表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
逆行少女  作者: 七七日
2/3

little cub

「ふんふーん」

 俺は最近上機嫌だった。

 その訳は、ついに念願のバイクを手に入れたからである。

 まあ、バイクと言っても原付で、しかも中古だが……、それでも保険や整備費などをいれると結構な値段になった。

 学校にばれないように、こそこそとバイトすること約一年、ようやく購入することができた愛車のリトルカブ。

 カブやゴリラといったバイクは改造のしやすさから購入してからの楽しみの方が多い。だからこれからもバイトに勤しみ、色々と手を加えていく予定だ。

 このリトルカブのおかげで片道四十分もかかっていた学校への道のりも今は十五分ほどで行けるようになった。

 もちろん学校へのバイク通学は禁止だ。しかし運のいいことに学校から歩いて二分というところに住む友人の竹川がいるので、毎朝その友人宅にバイクを停めさせてもらっている。

 ヘルメットを購入する際、ジェットか半キャップのものにしようとおもったが、顔を隠すために色の入ったフルフェイスのヘルメットにした。

 原付にフルフェイスのヘルメットというのは思いのほか不格好だが用心にこしたことはない。また学生服の上からコートを羽織るなど、さらに徹底した。

「よう」

 竹川低の駐輪所にリトルカブを停めたとき、丁度玄関から竹川が顔を現した。

「よー。……朝っぱらから良い笑顔だなお前は」

 寝起きなのか、あくびを噛み殺しながら竹川はそう言った。

「おう。今週の俺はちょとやそっとじゃ怒らないから安心しな」

「そう? 実は昨日、弟が自転車使おうとしたとき、うっかりお前のバイクにぶかって倒しちゃったとか――」

「なんだとー!」

 俺は殴りかかるような勢いで竹川に詰め寄った。

「冗談だよ……」

 竹川は若干引き気味でそう言った。

「まったく。性質が悪い冗談だ」

 冗談だと言われても俺はバイクに駆け寄り異常がないか車体に目を光らせた。見たところ元々あった傷以外は傷はないようだった。

「いつまで点検してんだよ。いくぞ」

「ああ」

 俺はコートを脱いでリトルカブへと掛けた。

 そして最後に愛でるようにシートを撫でてからその場を後にし、学校へ向かった。



 授業中では始終リトルカブの改造について携帯で調べていた。

 マフラーの変え方、ボアアップ、キャブ調整、カスタムパーツなどなど、やってみたいことはたくさんあった。

 しかし何をやるにしても工具が必要不可欠だ。悲しいかな、家にある工具といったら大きさの違うプラス、マイナスのドライバーぐらいしかない。

 工具セット……、そう打ち込んで検索してみた。

 安くて一万円から、上はきりがない。

 やはり工具は長く使うものだから最初はそれなりのものをそろえたいと思った。安物買いの銭失いはごめんだ。

 よし……。

 取りあえず次の給料の使い道は工具セットへと決まった。

 次は遠出の計画へと思いをはせた。

 原付といえ、あるとないとじゃ行動範囲が格段に違う。

 自転車では一日かけて、行って帰っていくだけが限度の遠い街へだって気軽に行けるようになった。自転車と違い体力を使うこともあまりない。その代わりガソリン代はかかるが、俺のリトルカブの燃費はリッター50と驚異的に燃費がいい。なので財布に優しい。

 父親の古いワゴン車が約リッター9と言っていたのでその五倍以上もある。ただしガソリンタンクが小さく4リットルしか入らないのが玉に瑕……。

 それでも一回の給油でも単純計算で200km先へも行ける。

 県内はもちろん、県外へだって旅立つことができる。

 夏休みまでに費用をためて、どこか遠くへ一週間ぐらいかけて旅立つ計画をたてている。

 具体的に何処に向かうかなどはまだ全然決めてないが、兎に角、遠くまだ行ったことのない地へ、リトルカブと寝袋と、あとは必要最低限の物だけを持って旅に出るのが今の小さな目標だ。 

 空想しているうちに夢がどんどんと膨れ上がっていく。

 北へ行こうか、南へ行こうか、夏だったら北の方が涼しくていいかな?

