている。

 そんな彼女がいじめのターゲットになるわけもなく――。

 何もない有香がターゲットとなるのは必然と言えた。

 誰しもクラスでの位置づけがあるように、有香の位置はそこだった。


「あ……」

 昼休み、お手洗いから戻った有香は教室に入って小さく声を漏らした。

 有香の机の半分が他の生徒の尻によって占領されていた。

 隣の席はクラスで一番美人の南沙世の席だった。沙世は美人で明るい、クラスのマドンナだった。そんな彼女の周りにも人が集まるのは必然で女子だけでなく男子も加わりいつも華やかだった。

「あの……」

 今から昼食を摂ろうとしていた有香は退いてもらおうと口を開いたが、その声はか細く座っている生徒の耳には届いていない様子だった。または、単に無視しただけかもしれない。

 暫く席の前で立ち尽くしていた有香だったが、諦めてそっと席に着いた。

 しかたなく残った半分のスペースに弁当を広げた。

「ちょっと弁当臭いんですけどー」

 沙世の周りに居た誰かがからかうように言った。

 侮蔑的な視線と嘲るような笑い声を聴いて有香は今すぐこの場から逃げ出したくなった。

 しかしそうすれば連中を喜ばせるだけだと思い、奥歯をかみしめてその場にとどまった。

 横で繰り広げられる生産性のない会話を聴きながらもそもそと弁当を食べた。

 有香が水筒からお茶を飲んでいるとき、横から一際大きな笑いが起こった。

 机に座っている生徒が大きく身体を揺らしながら笑うものだから有香の手にあったお茶は宙を舞い座っていた生徒のスカートへと降りかかった。

「あっ――」

 有香は悲鳴に似た声を上げ、その惨劇を見て青ざめた。

「なにすんだよ!」

 座っていた生徒は机から飛び降り、怒りのままに有香を突き飛ばした。椅子から転げ落ちた有香は床に身体を打ち付けうめいた。

「あーあ、最悪だよ」

 スカートを濡らされた生徒は有香のことなど気に留めず自分の衣服の心配だけをした。

 周りにいた生徒も同様で誰も有香の心配などしていない。面白いものが見れたとさらに笑い声を強めるだけだった。

「あの、ごめんなさい……」

 よろよろと立ちあがった有香は恐る恐るそう言った。

「どうしてくれんの、これ?」 

 そう言って生徒はシミのできたスカートを指差した。

「クリーニング代、出すから……」

「むしろ買い直して欲しいだけど」

「それは……」

 周りの生徒はにやにやと事の顛末を見間もていた。

 誰かが「慰謝料も貰っとけー」などとはやし立てた。

「それいいね。じゃ、よろしく」

 有香は黙って頷くしかなかった。



 その日を栄にいじめは目に見えてひどくなっていった。

 一度お金を渡すと、何かしらいちゃもんをつけられ何度もお金をせびられた。

 お小遣いだけじゃ払えなくなり、家のお金に手を出すとすぐに親にばれてひどく叱られた。

 私が胸倉を掴まれているところを目撃しても先生は見て見ぬふり。

 学校にも家にも、もはや心安らぐ場所はなかった。

「もう嫌だ……」

 毎日が苦痛に満ちていた。

 変わらず訪れる朝を恨めしく思った。

 学校へ行こうとすると吐き気がした。

「もう嫌だ、もう嫌だ、もう嫌だ……」

 何かの呪文のように気付くとそう呟くのが癖になっていた。

「もう、死にたい……」

 ふと、死ぬことを考えた。

 辛く、耐えしのぶだけの毎日。

 こんな日々に意味はあるのだろうか、明日を迎える意味があるのだろうか。

 できることなら一刻も早く止めたい。

「死にたい」

 もはや有香には未来への可能性も、今まで育ててくれた両親への恩も、何もかも忘れて、今を止めることしか頭になかった。

 有香はふらふらと死に場所を求めて歩いた。

 足は自然と屋上へと向かっていた。

 鍵が閉まっていると思われた屋上は意外にも開いていた。

 足を踏み入れると風が強く、肌寒かった。

 フェンスに歩み寄る。有香の身長より少し高かったが越えられないことはなさそうだった。

 校舎は四階、十分な高さとは言えばいが下はコンクリート、頭から落ちれば即死だろう、と有香は冷静にそんな計算をしていた。

 有香は何の躊躇もなくフェンスを越えた。

 フェンスを通さずに高所から俯瞰する景色は美しいと感じた。最後にこんな感情を得ることができてよかったと思った。

「ねえ、靴は脱がないの?」

 最後の感傷に浸ってさあ、飛ぼうと言う時に後ろから声が響いた。

「えっ!」

 驚いて振り向くと同じ制服を着た少女が無表情で立っていた。

 彼女は何処は見覚えがあった。

「時宮凛音……?」

「私のこと知ってたの?」

 凛音は自分の名前を言い当てられ少し驚いた。

 時宮凛音の名前は彼女自身が思っているより有名だった。まずはその容姿、美しく整ったその容姿から男子同士の会話ではときたま彼女の名前が挙がった。それを有香も何度か耳にしていた。

