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 第二章 数年間の孤独



 振り返ると、三毛猫がいた。


 言葉に聞こえたのは、私の勘違いだった。


 だけど、まだ鳴き続けていた。


「ミャーニャッニャッニャーミャニャニャー」


 掴んでいたブルーシートを離した。


 猫ってこんなに長く連続で鳴いたっけ…… 


 とても不思議に感じた。


「こんにちは」


 そう挨拶をした。


「ミャーニャニャミャーニャッニャッニャー」


 またしても長い返事。いったいどうしたのだろう。


 もしかして、何か緊急事態? 仲間を助けてほしくて私を呼んでいる? 


 わくわくしながら近づくと、離れてゆく。


「ミャーニャッニャッ」


 裏山の入り口で立ち止まり、振り返った。


付いてこいと言われた気がして後をつけた。小道に入っていった。速い。とても追いつけるスピードではなかったけど、必死について行った。やがて、道は獣道になり、そして道なき道になった。


 木々の枝が顔に当たる。足元も不安定だ。でも、三毛猫は迷わず進んでいく。


 何度も諦めようと思ったそのとき、視界が小さく開けた。

 

 そこに、何かの跡があった。


 土に埋もれた構造物。特徴的な形の一部だけが覗いている。


「……鳥居」 


 それがなければ、ただの石にしか見えなかっただろう。


 規則的に並んだ石は、おそらく石段だったもの。ほとんどが土に覆われている。


 誰も手入れしていない。完全に廃れた神社だった。


 でも、奥に。


 巨大な木が立っていた。


 太く、高く、空に向かって枝を伸ばす。


 ご神木だ。


 神社は廃れても、この木だけは生き続けている。


 何という妖艶な雰囲気。


 そして、圧倒的な存在感。思わず息を呑んだ。


 言葉にならない。


 ただ、そこに立っているだけで、心が震える。


 畏怖とも、崇敬とも違う。何か、もっと深いもの。


 この木は、何百年もの間、ここに在り続けた。


 人々の祈りを受け止め、災いを見守り、それでも立ち続けている。


 私は、小さな存在だと感じた。


 でも、同時に、包まれているような安心感もあった。


 この木は、拒絶しない。ただ、在る。


 気づくと、三毛猫は居なくなっていた。 


 ここに案内してくれたのだろうか。何故だろう。

 たまたま? それとも、私に再建しろとでも言いたいのか。


 そんなこと、できるわけない。引っ越してきたばかりの土地で、勝手なことはできない。金銭的な余裕もない。


 でも、これも何かの縁だ。ご神木の前に立ち、手を合わせ、頭を深々と下げて拝んだ。


 ここで何が起きたのか分からないけど、これからも枯れずに残ってほしい。そう願った。

 

 探索したい気持ちもあったけれど、昼間なのに、夕暮れのように薄暗い。木々が日を遮り、不気味な静けさに包まれていた。


 先ほどまでとは違い、背筋が寒くなった。


 私は、逃げるようにその場を離れた。


 山を下りながら、ふと気になった。三毛猫はどこへ行ったのだろう。


 もしかして野良猫で、あの廃神社に住んでいるのだろうか。


 そう考えると、どこか物語めいて感じてしまった。


 いや、もしそうなら、三毛猫にとっては大変だろう。雨風を凌げるか怪しい程度の建物の残骸しか残っていなかったのだから。


 途中で別の方向に道らしきものが見えた。試しに進んでみると、さっきより歩きやすい。

 

 やがて、アスファルトの道路に繋がった。

 

 ああ、よかった。


 さらに進んでいくと、また小さな神社があった。雑草は伸びているが、それなりに手入れはされているようだった。さっきのよりは小さいけれど、それでも立派なご神木がある。


 立ち寄って、ここでも手を合わせた。


 1年間、ここで静かに暮らせますように……


 帰り道、きょろきょろと歩きながら三毛猫を探した。

 見つけられないまま、家に着いた。

 

 途中だったブルーシートを片付けた。


 それから、廃神社のある裏山を静かに見つめた。


 そよ風が、木々を揺らしている。


 ただ、立ち尽くしていた。


 心が洗われてゆく気がした。


 長い時間、たったひとりで、眺めていた。


 猫に案内されて廃神社。


 不思議な体験。


 ここに引っ越してきて良かったと、少しだけ感じた。


 次の日から、畑に行くたびに三毛猫を探した。周囲も積極的に探索した。だけど、見かけることすらなかった。何日も、何日も。


 そんな中、近所の人と顔を合わせることが増えた。


 引っ越してきた時、役場の人に間に入ってもらい、手土産を持って挨拶回りをした。すれ違えば必ず挨拶をした。地区の行事にも積極的に参加した。


 それなのに。


 この地区の区長だという男性が、私に嫌味を言うようになった。会うたびに。


「仕事もしないで」「罰があたらないように」


 なぜ急に。


 思い当たることは、ひとつだけあった。

 