 夏休みが待ち遠しい。しかしそのためには費用を蓄えねば。

 部活もせず、友達と遊ぶこともせず放課後はひたすらバイト。

 竹川は今のこの状況を憐れむように「高校生活は今しかないんだぞ? 十代のうちにもっと青春らしいことしろよ」なんて言うが、今だからこそだ。

 確かに、他にバイクに興味のあるやつは他に見当たらないし、バイトの愚痴をいう友達もいない。

 誰とも分かち合えない、孤独な青春かもしれない。

 それでも俺は満足だ。今一番楽しいと思うことをやって何が悪い。

 俺は声高らかに言おう。誰にも恥じることなく青春していると。



 しかし、放課後に教室で笑いあってこの後の予定を立てている奴らや、グラウンドで汗を流している奴らを横目にいそいそとバイトに向かうのは少し心にくるものがある。

 確かにお前らは俺にないものを持っている、だけど俺もお前らにないものをもっているんだ。

 そう強がっては早足で竹川低へと足を運んだ。

 駐輪所には朝と変わらない愛しのリトルカブの姿があった。

 コートを羽織り、ヘルメットおを装着し、キックペダルと蹴ってエンジンをかけた。

 バイト先は家の近くなので自然を家に帰る道をたどることになる。

 しか今日はバイトまでまだかなり時間があったので遠回りし、いろんな道を回って帰ろうと思った。

 ほんの気まぐれだった。

 右に左に、赴くままにハンドルを切った。

 暫くすると見知らぬところに迷い込み、今自分が何処にいるのか分からなくなった。だけどそれが楽しかった。

 いざとなったら携帯の地図機能を使えば迷うことなく家に帰れる。だから見知らぬ道でも自由に走った。

 そして調子に乗ってしまった。

 住宅街に迷い込んだ。道路も広く、人通りがまったくなかったので俺は調子に乗ってスピードを出していた。

 そして、たいして確認もせずにカーブを曲がった。

 人影を捉えたときにはもう手遅れだった。

 急いでハンドルを切ったが間に合わず正面から衝突した。

 俺はバイクから放り出されアスファルトの上に転がった。

「うう……」

 体をあちこち打ち付け動けるようになるまで暫くかかった。

 顔を上げて真っ先に飛び込んできたのは、電柱にぶつかったあられないリトルカブの姿だった。

 ヘッドライトは割れ中の配線が飛び出ていた。フロントフォークは歪み、マフラーは大きくへこんでいた。

 無残な姿を見て、昔買っていた猫が車に轢かれているところを見つけたときの記憶がフラッシュバックした。

「ああ……」

 思わず泣きそうになったが、もっと大事なことを思い出した。

「そうだ、俺は人を……」

 周りを見渡すと少し離れた所に少女が倒れていた。

 痛む身体に鞭を打ち少女に駆け寄った。

「だ、大丈夫ですかっ!」

 少女の身体の何処からか地が溢れ、すぐにそれは水たまりのように辺りに広がった。

「ああ……」

 どうする? どうする? 

 パニックになってうまく思考が働かない。体も硬直したように動かない。

 俺は血だまりの上にへたり込んで少女の顔をただ見つめるだけだった。

 そして、こんな状況にも関わらず俺はふと思い出した。

 彼女の顔はどこかで見たことがある。よく見ると同じ学校の制服だった。

 そうだ、竹川が前に行っていた。


――隣のクラスにすごい綺麗な子がいるんだぜ。

――ふうん。

 俺は興味なさげに頷いた。

――ほらこれ見ろって。

――盗撮か?

 竹川の携帯には席に座り本を読む一人の少女が映っていた。

――綺麗だろ?

――まあ、そうだな。

――全くお前は……。バイクが恋人か?

――うるせえよ。

 バイトで疲れ切っていた俺は人と話す気分ではなかった。

――彼女、こんな綺麗なのに今フリーらしいぜ。それどころかいつも一人でいて友達もあまりいないらしい。

――ああ、そう。

――なんかお前に似てるな。

――うるせえよ。


 そのあと、隣のクラスを通るときに廊下から何度か彼女を見かけた。

 竹川の言っていた通り、いつも一人で席に座っていた。

 竹川に言われたせいもあってか俺は彼女に妙な親近感を抱いていた。

 俺にも話す友達なんて片手で数えるぐらいしかいない。

 クラス全員の名前を言えるかと訊かれればそれは怪しい。

 それでも隣のクラスの彼女の名前は覚えていた。

 そう、確か――


「時宮凛音」


 そうだ、時宮凛音だ。最近はあまり見かけなかったからすっかり忘れていた。

 なんてこった、よりにもよって同級生を轢いてしまったのか。

 くそっ……、くだらない思いを巡らしているうちにも彼女の血はどんどんと溢れている。

「時宮! おい、大丈夫か!」

 呼びかけても彼女の目は堅く閉じられている。

「そうだ、救急車」

 いまさらながら思いついた自分を恨めしく思った。

 急いで携帯を取り出し119を押した。

「火事ですか? 救急ですか?」

「えっと、あの救急です」

 そうだ、此処はどこだ?