 そして、誰ともつるまず、いつも一人でいること。ただ、それは有香のように自然とそうなったわけではなく、自ら望んでその状況を作っていることだ。

「どうしてここに?」

 有香は怯えた声で尋ねた。

「もともと此処にいたのは私よ。誰かが来る音が聞こえたから咄嗟に隠れただけ。あなたこそ何故此処に? ……それとなく分かるけど、死ぬため? それともただそんな気分を味わいたかっただけ?」

「違っ! ……私は本気で」

 まるで今から自分することをただの『ごっこ』だと言われた気がして有香は苛立った。

「一応、本気なんだ。安心してこの高さなら即死だよ。ただ頭以外から落ちるとそうでもないから気をつけてね」

 今にも飛び降りようとしている自分を前に止めようとするどころかアドバイスをしてくる凛音を有香は奇妙に思った。

「……」

 有香は言葉が出ず、ただじっとフェンスの向こうにいる凛音を見つめた。

「覚悟を決めたところ悪いけど、飛び降りはあまりおすすめしないよ。失敗して頭以外から落ちたら痛いことこの上ない、成功したとしてもそれはもう悲惨だよ。ちょっとは想像つくでしょ? 首から上はほとんどぐちゃぐちゃに辺りに散らばって、醜く迷惑な死に方だよ」

 有香は自分のそうなった姿を想像して少し意思が揺らいだ。

「何? 止めようとしてるの?」

「いや、別に。好きにすれば」

 凛音のしれっとした態度に有香はどうもやりきれない気分になった。

 有香は目の前の少女を計り知れないでいた。自殺する気を失くさせようと時間を稼ぎあえてそう言っているのか、それとも本当に興味がないだけなのか。

 有香は後者にしか思えなかった。

「ちょっと! 何してるの!」

 何を思ったのか、凛音はガチャガチャとフェンスを越えようとしていた。有香はただ呆然と見ていることしかできなかった。

「……良い眺めね」

 何事もなかったかのように凛音は言った。

「そのためにこっちに?」

「ただ、なんとなく。ところで、最初の質問に戻るけど、靴は脱がなくていいの? ドラマとかでよくそういうシーンあるけど」

「……そんなこと考える余裕がなかった」

「本当に飛ぶ気?」

「そうよ」

 有香のその言葉は自分に発したものだった。決意を固めようと自分を鼓舞した。

「ふーん……。一応まで二言っておくと、止めた方がいいんじゃない? さっき言ったように他人に多大な迷惑をかけることだし、生きていればこの先いいことがある……なんて保証はできないけど、あなたは一度死んだら終わりなんだし」

「ふんっ、あなたに何が分かるっていうのよ! あなたなんてその容姿に生まれただけでもう勝ち組じゃない。いつも独りらしいけどそれだってすき好んでやってるんでしょう? あなたには私みたいな人の気持ちなんて分からないわよ!」

