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第4話 予測不能なヒューマンエラー

静まり返った森の中を、二人分の足音だけが響いていた。

俺の半歩後ろを歩くリリィは、時折何か言いたげに口を開きかけては、結局閉じてしまう、という動作を繰り返している。先ほどの凄惨な光景が、まだ彼女の中で整理しきれていないのだろう。あるいは、得体の知れない俺という存在に、どう接していいか測りかねているのかもしれない。


沈黙を破ったのは、リリィの方だった。

「あの……マコトさんは、ずっと一人で?」

おずおずと、といった風情の問いかけだった。

「ああ」

俺は前を向いたまま、短く答える。これ以上会話が広がらないように、という意図を込めて。

だが、彼女は諦めなかった。


「すごいですね。私、一人だとすぐに道に迷っちゃうし、モンスターも怖くて……。さっきも、パーティを組んでたんですけど……」

リリィの声が、語尾に向かって沈んでいく。

PKに襲われる直前まで一緒にいた仲間たちのことを思い出したのだろう。ゲーム内での死は、もちろん現実の死ではない。デスペナルティ――経験値や所持金の減少――を受けて、街の復活ポイントに戻されるだけだ。

それでも、仲間が目の前でなすすべなく消滅させられる光景は、精神的に堪えるものがある。特に、彼女のようなタイプのプレイヤーにとっては。


「パーティなんて組むから狙われるんだ。ソロなら、そもそも獲物として割に合わないからスルーされることも多い」

俺が事実を口にすると、リリィは少し驚いたように顔を上げた。

「そういうもの、なんでしょうか……」

「そういうものだ。効率と損得。それが大半のプレイヤーの行動原理だ」

「でも……」

リリィは、納得できないというように唇を尖らせた。

「でも、ゲームですけど、画面の向こうには人がいるんですよね? なんで、人が嫌がることを平気でできるんでしょうか」

純粋な疑問。正論だが、青臭いとも言える。

俺は少しだけ考える。プログラマーとしてではなく、一人のゲーマーとして。


「匿名性、だろうな。顔が見えない、素性も知らない。相手を自分と同じ人間だと認識できなくなると、人はどこまでも残酷になれる。現実で溜め込んだストレスを、仮想世界のサンドバッグにぶつけてるだけだ」

システムの脆弱性を突く行為。現実世界なら犯罪だが、ゲームの中では「仕様の範囲内」や「プレイスタイルの違い」で片付けられてしまうことが多い。初心者狩りは、その典型だ。


「……マコトさんは、PKはしないんですか?」

「興味がない。非効率的だ」

俺の答えに、リリィは意外そうな顔をした。

「てっきり、正義感で助けてくださったのかと……」

「買い被りだ。俺はただ、システムの想定外の挙動を見るのが好きなだけだ。高レベルモンスターのAIが、格上のプレイヤーを蹂躙する。あれはなかなか興味深いデータだった」

俺はわざと、突き放すように言った。

同情や共感といったウェットな感情で動いたわけではない、と示すために。その方が、お互いにとって楽だと思ったからだ。


だが、リリィは俺の言葉を額面通りには受け取らなかったようだ。

彼女はふふっ、と小さく笑った。

「なんだか、マコトさんって不思議な人ですね」

「……何がだ」

「言葉はぶっきらぼうなのに、やってることはすごく優しいです。それに、すごく頭がいいんですね。あんな方法、私には思いつきもしませんでした」

素直な賞賛の言葉が、妙に気恥ずかしい。俺は咳払いをして誤魔化した。

「あんたも、少しは警戒心を覚えた方がいい。ゲームとはいえ、騙そうとしてくる人間はいくらでもいる」

「はい、気をつけます。でも、マコトさんは悪い人じゃないって、分かります」

何の根拠があって、そんなことを言うのか。

俺には、彼女の思考回路の方がよっぽど理解不能だった。AIのロジックの方が、まだしも予測がつく。人間の感情、特に彼女のようなタイプのそれは、俺の分析能力の範疇を超えていた。