 場所を伝えられなければ意味がない。

「すいませんっ!」

 そう言って一旦、通話を切った

 次に地図アプリを起動し現在地を確認しようとした。

「…………」

 彼女が何か言ったような気がしてすぐに目を向けた?

「気が付いたのか?」

 目は依然として閉じられたままだが口だけが微かに動いている。

 俺はなんとか聴きとろうと彼女に意識を集中した。


――君に殺されたのは初めてだね。


「えっ……」

 実際に声にはなっていない。しかし口の動きを読む限りそう言ったように聴こえた。

 彼女の言葉の意味が分からず一瞬固まったがすぐに目的を思い出し携帯を操作した。

 現在位置を確認し、再び119をコールしようとしたとき、世界が反転した。 



 携帯を手にし、血だまりの上にいた俺はなぜか、ベッドの上に横たわっていた。

「はっ?」

 今まで生きてきた人生でこれほどの戸惑いと困惑はなかっただろう。この先の人生でもそうそう起こることはないだろう。

「……」

 此処は何処だ?

 いや、落ち着け。見慣れた天井、見慣れた家具……俺の部屋だ。

 心臓がいつもの倍のスピードで拍動している。嫌な汗が全身から噴き出してきた。

 意味もなく右手を目の前でわしわしと、握っては閉じを繰り返した。

「夢……だったのか?」

 そんなバカな。

 アスファルトに打ち付けられた時の痛みを、周りに充満した血の匂いを、途方もない絶望を、どれも鮮明に覚えていた。

 なにせ、体感でそれはほんの数秒前のことなのだ

 時計を見ると七時半を少し過ぎた頃だった。ただそれがいつの時刻かわからない。携帯を開き日付を確認すると変わらず今日のままだった。

 窓を開けて空を見ると太陽が西から東に移動していた。

 寝間着姿の自分、ベッドの上、東にある太陽、これらから導き出される答えは……。

 時間が戻った?

「はっ」

 そんなバカな、と俺は浮かんだ考えを笑い飛ばした。

 それではやはり夢だった?

 もう、そう思いこむしかなかった。

「あら、おはよう」

 部屋から出た俺に母はそう挨拶した。

「おはよ……」

 母の服装は夢で見たものと同じだった。

「今日は会議があるからもう行くわね」

 その台詞も訊くのは二度目だった。

 ダイニングに行くと朝食が用意されていた。

 メニューはフレンチトーストで蜂蜜をかけようとテーブルの上の容器に手を掛けるも中身は空っぽ……。

 全てが二度目の経験だった。

 既視感というレベルではなかった。

 作ってもらっておいて悪いとは思ったが今は何も喉を通る気がしなかった。

 まだ気持ちの整理が付かず、意識もうまく働かなかった。

 服を脱いで全身鏡の前に立った。アスファルトに打ちつけられ少なからず自分も傷をおったはずだがどこにも外傷は見受けられなかった。もちろん何処も痛くない。

 そうだ、自分も無事ということはリトルカブも……?

 いそいで外に飛び出し自転車の横に留められているリトルカブへ駆け寄った。

 まだ網膜に焼き付いている無残な姿は何処にもなく、昨日と変わらぬ姿で愛車は凛としてそこにあった。

 そのことに安堵した。

 ということは彼女――時宮凛音も無事だろうか? 

