ヤグチの話
「今日一緒に帰ろ」ヤグチがホウキを持ちながら言った。
「…なんで?」
「オレの話をまだ全然聞いてないから」
「明日じゃダメかな」
私はゴトウハルカに話が聞かれていないかどうか気になってチラチラと見てしまう。
それに今日は、やっぱり高森の所に行っておこうと思ったのだ。
「お前のためにも今日聞いといた方がいいと思うけど?」
またお前って言いやがった。よりによってゴトウハルカと同じ空間で。
だが何の心配もいらなかった。
なぜならゴトウハルカはこちらの事を全く気にしていないからだ。
切ないな!
そして私はここで急に高森とヤグチの抱き合う絵を思い出してしまった。
どうしよう…スズキナツミには怒られそうだけど、何か笑っちゃいそう。ウソついてスズキナツミとヤグチを高森の所へ行かそうかな。もちろん私無しで。そして私はドアの隙間からそれをこっそりと覗くのだ。
ゴトウハルカには一瞥もされなかったが、うちのクラスのカワノリョウヘイとミキモトシホがちらちらとこちらを見てくる。
この2人は結構噂話が好きでおしゃべりだ。ヤグチと私の事を誰にも言わないで欲しい。
明日からしばらく登校拒否したら、桜井と高森も30人分の話を聞くってミッションを水に流してくれないかな。
いやダメだ。登校拒否なんかしたら親に騒がれる。
母さんに毎日煩く騒がれるのと桜井のミッションを比べたら、母さんに煩く騒がれる方が私は嫌かもしれない。
今日はオオツブライ君と約束してるから、とヤグチに言ってしまいたいがもちろん言えない。
ツブツブが「一緒に帰ろう」と言ってくれたのは、残念だけど夢の中の話だ。
今日で3人分の話を聞き終えるためには、ここでヤグチの話を聞いておいた方がいいが一緒に帰るのは嫌だ。
ヤグチは目立つし、ヤグチの事を好きな派手目の女子に良く思われなさそう。
「ごめん、」結構私にしては明るい感じをつくりながら言う。「今日高森にも朝断っちゃったんだけど、桜井先生に伝えて欲しい事があって、やっぱ高森のとこに行こうと思ってんだよね。悪いんだけど休み時間とかに話してくれないかな」
ちっ、とヤグチは舌打ちした。舌打ちしやがったコイツ…
が、ヤグチは私がそう思って嫌な顔をしたとたんにっこりと笑って「わかった」と言った。
4時限目の終わりの挨拶とともにヤグチが後ろを向いた。
私の机に肘をついて顎をのせ、私の顔をまじまじと見つめてくるので私は少し椅子を後ろへ引く。
「…何?」
「昨日のお茶まずかった?」ヤグチが不敵に笑いながら聞いた。
お茶?
…お茶の話はヤグチにはしてないはず…
コイツ何で知ってんの!?
私がサクラちゃんたちに話してるのを聞いたのか?
「オレも呼ばれてた」
「え?」
「昨日桜井にオレも呼ばれてたの」
「…」うそでしょ?
「何でだと思う?」とヤグチが笑うのが嫌だ。
「…わかんない。ねえウソでしょ?」
「何でだか当ててみ」
「わかんないって!」
「出席番号が最後から2番目だから」
「うそ…」
「うそじゃねぇって。聞いてたよ。お前が桜井に説明されてんの」
「どこで!」
大きな声を出してしまい、近くにいた何人かが振り向いたので慌てる。
「控室の奥にあるちっちゃくて汚い応接間?みたいなとこで待たされてた」
「うそ…」
「だから!うそじゃねぇって」
「何のために?私だけが頼まれたんじゃなかったって事?」
「いや、お前だけが頼まれたんだと思うけど」
「?…じゃあ…何でいたの?」
「いろって言われたから」
「…」
意味がわかんない。何のために?
「見届けるためらしいけど」ヤグチが言う。
見届ける?どういう事?
「私がちゃんと30人分の話を聞くかどうかって事を?」
桜井は私の事を信じていないのだ。
いや信じるも何も、私がまだ桜井の話を信じ切れてはいないけど。
でも私にはヤグチの事なんて全く何も教えてくれていないのに。ひどい…
「何で…」とつぶやいた私にヤグチが答える。
「出席番号が最後から2番目だから?」
それはもういい。桜井め。私を舐めやがって。
「私がちゃんとみんなの話を聞かなそうだからって事?」
「いや。お前はちゃんと話を受け入れてたよな」
私は受け入れたのか?