 有香は今までの恨みを吐きだすように言った。

「分からないけど……、あなただって私の気持ちはわからないでしょう?」

「分からないわよ! できることなら私だってあなた達みたいに何かを持って生まれたかったわよ!」

 凛音はどんな言葉を変えようか迷った。 

 生まれたときは誰しも同じだ。自分が世界で一番不幸だと思ってるんじゃないの。誰にだって悩みはある。

 どんな言葉も今の有香には届かない気がした。

「可哀そうな人」

 結局、感情のままにでてきた台詞はそれだった。

「くっ……。そんな目で私を見るな!」

 凛音の視線を憐憫と取ったのか、嘲笑と取ったのか、有香は逆上して凛音を突き飛ばした。

 凛音の身体はよろけ、そのせいで足を踏み外し屋上から落下した。

「あ……」

 短く声を漏らした有香は呆然と屋上から落ちていく凛音を見ていた。

 そして下のほうで赤い何かが弾けるのを見た。



「ああっ!」

 悲鳴に近い声を上げて有香は体を起こした。

「え?」

 有香は自分の置かれている状況が飲み込めず、思考が一瞬停止した。

 そこはどう見ても自室で、自分はベッドの上で寝間着のまま横になっていた。

 ベッドの脇に置かれた時計を見た。

 日付は変わらず今日のまま、時刻は七時過ぎをさしている。

 有香は鈍い頭でこの状況の可能性を二つ考えた。

 一つは夢。しかし、あまりにリアルすぎると有香は思った。

 二つ目は、あのあと……凛音が飛び降りた後、自分は気絶し、誰かに発見されて自宅まで運ばれた。

 しかし、時計に表示された時刻の横に『AM』と表示されているのをみて二つ目の可能性は潰えた。

 有香は奇妙な気持ちのまま学校へと向かった。

 いつものようにネガティブな思考はなくほどよい高揚感すらあった。

 学校に着くと、教室の前の廊下で壁に背を預けながら凛音が立っていた。まるで誰かを待つように。

 声を掛けられる前に既に、有香はその待ち人が自分であると直感で分かっていた。

「おはよう、人殺し」

 凛音は有香の耳元でそう囁いた。



 二人は階段の踊り場に居た。これより上は屋上なので此処に人が来ることはめったにない。

「どういうこと?」

 有香は上ずった声で尋ねた。

 凛音は何度もした説明を内心うんざりしながら説明した。

 因果律によって死ねない自分。死んだら意識が途切れるそのときまで時間が戻る。自分を認識し明確に殺したと自覚した者も時間が戻った時に記憶は維持される。

 凛音は一通り説明し終わった。

 その間、有香は俯き黙って耳を傾けていた。

「そうなんだ」

 凛音は意外に思った。

 有香は説明を聞き終わっても取り乱すことも混乱することもなく、素直に聞き入れているように見えた。

「あなたを殺す度、時間が戻るのね?」

「簡単に言うとね」

「へえ……」

 短くそう呟いた有香が俯きながら残酷な笑みを浮かべているのを凛音は見逃さなかった。

 凛音はそれを見て彼女はだめだ、と判断した。

「残念だけど――」

「ねえ、お願い。昼休み屋上に来て」

 凛音は何かを言いかけたが、それをかき消すように有香はそう言い残し、軽い足取りで階段を下りて行った。

 凛音は逆に階段を上り、屋上に上がった。

 そして、そのまま昼休みまで一人、屋上で過ごした。



 凛音は屋上で何をするでもなく空を見上げていた。

 大の字に寝転がり、流れる雲をゆっくりと目で追っていた。

 昼休みを十分ほど過ぎたころ、屋上までとどろく大きな悲鳴が凛音の耳に届いた。

 それを聴くと凛音はゆっくりと立ち上がりポケットから携帯電話を取り出し、ボタンを何度か操作して耳に当てた。

「もしもし、平野君?」

「もしもし。時宮さん!」

 電話にでた平野尚輝はずいぶんと慌てているようだった。

「ずいぶん周りは騒がしそうね」

 携帯越しに聴こえてくる音には人々の異常な喧騒が混じっていた。

「そうなんだよ。ついさっき他のクラスで事件が起きたみたいで――」

「屋上に来て」

 凛音は向こうの台詞を遮って静かにそう言った。

「それどころじゃないよ! 今何処にいるの時宮さん? 大丈夫?」

「いいから、早く」

 静かに、しかし反論を許さない力強い口調で凛音は言った。

「……わかった」

 尚輝はもう余計なことは言わなかった。

 携帯を切ってから三分も待たずに尚輝は屋上の扉を開き、息を切らしながら入っていた。

「人が、刺されたんだ、女子が、女子を……」

 まだ息が整わない尚輝は途切れ途切れにそう言った。

「そう」

 興味無さそうに、いや、予め知っていたかのように凛音は冷静だった。

「……君のせい?」

 凛音の様子を見て尚輝はそう推論した。

「まあ、そうなるのかな」

「『今日』は二度目」

「ええ」

