第七章 満月のセレナーデ
朝、目が覚めて、スマホを見て心臓が高鳴った。
9時33分。
大遅刻だ!
思わずベッドから飛び出した。
数歩走ってピタリと止まる。
いや、待って。
遅刻する先がなかった。
その場にへたり込んだ。
社畜だった頃の習慣が、まだ私の中に住みついている。
身体が、脳が、未だに怯えている。
毎朝、目覚ましをセットしてなくても起きてしまう。
立ちあがって障子を開けた。
寝起きの体。
力の入れ具合がずれていた。
強く開けすぎて、バンという音と振動。
「ああ……」
後悔の声が漏れた。
ずっとマンション暮らし。
大きな音に気遣い。
だけど、いらぬ心配。
そう、ここは田舎の一軒家。
床下の住民は、恐らく昆虫だけ。
隣の家は遠く離れている。
騒音を気にする必要ない。
けど、良いことばかりではない。
すでに泥棒に入られている。
盗まれたのは、ルーターと未使用の防犯カメラ。
確認できたのはその二点。
片付けが進むと、まだ増える可能性はある。
金額にして1万円ほど。
警察に届けて現場検証。
刑事課の刑事が二人、鑑識が一人来てくれた。
沢山写真を撮ってた。
防犯意識が足りないと、強い口調で私を叱ってから帰っていった。
なぜ被害者の私が……
理不尽と感じた。
ともあれ、一段落したと思っていた。
田舎だから、そうそう事件は起きない。
けれど、家の近所に怪しい人。
地区の集まりでも見たことない。
古い家。トイレには窓のみ。換気扇はない。
嫌でも開けている。
その窓の近くに男の人が立っていた。
約5メートル先。
遮るものは、ナンテンの赤い実だけ。
立ち止まってなにやらスマホをポチポチ。
数十分間も。
道なので文句も言えない。
トイレへ行くのに気を使う毎日。
気分は最悪。
怪しいセールスも沢山来る。
以前ならオートロックで弾き飛ばす。
良い事もあれば、悪い事もある。
一喜一憂。
ひとつ学んだ。
人が少ない=自由。ではない。
ある日。
満月に誘われて、夜のお散歩。
月が雲に隠れると、周囲は真っ暗。
まだ20時前。
街の深夜と同じ雰囲気。
車一台通らず。
川のせせらぎが心地よい。
静けさと、自然を満喫。
街灯がないので、懐中電灯は必須。
ふと、今日一日を振り返る。
起きて、ご飯を食べて、畑で草むしり、ネットを見て、また食べて、今散歩。
誰とも話していない。声を出したのは、独り言だけ。
そう思いながら、満月を見上げた。
帰り道。
角を曲がると、人とバッタリ。
全身黒のヤッケ。フードまで被り、マスクもしてる。
誰だかわからない。
「……こんばんは」
怯えながらあいさつ。
無視された。
月明かりのない暗闇に消えていった。
怖くて走った。
私の家の方角から歩いて来た。
さっきの黒ずくめの人物。
トイレの近くに立ってた人と同じ人だと感じた。
なんとなく。雰囲気で。
防犯カメラの確認。
映ってなくて一安心。
いや、死角は沢山ある。
すぐにAmazonで買い足し。
注文ボタンを押しながら思う。
大きな虫を見て、何度か悲鳴を上げたことがある。
その理由を、以前近所の人に説明した。
つまり、今はオオカミ少年のような立場。
仮に強盗に入られて悲鳴を上げても、また虫かと思われる。
相変わらず、地区を仕切る人たちとの関係が良くない。
努力はしたし、これからもするつもりはある。
だけど、受け入れてくれなければ、何をしても水の泡。
田舎に引っ越してきたことを、後悔しているかと聞かれれば、してると答える。
今日なら……
数時間たって、やっと怖さが落ち着いてきた。
戸締りを確認してからもう寝よう。
そう思っていたら。
「カタン」
縁側のすぐ外で物音。
そこを映している防犯カメラはない。
見に行きたいけど怖い。
「カタカタ」
同じ場所でまた物音。
あの音は、恐らくスコップ。
プランターの横に置いている。
強い風は吹いていない。
誰かが触っている。
静かなのは良いけど、音に敏感になる。
大きく深呼吸を3回。
覚悟を決めて、110ヤード飛ばす7番アイアンを握り締め、カーテンの隙間から覗く。
見えない。
もう一度深呼吸。
カーテンを大きく開けて、室内の光で照らす。
誰もいない。
けど気のせいではない。
音は確かにしていた。
カーテンを閉めていると微かに聞こえた。
「ニャー」
え?
もしかして……
カーテンと窓を開けた。
「ミャー」
あの三毛猫だった。
「みーちゃん!」
たぬきを葬った日以来。
「もうー、びっくりしたんだからねー」
縁側にへたり込んだ。
「ミャ~」
相変わらず、タイミングの良い返事。
「ごめんね」と謝っているように感じた。
初めて夜の訪問。
「どうしたの?」
「ミャミャ」
まさか、またついて来いなんて言わないよね。
満月は曇り空に隠れて、外は真っ暗。
ついさっき怖い思いをしたばかり。
こんな時間に廃神社に連れて行かれたら、卒倒しちゃう。
いくら仲良くなりたいみーちゃんの頼みでも、それはご勘弁。
「ミャーミャー」
無理矢理解読。
「お、お腹が減ってるのね? 絶対そうよね」
もう必要のない7番アイアンを仕舞った。
みーちゃんが怖がらないよう、隠しながら音を立てずに。
お皿にカリカリを入れて、縁側の下に置く。
近寄って来て、カリカリと美味しそうに食べた。
良かった。
暗号解読は当たっていたようだ。
静かに見つめていて、はっと気づいた。
私がエサから離れていないのに、食べている。
以前よりも距離が近い。
怖い思いが、帳消しになったように感じた。
もしかして、そのために夜の訪問。
本当に不思議な子。
「ねぇ、上がってく?」
無視して「カリカリ」
せせらぎと混ざっていく音。
静かに目を閉じる。
即興のデュエット。
……悪くない。
食べ終わると、庭の奥に消えた。
ごちそうさまも言わず。
けど、嬉しかった。
人には認められてないけど、みーちゃんに認めてもらえた気がした。
それで満足。