 この地区でたびたび開かれる飲み会。娯楽の少ない田舎では、よくあること。実家でも、同じような集まりがあった。


 酒も飲まない。タバコも吸わない。


 私はその集まりだけは、断っていた。


 それが気に入らなかったのかもしれない。


 よりによって、一番近所の家がこの区長の家だった。


 そして、私が畑や外で何かするたび、決まって区長の嫁が見に来る。


 しらじらしく。バレないと思っているのか。

 

 いや、わざと分かるようにしているのか。


 どうやらその夫婦に逆らえる者は少ないようだ。


 それまで普通に接してくれていた人たちが、急によそよそしくなった。挨拶をしても、返してくれなくなった。


 あ、そう。

 

 私も、挨拶をやめた。関わらないようにしよう。そう決めた。


 もともと一人で生きるつもりで田舎を選んだ。問題ない。むしろ好都合だと言い聞かせた。どうせ、ここには1年しかいない。


 ふと、以前住んでいた東京が恋しくなった。


 あの街には、数え切れないほど人がいた。


 なのに、不思議と自由だった。


 誰も私を見ていない。誰も私に興味がない。その無関心が、心地よかった。


 ここは違う。


 人は極端に少ないのに、常に見られている。監視されている。


 だけど、選んだのは自分だ。これも想定内。

  

 ストレスが、また趣味の作曲に向かわせた。


 昔からそうだった。心が乱れると、音を作りたくなる。メロディが、勝手に浮かんでくる。


 悪いことではない。むしろ、ストレスとうまく付き合っている証拠なのかもしれない。


 不思議なことに、穏やかな日々が続くと、何も作れなくなる。


 心が揺れているから、音が生まれる。


 人間万事塞翁が馬。この言葉が、いつも私を前に向かせてくれる。


 勝ち負けなんて、ない。あるのは、進むか、止まるかだけ。



 まだ挨拶を返してくれる人が、数少ないながらもいた。


 私の家の裏道を、いつも散歩している近所のお爺さんもその一人だ。


 必ず穏やかに、挨拶をしてくれる。だから私も、丁寧に返している。


 ある日、好奇心に負けて話しかけた。


 裏山の廃神社のことを聞いてみた。お爺さんは、教えてくれた。だいぶ昔、土砂災害があったという。それで神社は壊れた。


 あの場所での再建は諦め、ふもとに新しい神社を建て直したそうだ。


 ああ、そうか。

 

 帰り道で見つけて、拝んだあの小さな神社。


 あれが、新しく建て直された神社だったのだ。


 謎が解けた。


 もうひとつ、三毛猫のことも聞いてみた。


 お爺さんは知っていた。


「ああ、あの三毛猫ね。山田さんの猫だよ」


 飼い主がいた。野良猫ではない。


「もう何年もこの辺りをうろついてる。寒いのにしぶといねぇ」


 意味が分からない。


「え、飼い主さんは、どうされているんですか?」


「亡くなったんよ。家も壊されて、更地になっている」 

  

 ……つまり、今はひとりぼっち。


「かわいそうだから、餌をあげてる人もいるらしいけどね」


 私を廃神社に案内してくれたあの三毛猫は、高齢の飼い主さんと死別したあと、数年間、この地域で生き延びてきた。冬は零下になり、雪が積もるこの場所で。

 

 寂しくはないのだろうか。いったい何処で寝泊まりしているのだろうか。餌をくれる人は、何人いるのだろうか。


 考えれば考えるほど、気になった。


 まるで何かを訴えかけるような、あの長い鳴き声が頭から離れなかった。


 

 秋になったばかりなのに珍しく寒い朝、玄関を開けて庭に出ると、そこに、三毛猫がいた。

    

 久しぶりだね。やっと会えた。


 あの時のように鳴かない。

 

 しばらく、お互いが見つめ合っていた。

    

 静かに近づく。


 私が近づいた分だけ離れた。へこむ。


 でも、準備していた。あれから何日も探して、もし会えたらと思って、Amazonで買った餌を、取りに戻った。


 家の中を走る。


 古い家だから、振動で家全体が揺れていた。


 玄関に戻ると、まだいた。


 袋を見せながら近づく。


 また距離を取られた。


 一粒だけ、地面に置いた。


 三毛猫は離れた場所から、じっとそれを見ていた。


 数歩下がると、戻ってきた。餌のところへ。


 私を警戒しながら、食べた。


 今度はひと握り分置いて、また下がった。


 寄って来て、また食べてくれた。


「……おいしい?」


 返事はなかった。


 食べ終わると、木立の向こうへ姿を消した。


 挨拶もせず、お礼も言わず。


 けれど私は、自然と笑顔になっていた。


 冷たい風が、三毛猫の消えた木立の枝を揺らしていた。


 また、会えるよね。


 ねぇ。みーちゃん。


 

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