 人命よりも、バイクを優先して心配したことに自己嫌悪を覚えた。

 今すぐ確かめに行きたがったが、恐怖心もあった。バイクは直すことができるが人の命は失われたら決して戻らないからだ。


「よう」

 結局いつもどおりに学校に向かい、竹川低にバイクを停めて、同じように家から出てきた竹川に同じように声をかけた。

「よー。……なんか顔色悪いぜ、大丈夫か?」

「ああ、ちょっと寝不足でな」

 予想していた竹川の第一声とは違って驚いた。だが少し考えれば納得がいった。夢、と仮定した俺と今の俺は違うのだ。思えば朝食を残すなど夢の中の俺とは違った行動をとっている。

 やはりこれは二度目だからなのか……。

「行こうぜ」

「ああ……」

 いつもなら何かしら話しかけてくる竹川だったが、今は俺と同様口を開くことはなかった。

 それほど今の俺は顔色が悪いのだろうか。しかし、こんなことがあっていつも通り普通に振る舞えというほうが無理な話だ。

 校舎に入り、階段を上る。自分の教室が、そして時宮凛音が在籍するクラスが見えてきた。

 鼓動が早まり、脇の下に嫌な汗が伝った。

 時宮凛音のクラスの前で俺は足を止めた。廊下からそっと中を窺う。

「どうした?」

 竹下の声には耳を貸さず必死で時宮凛音の姿を探した。

 よかった……、いた。 

 彼女は既に登校していて一番後ろの席で姿勢を正して本を読んでいた。

 違うクラスの奴が、ドアの前に立っているので中にいる生徒は奇異な視線を容赦なく俺に向けてきた。

「おい、どうしたんだよ」

「いや、なんでもない」

 彼女の無事を確認し、安心して自分の教室へ向かおうとした。そのとき彼女が一瞬視線をこちらに向けて薄く笑った。

 その笑みは他の生徒のそれとは違う意味を含んでいるような気がなんとなくした。

 そして今更ながら彼女の最後の言葉を思い出した。


――君に殺されるのは初めてだね。


 その言葉が頭から離れなかった。

 もはや夏休みの旅計画を考える余裕など無くなっていた。

 このままあの経験を夢として終わらせていいのか。

 昼休みにでも彼女と会って話してみようか。

 だけどなんと言って切りだす? 君を轢いてしまったんだけど覚えてる? なんてこれじゃただのいかれた奴だ。

 良い案は浮かばないまま昼休みは過ぎていった。

 何でもいい、兎に角、話しかけよう。おかしい奴と思われようと構わない。彼女が何も知らないって言えば、それはそれで、やはりあれは夢だったということだ。それ以外説明が付かない。

 よし……。

 最後のホームルームが終わり、俺は隣のクラスへ行こうと意を決して顔を上げた。

 そこには意外な光景があった。

「平野君、ちょっといい?」 

 教室のドアを開き、クラス中の生徒の視線を集めながら澄んだ声でそう言ったのは時宮凛音だった。

 それを見て俺はあれが夢なんかではないことを知った。

「お前、知り合いだったのか?」

 驚いた眼をして竹川は言った。

「ああ、ちょっとな」

 それだけ言うと俺はそそくさと教室を出た。

 俺が付いてくるのを見るや、彼女は何も言わず歩き出した。俺も口を閉ざしただ後をついて言った。

 行き着いた先は音楽準備室だった。

 この周辺の部屋は主に各教材の物置として使われている部屋が多く、よく不良が隠れて煙草を吸っているなど噂が行き交い、一般生徒はあまり近づかないエリアだった。

 不用心にも音楽準備室の鍵は開いており、彼女は躊躇うことなく中へはいって行った。

 俺もそれに続き中に入りドアを閉めた。

「さて、と……」

 彼女は丸椅子に座り、何から話そうかという表情で思案に耽った。

 俺は腰を落ち着ける気分にもなれず、直立不動で彼女の言葉を待った。

「君は、隣のクラスの平野尚輝ひらのなおきだね」

「あ、はい」

 彼女が自分の名前を知っていることに驚いた。

「では平野君、君は私のことを知っていた?

