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桜井先生の説明

 私の名前は山根薫。

 ヤマネ、カオル、だ。出席番号は31番。クラスで一番最後。

 だから担任の桜井先生に呼ばれた。



 放課後、帰り支度をして2年担任の職員控室に先生を訪ねた私に「山根?」と先生は言った。


 先生は年寄りだ。アインシュタインを東洋人にしたような感じで、ぼさぼさの、白髪が半分くらい混ざった頭。

 一見ゆったりとしているようにも思えるが、飄々としながらもこの世の事を何でも知っている抜け目のない中国の昔話に出てくる老人のような、そんな雰囲気を持っている。

 担当の世界史の授業も面白いし私は好きだった。

 昨日までは。…いや、この放課後職員控室を尋ねるまではだ。



 職員控室のドアを開けたまま「はい」と答えた私に先生は手招きをして言った。「ドアを閉めてね」

 先生の机は一番奥だ。椅子に掛ける先生のすぐ横に丸い木製の椅子が用意してあり、そこに掛けるように言われた。

「今日君を呼んだのはね」先生は優しく私に語りかけてきた。

 高校の先生というよりどこか田舎の書道教室の先生、という感じもする。


 先生は言った。

「私が君を選んだのは、まず君が出席番号順の一番最後だから」

「…はい」と私は返事をするが何に選ばれたのかがわからない。

「クラスの全員が、まぁ全員つってももちろん君を除くんだけど、その全員がね、何らかの形で君に話をしにきます。それは相談であったり、愚痴であったり、告白だったりね」

ふん?という感じで先生が私を覗き込んできたので「聞いてます」と私は言った。

「ああ、そう。それならいいんだけど」


 聞いてはいるけど相槌は打てない。全く話が見えないからだ。

「あの、先生…」と言いかけるが先生は説明を続ける。

「君はそれを聞いて3人、いや4人の違和感のあるものを選んで欲しい」


「…違和感…ですか?」

3人か4人の?教室に居る仲間外れを探れって事?

何のために?

「何のためにっていうか」と先生が言うのでへ?と思う。私は今、口に出さなかったのに。

「仲間外れっていう意味でもないんだよ」

先生は少し微笑みながら言った。

 あれ…何かものすごく怖い。

「いや怖くはないよ」と先生が面白そうに言うので、私は完璧に恐れをなした。

 がたん、と、椅子から立ち上がる。


 今この2年担当の職員控室には3人の教師がいた。

 少し離れた所に生物の教師の高森。高森はうちの2年4組の副担任だ。そしてたった今この控室に入って来たばかりの体育担当の田代ミカ。

 田代ミカは1年の体育担当の田代リカと双子の姉妹だ。二人はごつい。女子プロレスラーか、なんだったらアメフトの選手なんじゃないかっていうくらいにごつい。

 いつも髪の毛をツインテールにしてオレンジ色のジャージを着ている。

 田代ミカと田代リカが一緒にいると私は区別がつかないが2年の担任控室にいるのだから今いるのは田代ミカの方だ。

 生物の高森は結構端正な顔に、常に白衣を着ていて銀のフレームのメガネをかけているので、一部のオタクの女子から彼女たちの妄想の中で絶大な人気を得ているらしいが、授業がやたら地味だし本人も暗い感じなので私は好きじゃない。



「高森先生?」と桜井が言った。

さっきまで好きな先生だったけれど急激に得体のしれない人間に思えてきたので私は先生を呼び捨てだ。



 今の状況に加え、がたん、と高森が立って静かにこちらにやって来るのが気持ち悪くて私は慌てて言った。

「あの、先生すいません。私失礼します。今日歯医者に行かなきゃいけなかったの忘れてて」

 立ち上がってドアへ行こうとした私を「山根」と呼んだのは桜井ではなく少し神経質な感じの高森の声だった。

 合わせて何も言われていない田代ミカが今入って来たばかりのドアの前に立ちふさがった。完全にアメフトの選手だ。目が怖い。

「先生!」私はどうする事も出来なくてただ桜井を呼ぶ。

 桜井は椅子に腰かけたままだ。

「何?」不抜けた桜井の返事。

 私を含め4人、そのまま動かない。…まぁ私は動けないわけなんだけど。



「まぁ座んなさい。もう1回」桜井が言った。

 嫌だけどなぁ、と思いながら今まで腰かけていた椅子を横目で見る。そして急に背後に気配を感じて振り向くと高森が私のすぐ後ろに立っていた。

 何時の間に!

