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エピローグ いとをかし、今も昔も

——千年の時を越え、言葉は生きる。



 静かな春の夜。

 満月が空を照らし、庭の桜が銀の光に染まっている。

 風が吹くたび、花びらがひらひらと舞い、まるで空に還っていくようだった。


 私はその光景を見つめながら、そっと筆を取った。

 けれど、もう書くことはほとんどない。

 書き尽くしたのだ。

 “をかし”という心に出会い、愛し、そして残した。


 千年後、この言葉を誰かが読むだろうか。

 その誰かが、ふと春の風を感じて、「ああ、いとをかし」と思ってくれたなら。

 それだけでいい。


 言葉は、時を越える。

 人は消えても、心が宿る言葉は生き続ける。


 ——美しいものを、美しいと感じる心。

 それが、“をかし”の本質なのだ。


 定子さまの笑顔が、風の中に浮かぶ。

 あの柔らかな声が、今でも耳の奥で響く気がする。


 『清少納言。あなたの言葉は———』


 はい、そうですね。

 私は風になりたい。

 あなたの愛した世界を、永遠に語り継ぐ風に。


 夜が明ける。

 あけぼのの空が、淡い朱に染まる。

 山ぎはがやうやう白くなりゆき、鳥の声が響く。

 ——あの一文を書いた日のように、美しい朝だ。


 私は静かに微笑み、筆を置いた。

 もう何も言葉はいらない。

 世界は、それだけで“をかし”なのだから。


 そして、千年の時が流れた。

 人々の服も言葉も暮らしも変わっても、

 春が来れば桜が咲き、夜が明ければ空は(しら)む。


 誰かがふと立ち止まり、

 「春はあけぼの」とつぶやく。

 そのとき、清少納言の心は、そっと風に乗って微笑むのだ。


 “いとをかし”——

 それは、時を越えて生きる魂の言葉。

 悲しみの中に美を見つける勇気。

 過ぎゆくものを抱きしめる優しさ。


 そして、

 この世界を愛するという、たったひとつの祈り。


 春の光が部屋に満ちる。

 筆の跡が輝くように浮かび上がり、やがて風に溶けた。


 ——美しきこの世は、いとをかし。

 今も昔も、変わらずに。


 ―The End―

清少納言よ、とこしへに咲き匂へ

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