第三章 共存の道
田舎暮らしを始めたある日のこと。
畳の上に、小さな黒い点々が動いているのに気づいた。
……アリだ。
大量のアリが、一箇所に群がっている。近づいて見ると、ご飯粒が一粒落ちていた。
知らない間に、落としていたらしい。
たった一粒のご飯に、何十匹ものアリが群がっていた。
ここは和室の真ん中。
ゾッとした。
どこから入ってきたのだろう。
ご飯粒を運ぶアリの後を追った。畳を這い進み、ふすまの隙間を抜けて玄関へ。
おかしい。
玄関の戸は鍵まで閉めている。いったい何処から出入りしているのか。それとも、玄関に巣があるのか。
答えはシンプルだった。
玄関の戸の隙間から外に出て行った。ご飯粒も、そこを通っていた。
つまり、最低でもご飯粒大の隙間がある。
どうやって塞ぐか。
何か詰め物をする? いや、戸を開けるたび外れる。意味がない。
そうだ。
コーキングを買ってきて、隙間を埋めた。これで入ってこれない。そう思った。
甘かった。
古い民家だから、隙間はいくらでもある。すべてを埋めるのは無理だと悟った。
殺虫剤を考えたが、思いとどまった。
殺すのは簡単だけど、何か違う気がした。
そもそも、私がここに引っ越してこなければ、アリは自然に生きていた。
つまり、邪魔者は私の方だ。
それに。
組織の歯車として使われ、人の顔色を伺い、傷つき、疲れ果てた。
そうして、ここまで逃げてきた。
だから、何かを傷つけたくなかった。
たとえ、それが小さな虫であっても。
なんとか共存できないか。そう考えた。
アリが家に入ってきたからといって、死ぬわけでもない。
食べ物を裸で置かない。床に落とさない。掃除をまめにする。これを気をつければ、来なくなるだろう。
そう思った。
昼間からベッドでごろごろしていた。ニートの特権だ。
突如、膝に激痛が走った。
しびれるような痛さ。驚いて毛布をはいだ。
アリがいた。
噛まれたらしい。広範囲にヒリヒリする痛みが広がった。調べてみると、アリに噛まれた症状と一致した。
邪魔者は私の方だとわかってはいるけど。
ちょっとひどすぎない?
下敷きに乗せて、縁側から外に吹き飛ばした。
そのあと、噛まれた箇所に軟膏を塗った。
家に入って来ても大丈夫だと思ったけど、結構実害があった。
殺虫剤は使いたくない。アリもそれ以外の関係ない昆虫まで死んでしまう。
どうしたものか。
突如アイデアがひらめいた。
縁側から外に出て、アリを観察した。幸いなことに、ニートなので時間はある。
ふと、子供の頃に読んだファーブル昆虫記を思い出した。
ファーブルは虫を観察するために、何時間も動かずにじっと見つめていた。そのため、通りかかった人々に変人扱いされたという。
今の私も、同じだ。
アリを見つめて、動かずにいる。
誰かが見たら、きっと変人だと思うだろう。
でも、構わない。
恥も外聞も捨てて見続けた甲斐もあり、花壇の隙間に出入りしているのを発見した。おそらく、ここが巣への入り口だろう。
キッチンへ行って、あるものを手にして戻ってきた。
そして、それを巣の入り口近辺にまいた。
すぐに反応があった。
アリたちが群がっている。喜んでそれを巣に運んでいた。
ふふふーんだ。
計画通り。
少し得意げになった。
これでゆっくり休める。そう思っていたのに、また部屋にアリがいた。
後をつけた。
どうやら、別グループのアリだったらしい。違う花壇の隙間に入っていった。
なるほど。広い庭だ。アリは一つのグループではなかった。当然だ。
キッチンへ行って、戻ってきて、そこにもまいた。
そのグループのアリも群がっていた。
念のため、家の周囲、至る所にまいた。
ふん、これでどうだ。私を困らせるとどうなるか分かったか。
アリたちは今ごろ、巣に運んだ砂糖を楽しんでいるだろう。
ニートだけど、あなたたちぐらいなら養ってあげるから、もう入ってこないでね。
ここは私の借りた家なの。
その願いが通じたのか、アリの姿が部屋から消えた。
共存に成功した。
だけど、束の間の安息だった。
次の試練は、すぐにやってきた。
それは、カメムシ。
最初は数匹だった。窓に張り付いている。洗濯物にも止まっている。
バスタオルを畳んでいる時、思わず悲鳴を上げた。
黒色に茶色。よく見る黄緑のより不気味で毒々しい。
自然豊かな田舎だから仕方ない。色々な昆虫がいて当たり前。
でも、翌日。
数が増えていた。
二十匹、三十匹。窓という窓に、張り付いている。
洗濯物を取り込む前に、注意深くチェックする。
ソックスの中まで。
見逃せば、侵入される。
面倒だった。
今一番欲しいものを聞かれたら、即答できる。
乾燥機。
翌日。
さらに増えた。
五十匹は超えている。家の外壁、窓、玄関。どこもかしこも。
足元にも注意しないと、踏みつぶしてしまう。
窓が開けられない。網戸も危険だ。
古い家。ピタリと閉まらない。
隙間から入ってくる。
洗濯物と一緒に。うっかり開けっぱなしにした窓から。ほんの少しの隙間から。
車でホームセンターへ行って、虫取り網を買ってきた。
毎日、網を使って捕まえて外に逃がす。
でも、次の日にはまた同じ数いる。
いや、増えている。
控えめに見積もって、百匹二百匹襲来。
そのうちの一、二割が侵入してくる。
嘘みたいな本当の話。
カメムシは、アリみたいに餌を必要としているわけではない。
目的は、越冬する場所を探しているとのこと。
家に入りたいのだろう。隙間だらけの古民家でも、外よりは格段に暖かいから。
だけど、同居はご勘弁を。
なぜなら、あなたたちの匂いは苦手。それと、深夜にヘリコプターのような音で部屋の中を飛ばれるのも。
だから、出て行ってもらう。
無論、殺虫剤は使わない。私の掟。
引っ越しで使った段ボールが沢山余っていた。それに、断捨離で捨てる予定の服も。
段ボールを組み立てて、捨てる服を適当に入れて、穴を何ヶ所か開けた。
何個か作って、それを風通しの悪い場所に置いた。
根本的な解決とまではいかないが、洗濯物に引っつく数が格段に減ってきた。
しばらくして、好奇心でその段ボールの中を覗いた。
結果は、悪夢のような光景だった。
家賃はいらないから、春になれば出て行って。
そのかわり、いつか借りを返して。
いや、まって。
カメムシの恩返し。
鶴とはちがう。
想像したら怖くなった。
やっぱ、お構いなく。