「殺された?」

「うん」

「そして話した」

「そう」

「どうして僕を呼んだの?」

「知ってもらいたくて」

 そのとき、乱暴に屋上の扉が開かれ、生徒が一人屋上に入ってきた。

 それが有香だとは普段の彼女を知るものなら一瞬分からないだろう。それほど普段の彼女とはかけ離れていた。

「えっ……」

 尚輝はいきなりの闖入者を見て息をのんだ。

 白い制服は血で染めあげられ、彼女の手足、顔にまで赤黒い血がこびり付いていた。手には包丁を携えていた。

 口角は歪に吊り上り、双眸は爛爛と輝き狂気の色をしていた。

 有香はゆっくりと二人の方へと歩みを進めた。

「ありがとう、って言うべきかな」

 有香はゆっくりと口を開き、話し始めた。

「死ぬ気になれば、何でもできるものだね。あいつも、あいつも、あいつも……情けない悲鳴を上げてさ、おかしくて笑いが止まらないよ。いつも嘲るようなあいつらの視線が恐怖に歪む様は愉快だったよ。あなたにも見せたかった。周りでいつも見ていた奴らも青ざめた顔をしてさ。……明日には皆忘れちゃうのが残念だけど」

「それで、あなたは何がしたかったの?」

「自信をつけたかった。その気になればなんでもできるって。これで、やっと変われる気がする。明日から――、次の明日からは私は生まれ変わるの。もういじめの標的になることなんてない」

 凛音は冷めた目で有香を見てた。

「……あなたはまだそんな目で見るのね。まあいいわ、あなたをもう一度殺して、私は生まれ変わる!」 

 有香はそう言うと包丁を振りかざして凛音に飛びかかった。

 それを見て尚輝は反射的に凛音の前に立ちはだかる。そしていつの間にか取り出したナイフで有香の包丁を弾き飛ばした。

「くっ!」

 有香はよろめいて後ずさった。

「何、あなたは?」

 有香は今になってようやく尚輝の存在に気が付いたようだった。

「偉いわね。ちゃんと持ち歩いてたのね」

 凛音は感心したようにいった。 

「言いつけだからね。僕を呼んだのはこのため?」

 有香のことを無視して尚輝は後ろの凛音に尋ねた。

「いいえ、さっきも言ったようにただ知ってもらいたかったの。私のことを間違った人に伝えるとどうなるか」

「なるほどね。君の危惧していたことが理解できたよ」

「何? ねえ何なの!」

 有香は二人の会話が理解できず、また自分の思い通りに事が運ばないせいでヒステリックに叫んだ。

「残念だけど、この『今日』のことをあなたは忘れるの」

 凛音は朝に言いそびれたことを伝えた。

「はあ?」

「一応、私なりにあなたを助けようとしたのよ。だけど残念ね、あなたにはその資格がないみたい」

「じゃあ、私はどうなるっていうの!」

「さあ? 一度の目『今日』に私が屋上に居たのは本当に偶然。次の『今日』にはいかないことにするわ。あなたは変わらず屋上に行くだろうし、フェンスを飛び越えて淵に立っているでしょうね。そこからはもう私はわからない。私と出会わなかったあなたは果たして飛ぶのかしら? 飛ばないのかしら?」

 凛音の言葉を理解して有香は青ざめた。

「いや……死にたくない。ねえ、私を助けようとしてくれたんでしょ。どうして? 私を見殺しにするの?」

「あんなに死にたがっていたじゃない? それに見殺しとは人聞きが悪いわね。飛ぶかどうかはあなた次第よ。それに人を殺してから、生きたくなったなんて、都合がいいんじゃない?」

「うるさい……、この、人殺し!」

 有香は怒りに満ちた目で凛音を睨みつけた。

「あなたに言われたくないわ。でもまあ、一応謝っておくわ。ごめんなさい」 

 凛音の言葉には一欠けらも誠意がなかった。尚輝はただ苦笑いを浮かべるばかりだった。「もういい、ようはあなたを殺せばいいんでしょ!」

 有香は落ちた包丁を拾いに走った。

「平野君、さあ、私を殺して」

「えっ?」

 凛音の方を振り向いた尚輝は戸惑いの表情を浮かべた。

「私がそこから飛べば解決する話だけど、わかるでしょ?」

「うん、そうしないと君の伝えたかったことを僕は忘れてしまう」

「よろしい」

 尚輝はゆっくりと深呼吸してナイフを持ち直した。

「あ……」

 有香の目に飛び込んでいたのは、尚輝が凛音に深くナイフを突き立てているところだった。

 


 そして、世界は戻る。



 嗚呼、また朝が来たと、目が覚めた瞬間、有香はため息をついた。

 のろのろとベッドから起き上がり制服へと着替えた。

 用意された朝食を押しこむようにして食べた。

「はあ……」

 家を出る前に重く、大きな溜め息を一つ付いた。

 そして、 

「死にたい」

 そう呟きながら有香は学校へ向かって歩いていった。


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