「……ああ、友達からちょっと聴いて、顔と名前くらいだけど」

 どうして知っているのかは竹川の名誉のために話すのを憚られた。

「そう……、じゃあ君は戻ったんだね?」

 何を言ってるんだこの少女は、と普通はなるところだが、今の俺にはその言葉がすんなりと受け入れられた。

「ああ……、気づくと朝に戻ってた」

 やはり夢ではなかった。

 あんなリアリティのある夢などないだろう。ただ、夢だと思いこもうとしていただけだ、時間が戻るなんてありえないと。

「ふう……、学校で殺られたらこれだから面倒くさい。あ、今回は一応外か」

「やられたって……?」

「え? ああ、殺されたってこと」

 半ば予想していたが実際に言葉に出されるとずっしりと重いものがくる。

 嗚呼、やはり戻ったとはいえ、俺は一度彼女を殺したんだ。血だまりの中に倒れる彼女を思い返し、とてつもない罪悪感が込み上げてきた。

「じゃ……」

 彼女は徐に立ち上がり短くそう言うと部屋を出ていこうとした。

「ちょっと! 待ってくれよ。どういうことなんだ?」

「大丈夫、明日に……、いえ今日の朝にはもう忘れてるから」

「待って、また時が戻るっていうのか?」

 俺は彼女の手をつかんで引き留めた。

「そう、その頃には今日のことも、前の今日で私を轢き殺したことも全部忘れてるから安心して」

「どういうことだよ……」

 今日が無限ループでもしているっていうのか。

「君の記憶の維持は一過性のもので一度きり。もう一度君が私を殺せば別で計三回、今日を送ることになるのだけど。それでこの今日で私が死ねばまた世界は戻り、君が記憶を維持した今日はなくなる。今の君は二回目の今日だけど次には一回目に戻るってわけ」

 彼女は面倒くさそうにそう説明した。

 そして俺の手を振り払った。

「待てよ。納得できないって、そんなんじゃ。……謝ることもさせてくれないのかよ」

「……はあ」

 俺の必死の言葉が届いたのか、大きな溜め息をつきつつも椅子へと戻ってくれた。

「じゃあ簡潔に言うよ。私は因果律に囚われているの、死なないって因果律に。もしなんらかの形で私が死ぬことになったら因果律が働きその世界は私の意識が途切れるところまで巻き戻される。私の記憶は維持したまま。

 そして私を私として認識し、自分が殺したと認知したものも戻った世界で記憶が維持される。なぜかは私も分からない。 

 さらにもう一つ私は他人の因果律に巻き込まれやすい、言いかえると他人の行動によって死に易い。死なないけど、死に易い。そんな皮肉な存在。

 だから君もそんなに気に病むことはないし、私も恨んじゃいない。私が勝手に巻き込まれたみたいなものだから」

 彼女は一気にそう言った。

 まるで何度も吐いてきた台詞のように止まることなくすらすらと。

 彼女の説明は理解に苦しむものだったがこの状況でも信じるしかなかった。

「でも、もう一回戻るってどうやって?」

「簡単よ。もう一回死ねばいいの。誰の手にもかからずに」

「そう、例えばこんなふうに……」

 彼女は悪戯に微笑んで言った。

 そしていつの間にか彼女の右手にはナイフが握られていた。

 それを自分に向け何の躊躇いもなく突き刺そうとした。

「やめろ!」

 俺は反射的にそう叫んで彼女に飛びかかった。

 ナイフの刃の部分をつかみ彼女の手から取り上げた。

 その瞬間、激痛が走り、血が溢れ床に零れた。

「……何するの?」

 彼女は床に尻もちをつき驚いた眼で俺を見ていた。

「それはこっちの台詞だ! 今何しようとした」

「死のうとした」

「……どうして?」

 ナイフを強く握ったせいか結構深くまで切れてしまったようだ。だらだらと血は流れ続け止まる気配がない。

「言ったでしょ。死なないと戻れないの」

「だからって……、痛くないのかよ、そんなもので自分の身体を刺して」

「痛いよ、物凄く。でも、もう慣れっこだから。知人にこのことがばれる度に私はこうやってきた」

 どこか達観したように彼女は言った。

 そんな彼女の人生を想像すると心が引き裂かれるような思いがした。

「誰も知らないのか?」

「いえ、何人かは知ってる。でもその人たちは知られても害がないと判断した人たちだし、それぞれ誰か把握している。……私の偽善的なきまぐれ巻き込まれた人たち」

 最後の言葉の意味はよくわからなかったが、今はそんなことを訊き返す気にはなれなかった。

「俺は害がありそうか?」

「まあ、一見して無害そうだけど……。戻るのは君のためでもあるの。一応君は人を殺した。今でも少なからず罪悪感をかかえているはず。それにこんな経験をして今までの常識が覆されたかもしれない。