いや違う。私が受け入れようが入れまいが、みんなが私に話をしにくると桜井に言われたのだ。
「なんだかんだ言いながら、」ヤグチが言う。「最後には『わかりました』って言ってたからちょっとびっくりしたわ。受け入れたなオイ、と思って。普通だったら、桜井の事頭おかしいと思って、速攻騒いで逃げ出すとこだろ?それか、からかってんのかなって思って、笑いながらあそこからフェイドアウトって感じだろ?なのにお前は『わかりました』とか言うから」
ヤグチは面白そうに笑った。
面白くねぇよ。胸の内で言いながら私はヤグチを睨みつける。
桜井ひどいな。許せない。どうしてヤグチなんかに話を聞かせるんだろう。しかもそれをヤグチは知っていて私は知らなかったなんて。
「聞いてたんでしょ?なら、私が最初断ったけど、先生がどうせみんな話にくるよって言ってんの聞いてなかったの?ていうか私、用事ありましたって帰ろうとしたけど、高森や田代ミカまで加わって私はあそこに軽く閉じ込められたような感じだったんだって!だから私は仕方なくわかりましたって言ったの!あの部屋から出たかったから。高森に変なお茶まで飲まされて、帰りだって気分悪くなって大変だったんだよ。いたんなら助けてくれたら良かったじゃん!」
「マジで?」とヤグチが少し驚いている。「帰りちゃんと帰れたの?」
「帰れたけど。オオツブライ君に送ってもらって」
「オオツブに?」
そしてヤグチは小さい声で「くそっ」と言った。
「ねぇ本当は応接間で聞いてたっていうの、ウソなんじゃないの?」
「いいや。お前3組のゴトウが好きなんだな。掃除が一緒のやつだろ?」
ゴトウハルカのくだりまで聞かれてた!
このクラスの男子が2,3人私の事を好きっていう設定も聞かれたんだ…
超恥ずかしい!
そうか!だからヤグチは面白がって、「映画見に行こう」とか言い出してんの?感じ悪いな…私の事をバカにしてんのか!
私だって別にそんな設定、自分から望んだわけじゃないのに。
やっぱり今日絶対高森の所に行かなくちゃ。
「ねぇ見届けるって何?具体的にヤグチ君は桜井先生に何て言われたの?」
私は全部聞かれてた恥ずかしさをどうにか顔に出さないようにヤグチに聞いた。
それには答えないヤグチが言う。「今日高森のとこ行くの、一緒に行ってやるから。それで一緒に帰ろ。オレの話まだ続くし、また高森に変なもん飲まされたらマズいだろ?」
いや、今日は何も飲まないし。
それにヤグチの事も高森に確認しておかないといけないから、ヤグチは一緒じゃない方がいい。
「オレはお前を助けるんだよ」
「…」何言ってんだヤグチ。「…助けろって言われたの?」
「いや言われてない。でも助けなきゃいけないような気がしてきた」
「私がお茶飲まされたの、面白そうに言ったくせに?」
「そんなヤバい感じだとは思わなかったって。わかってたらオレが家まで送ってた。だから余計に今そう思ってんの!オレの役目はお前を助ける事だな」
私はヤグチをちゃんと見つめて真剣に問いただす。
「本当の本当は桜井にどうしろって言われたの?」
「見届けろって」
「それ、なんで引き受けたの?」
「お前が引き受けたから」
「だから私は引き受けてないんだって。私がどう思おうが、みんなは私の所に話をしにくるって先生が言うから。だからもう『わかりました』って言ったの。断っても無駄な感じだったから。それに…断ったら何かもっとヤバい事になりそうで怖かったし。高森にお茶飲まされたし。ヤグチ君もなんか飲まされたんじゃないの?」
だって私を助けるとかわけわかんない事言い出してるもんね。
「いや。でも田代ミカが煎餅くれた」
ああ、煎餅か。バリバリ食べてたもんね。
私がヤグチを憐れんだ目で見つめたところでチャイムが鳴った。