「ひやぁぁ!」と私は声を上げてしまっていた。

 瞬間移動か!

 高森がくすっと笑った。気持ち悪…ふだん笑わない地味キャラの高森に

こういう状況で背後に立たれた上で笑われると超気持ち悪い。


 そして私は田代ミカの位置を気にする。これで田代ミカに羽交い締めにでもされたらもう終わりだ。

 …いや、何が『もう終わり』なのか。今陥っている状況さえ全く把握できていないのに。



「まぁいいから」桜井が変わることのないとぼけた声で言った。「人の話は最後まで聞かないと。全く何もかもが最後にはちんぷんかんぷん、という感じになるぞ」

お前らが気味が悪いからだよ、とは口に出して言えない。

 着信音が鳴って田代ミカがジャージのズボンのポケットからスマートフォンを取り出して電話に出た。

 高森は私の斜め後ろの、誰かたぶん別な教師の机の椅子を引いてそこへかけた。



「どういう事ですか?」と私はやっと聞く。

私はまだ椅子には腰掛けていない。

「椅子にかけてごらん?」と桜井が言う。

 これはヤバいやつだ。聞いてもヤバいし、聞かなくてもヤバい…よく洋画である、どっちにしろマズい事に巻き込まれるパターンの話のはじまりによくある感じに違いない。

「いやヤバくはないよ。さっき話した通りなんだけど」桜井が言った。

「何で私なんですか?」

「君は…」桜井が呆れた、と言う声を出す。「人の話を聞いとらんな。出席番号が?」

「…一…番最後だから?」

「そうそう」



 私は椅子に掛けた。

 斜め後ろから高森の視線を感じる。こいつら何者なんだ?

 桜井は私にもう一度説明を始めた。


「明日からしばらくの間、クラスの全員が君に話をしにくる。君はその話を聞いて、3人、ないしは4人の違和感のあるものを選ぶ」

3人、ないし4人の違和感のあるものを選ぶ…

 心の中で桜井の言葉を反芻する。だから違和感て何だよ?それに…

「それは、何のためにですか?」

「なんだったら5人でもいいぞ。でも2人では少なすぎる」

「先生!」私は桜井の説明を止めたい。「何のために、ですか?」

「世界を救うためだよ」

「…」

「まぁウソなんだけどね」



 力が抜ける。

「先生…まじめに話して下さい」

 帰れば良かったな。…桜井に呼ばれてここに来て、こうやっては話を聞くまでは帰ると言う選択肢は全くなかった。先生が呼ぶから普通に職員控室に来ただけだったのに。

 田代ミカが「それはデヴィッド・ゲッタとクリス・ブラウンが…」と誰かとスマホで喋っている。

「4分踊るんならそれがちょうどいいかも…」

踊る?クリス・ブラウンを踊るのか田代ミカ?そう言えばさっきの着信音も

ティン・ティンズの『グレイトDJ』だった。


「あぁ踊るんだよ」と桜井が言った。

嫌だもう~。

「嫌だもう~、じゃない。まぁ話を聞きなさい。ミカ先生はね、一年担当の双子のリカ先生と今度ダンスの全国大会に出るんだよ。まぁそれも楽しみな話でね。けどまぁ聞きなさい」

 怖いので、逆に桜井を真っ直ぐに見詰めてみたが桜井がいつもの飄々とした感じでじっと見つめ返して来たので私はまた目をそらしてしまった。



「山根?」先生がまた私を呼ぶ。

「…はい」

「目をそらしたら負けるぞ」

「…はい」

「ま、そらさないともっとヤバい目に遭う事もあるけどね。て言う事でもう1回説明するけど、うちのクラスは31人。君が31番。君以外の30人が明日から…明日からかな?もしかしたら今日からかもしれないけど何らかの形で話をしにくるから君は、それを聞いたり適当に相槌を打ったり、聞いたふりして聞かなかったりまぁ好きなようにしていいからとにかく、最終的に違和感のある人間を3,4人選ぶ」

「先生…私…」私は一応言い淀む。

あまり担任に自分からは言いたくない話だ。でも私はこの仕事から逃れるために桜井に言った。

「私、出来ません。まず友達ほとんどいないし、クラスの3分の1とは全く喋った事もないんです」


 それは全く本当の事だった。私には親友と呼べる子がいない。でもいつもお弁当を一緒に食べてくれる子はいる。アライサクラとクリハラミノリという子で彼女たちとは1年の時も同じクラスだった。

