定子さま、まぶしすぎです!
定子さまは、まぶしい。
光そのものみたいな人だった。
出仕してからひと月。
宮中の生活にもようやく慣れてきたわたしは、日に日にそう思うようになっていた。
たとえば、朝。
白い衣に桜の花びらが一枚だけ舞い落ちる。
その瞬間を見つけた定子さまは、ふわりと微笑む。
『桜って、まるで人の心ね。散るときほど美しい』
その言葉に、空気までもが静まった。
どんな名言よりも、優しく、深い。
思わず息を呑んでしまった。
定子さまは、知性と優雅さを併せ持つお方。
帝も惚れ込むほどの聡明さで、和歌や漢詩にも通じている。
けれど、決して高慢ではなく—— むしろ人の心に寄り添う優しさがある。
ある日の午後、わたしが几帳のそばで文の整理をしていると、定子さまがふと声をかけてくださった。
『清少納言。あなた、“をかし”って言葉が好きなんでしょう?』
「はい。ものごとに感じる美しさや面白さを、そう呼ぶのが……なんだか心地よくて」
『では、あなたにとって“をかし”なものは何?』
突然の問いに、少し考える。
春の花も、秋の月も、冬の雪も—— すべて“をかし”だ。
でも一番は……。
「人の心の動き、でしょうか。たとえば、恋に落ちる瞬間とか、誰かを思って苦しいときとか。
そんな、目に見えないものが“をかし”だと思うんです」
定子さまはしばらく黙って、やがて微笑んだ。
『素敵ね。あなた、やっぱり面白いわ』
面白い。
その一言が、まるで褒美みたいに嬉しかった。
その日の夜、定子さまの部屋で歌合わせが開かれた。
女房たちが左右に分かれ、即興で和歌を詠み合う。
テーマは「月」。
小袿が先に詠んだ。
『澄む月に 影さえ清く 映る夜は 心の闇も 消えにけるかな』
見事な歌だった。
でも——完璧すぎて、どこか冷たい。
わたしの番。
胸が高鳴る。
筆を取って、心のままに書いた。
『月見れば 涙の色も あらはれて 想ひ人こそ 影に見えけれ』
読み上げた瞬間、部屋が静まり返った。
あ、やりすぎたかも。
でも、定子さまが小さく笑った。
『清少納言、その歌……まことに“をかし”ね』
頬が熱くなった。
ああ、この人の笑顔が見たくて、わたしは詩を書くのかもしれない。
次の日の昼下がり。
定子さまは、女房たちと香を聞きながら、ふと呟いた。
『ねえ、清少納言。もしあなたが男だったら、どんな恋をしたい?』
「えっ!?」
突然すぎて、香炉の蓋を落としそうになった。
「こ、恋ですか……?」
『ええ。想像でもいいのよ』
少し考えてから答えた。
「……相手の心を知りたくなるような恋。相手の一言で世界が変わるような、そんな恋がしてみたいです」
定子さまは嬉しそうに頷いた。
『それはまるで“言葉の恋”ね。あなたらしい』
“言葉の恋”。
その響きが心に残った。
定子さまの言葉はいつも不思議だ。
何気ない会話が、心の奥に灯をともす。
夕暮れ。
空が茜に染まり、御簾の影が伸びていく。
定子さまは静かに文を読んでおられた。
その横顔が、ほんとうに美しかった。
わたしはつい、呟いてしまった。
「定子さま……あなたこそ、“春はあけぼの”の光のようです」
すると、定子さまが微笑んだ。
『まあ、口が上手ね。あなた、帝にもそんなこと言ったらどう?』
「い、いえっ! そんな恐れ多いこと!」
『ふふふっ』
笑い声が風に乗って広がる。
その音が、まるで鈴のように耳に残った。
夜。
筆をとって、また書き記した。
“定子さまは、光のような人。
その光に照らされて、わたしは言葉を知る。”
思えば、彼女と出会ってから、世界が色づいて見える。
花も風も、ひとつひとつが物語を語りかけてくるようだ。
美しいだけの人じゃない。
強くて、聡くて、優しい。
まるで月と太陽を両方持っているみたい。
だけど——。
その輝きが強すぎるからこそ、陰もまた濃くなる。
『清少納言、覚えておきなさい』
その夜、小袿がわたしに囁いた。
『美しい人のそばにいる者は、いつかその美に焼かれるのよ』
不吉な言葉だった。
でも、そのときのわたしはまだ気づいていなかった。
定子さまを包む運命の嵐が、すぐそこまで迫っていることに——。
次回
「恋と噂と陰口と——清少納言の試練」
——宮廷の恋は、言葉よりも危険。愛と嫉妬が交錯する、美と策略。