他愛もない会話を続けながら歩いていると、やがて前方に『始まりの街・アルモニカ』の城壁が見えてきた。

街の近くまで来ると、ちらほらと他のプレイヤーの姿も見え始める。彼らは皆、思い思いの装備に身を包み、仲間たちと楽しげに談笑しながら狩場へと向かっていく。

その光景を、リリィは少し羨ましそうな目で見つめていた。


「……また、パーティ探さないと」

ポツリと漏らした彼女の独り言に、俺はふと疑問を抱いた。

「なぜヒーラーなんだ? 前衛職の方が、ソロでも動きやすいだろう」

攻撃手段を持たないヒーラーは、パーティプレイが基本だ。常に誰かと一緒に行動しなければ、レベル上げもおぼつかない。俺のような人間には、最も縁遠いプレイスタイルだった。


俺の問いに、リリィは少し驚いた後、はにかむように笑った。

「誰かの役に立ちたいから、です。私が剣を振るっても、きっと大した役には立てないけど、回復魔法なら、傷ついた人を助けてあげられる。誰かが無茶をして怪我をした時、『大丈夫だよ』って言って癒やしてあげられたら、嬉しいなって」

その言葉に、俺は内心で衝撃を受けていた。

俺がスキルやシステムを「自分の探求心を満たすためのツール」としか見ていなかったのに対し、彼女は、それを「他者との関係を築くための手段」として捉えている。

同じゲームをプレイしているはずなのに、見えている世界がまるで違う。


「……そうか」

俺はそれ以上、何も言えなかった。

彼女の価値観を否定する気にはなれなかったし、かといって、肯定する言葉も持ち合わせていなかった。


やがて、二人は街の大きな城門をくぐった。

行き交う人々の活気、様々な店が並ぶ賑やかな通り。数時間前に出発した時と何も変わらない光景のはずなのに、隣にリリィがいるだけで、どこか違って見えた。


「マコトさん、今日は本当にありがとうございました」

広場の噴水前で、リリィは立ち止まり、改めて深々と頭を下げた。

「これで、お別れですね」

「ああ」

「あの……もし、よかったら……」

リリィは何かを言い淀みながら、おずおずとメニューウィンドウを開いた。

「フレンド登録、お願いしてもいいですか……?」


フレンド登録。

プレイヤー同士が繋がり、いつでも相手のオンライン状態を確認したり、メッセージを送ったりできる機能だ。

俺のフレンドリストは、βテスト時代からずっと、誰の名前も記されていない空白のままだった。誰かと繋がる必要性を感じなかったからだ。


俺は一瞬、ためらった。

この繋がりを受け入れれば、俺の自由なバグ探しの旅に、予測不能な変数が一つ加わることになる。面倒だ。非効率的だ。

そう、頭では分かっている。

だが。


「……別に、構わん」


俺の口から出たのは、自分でも意外な言葉だった。

俺は無言でメニューを開き、リリィから送られてきた申請を承認する。

【プレイヤー:リリィをフレンドリストに追加しました】

無機質なシステムメッセージが、やけにはっきりと網膜に焼き付いた。


「わ、ありがとうございます! やった!」

リリィは、子供のようにはしゃいだ。その笑顔は、太陽のように明るかった。

「また、一緒に冒険してくださいね! 今度は、私がマコトさんの役に立ってみせますから!」

「……回復が必要な無茶はしない主義だ」

「もう、そういうこと言わないの! じゃあ、また!」

リリィはぶんぶんと手を振ると、駆け足でギルド受付の方へと消えていった。おそらく、新しいパーティを探しに行ったのだろう。


一人残された俺は、しばらくその場に立ち尽くしていた。

手元には、まだ誰もその存在を知らない最強の魔書『バグズ・グリモワール』。

スキル欄には、世界の理を歪める【テクスチャ・ウォーク】。

俺は、この世界で誰よりも自由で、誰よりも孤独な探求者のはずだった。


だが今、俺のフレンドリストには、たった一つだけ、名前が灯っている。

『リリィ』。

予測不能なヒューマンエラー。俺の完璧なソロプレイ計画に紛れ込んだ、最大のバグ。


「……まあ、いいか」


俺は小さく息を吐き、踵を返した。

一人でいる方が、気楽で効率的だ。そう思っていたはずなのに。

なぜだろう。

彼女が去っていった方向を、もう一度だけ振り返ってしまったのは。

空っぽだったはずのこの世界が、ほんの少しだけ、色づいて見えた気がした。

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