 ……君がこれからの生活を今まで通り普通に送るには私が死ぬのが一番なの」

「……」

 言っていることは理解できる。理にもかなっている。しかし素直には納得できない。

 俺のせいで轢き殺されて、さらに俺が殺したせいで今度は自殺しなきゃいけない。そんなの俺が二度も殺すも同然じゃないか。

「分かった?」

 彼女は諭すように言った。

「分かった……でも!」

 俺は勢いよく地面を床にこすりつけ土下座した。

 彼女はいきなりの俺の行動に驚いたように一瞬身体をびくっと震わせた。

 そして精一杯の誠意をこめて叫んだ。

「ごめんなさい! 君は俺のせいじゃないといったがあのとき俺が荒い運転をしていたのも事実だ。謝って済むことじゃないかもしれない。本来なら刑務所行きだ。そして……一度じゃなく二度までも俺のせいで君を死ななきゃいけないことも本当に申し訳なく思う」

 彼女は黙って聞いていた。

 この部屋が防音で助かった。こんな大声を出せば人が寄り付かない教室といえ、誰かが気付いたことだろう。

 俺はさらに言葉を続けた。

「俺はきっと君の苦しみの十分の一も理解できていないと思う。だけど今まで何度も死を繰り返すのは楽なことじゃないだろう。戻るって言ったって記憶が維持されるなら痛みや苦しみも維持されるってことだろ? ……いくら慣れてしまったとしても、そんなのは悲しすぎる。だから、残りの今日一日、俺をどう使ってくれてもいい。また戻って記憶がなくなるんだ。どんなことでも命令してくれてもいい。ストレスの発散に痛めつけてくれてもいい。このナイフで刺し殺してくれてもいい。一瞬でも、忘れてしまうとしても少しは君の苦しみを、痛みを理解できるかもしれない」

 頭を床にこすりつけたまま俺はそう言った。

 何が正しいか、どうすることが、彼女にとって、俺にとって一番いいことなのか、この混乱した頭ではもう判断できなかった。

 ただ、悲しかった。

 彼女の話を聞いてそれがどんなに悲しいことか、想像すらままならないけど、悲しいことは確かだ。

「こんなことを言ったのは君は初めて。……取りあえず頭を上げて」

 姿勢はそのままで頭だけを少し上げた。

 目に移ったのはあきれ顔で腕を組んでいる彼女の姿だった。

「私には、人を痛めつける趣味はないし、ましてや切り刻むような趣味なんてないのだけれど」

 確かに今思えば俺の言葉は彼女を変態扱いしただけかもしれない、と今さらながら過ちに気付いた。

「確かに、傷は残らないけど、痛みや苦しみの記憶は残る。だけど本当にもう慣れてしまったの」

 彼女は自嘲気味にそう呟いた。

「それでも、痛いし、苦しいだろう?」

「そうね、慣れてしまっても、痛いのや苦しいのは好きじゃない。だから今は何処を刺せば痛みを感じること泣く死ぬことができるか熟知しているよ」

 得意げにそう言った彼女に俺は引きつった笑顔しか返すことしかできなかたった。

「ねえ、もし今日私が死ななかったら君のその手の傷も、私を殺した記憶もこれからずっと残るんだよ。それでもいいの?」

「これぐらい、軽いもんさ」

 躊躇うことなく俺は言った。

 彼女は値踏みする様に俺を見つめた。

 俺も目をそらすことなくまっすぐに彼女の目を見た。

 彼女はゆっくりと一度瞬きをした。そして、ぶっきらぼうに言った。

「それ、あげる」

 視線の先には血まみれで床に転がっているナイフがあった。

 ナイフに注意を注いでいるうちに彼女はすたすたと部屋を出ていこうとした。

 俺が呼びとめる前に振り返って彼女は言った。

「床の血、ちゃんと拭いておいてね。あと……」

 一瞬間をおいて、そして、

「私が殺してっていったときは協力してね」

 薄ら笑いを浮かべてそう言った。



 次の日、目覚めるとまっさきに日付を確認した。ちゃんと次の日になっていた。

 既視感を覚えることもない。いつも通りの朝を迎えた。


――二度の昨日を覚えているまま。

 

リトルカブも買ったときの姿のままそこにあった。一度は大破したがその面影は何処にもない。ただ、あまり素直には喜べなかった。

 彼女から譲り受けた、というか押しつけられたナイフをいつも持ち歩くことにした。

 持ち物検査なんかがあったら停学ものかもしれない。

 それでも肌身離さず携帯している。

 彼女を殺すために。

 彼女――時宮凛音のためならこの手を血で汚すことになろうと、なんであろうと成そうと心に決めた。


読んでくださってありがとうございます^^

感想、一言などありましたら遠慮なくどんどんいっちゃってください~


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