 2人は優しくてどちらかと言うとおとなしめで2人は同中の出身だから2人だけで本当はとても仲が良くて、でも私が一人で弁当を食べるはめになりそうなのを目ざとく察知してくれて『一緒に食べない?』と声をかけてきてくれたのだ。

 2人のおかげで私は一人で弁当を食べずにすんでいる。

 2年のクラス替えでこの2人とまた一緒のクラスになれて私はほっとしたのだ。



 私は2人の事をもちろん友達だと思っているけれど、本当のところ、私がいなくて2人の方が仲良くやっていけて、面倒くさくなくて楽しいんじゃないかと思う事も多いから、結構申し訳ない気持ちになって、2人の事を「私の友達」という言い方がなかなかできない。

 それでも2人は優しいので、私と同じクラスになった事を喜んでくれた。

 もう6月だと言うのに、クラスの中でよくしゃべるのもこの2人だけで、

後は挨拶とか委員の仕事で少し喋ったのを除けば、桜井に言ったように、クラスの3分の1とは全く喋った事もない。名字はさすがに自然と覚えたが

下の名前まで正確にはわからない人も半分近く。

 きっとクラスの人たちも私の名前を知らない子の方が多いだろう。

 そんな私にクラス全員の話を聞く事なんてできないしそもそも本当に誰もが私に話をしにくるなんて信じられない。



「大丈夫。ちゃんとそういう風になっているから」桜井が言った。「それに結構楽しいと思うけどね。いろんな人と話が出来て。いろんな人の秘密を知れて」

じゃあ桜井、お前が自分でやれ。

「いや、私はやれんよ」

桜井が言って笑ったので私は自分の口を無言で押さえた。



 いろんな人の秘密なんて知りたくもない。

 が、桜井は言った。「知ってるよ。君はクラスの大概の人間をバカにしているからね。いや、うちのクラスだけじゃなく、この世の年寄りも子どもも男も女も大概バカにしている」

「…バカになんかしていません!人見知りであんまり人と仲良くなれないだけで」

ハハハ、と桜井は渇いた声で笑った。「かわいそうな子だね」

うるせぇよ、と心の中で思ったら桜井がにっこりと笑った。


 桜井の言い草にムッとしたが、それでも我慢して私はこの仕事を断ることに専念する。

「先生、こんな性格悪い私なんで誰も私に何か大切な話をしには来ないですよ」

だから私を帰して下さい。この話は誰にもしゃべりませんから。

「まあね、面白い話ができるやつもいるだろうが、うんこみたいにつまらない話をするやつもいるだろう」

今、桜井『うんこ』っつった?

「うんこって言ったよ」

「先生…先生は私の心が読めるんですか?」

「いや想像の範囲内だ。ていうか今さらだな。君が本当は別に誰とも仲良くなりたいとも思って無い事はわかっているよ。君の結構な腹黒さとかもね」

 ひどい。

 結構腹黒いのは本当だが、誰とも仲良くなりたいと思っていないなんて、

そんな事はない。私は人見知りできゃぴきゃぴ出来ないだけの友達が少なめのごく普通の高2の女子だ。


「だから出来ないです私には。誰も私に話なんかしに絶対来ないと思うから」

「心配しなくていい。さっきも言っただろう?ちゃんとそういう風になってるから。絶対に全員が話に来るから」

「…」

「全員まちまちだからね、長さとか。ほんのちょっとしか話さない子も何人もいると思うよ。だからそこまでは疲れないと思うんだよね」

 バリバリっ、と音がして、見るといつの間にか電話を終えた田代ミカが煎餅を食べていた。

 バリバリ、バリバリ。

 クッキーモンスターみたいだ。オレンジ色のクッキーモンスター。



 「最後に3,4人違和感がある人を選ぶって言いましたよね?」

田代ミカの方は見ないようにして私は質問した。

「違和感てなんですか?それで私が選んだ、いや選んだって言っても選びませんけど私、選んだとしてその3,4人の子たちはどうなるんですか?」

「違和感とは君が感じ取る何かだよ。違和感て言葉が悪かったかもしれないが、なんかこう…あ、この人、って思う感じ?」

語尾を上げて私に聞くな。

「それで?」私は少しイライラして聞いた。「その子たちはどうなるんですか?」

「その3,4人の子たちはとある人物の、とある夢の登場人物になる」



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