第2話 黒い魔書と最初のスキル
アイテム欄に追加された『バグズ・グリモワール』のアイコン。俺は意識を集中し、その詳細情報を開いた。
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【アイテム名】バグズ・グリモワール
【種別】ユニークアイテム / 魔導書
【装備者】マコト
【所有者権限】譲渡不可、破棄不可
【効果】
・この世界の歪み(バグ)を検知し、記録する。
・記録した歪みを『捕食』することで、所有者に新たな力を与える。
・捕食された歪みは、世界から完全に『修正』される。
【説明】
世界の理から外れし、始まりも終わりもなき書。
その頁は空白。記されるべきは、世界の傷跡そのものである。
汝、歪みを喰らう者よ。その力が祝福となるか、呪いとなるかは、汝の選択次第。
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「……なんだ、これは」
思わず独り言が漏れた。
ユニークアイテム。それは、この広大なゲーム世界にただ一つしか存在しない、特別なアイテムのことだ。サービス初日に、それもこんなシステムの裏側のような場所で手に入れてしまったことに、まず驚きを禁じ得ない。
だが、それ以上に俺を震撼させたのは、その効果説明だった。
「バグを検知し、記録する」「捕食することでスキルを与える」「捕食された歪みは修正される」。
俺の趣味である「バグ探し」が、そのままアイテムの能力に直結している。まるで、俺という人間を見越して作られたかのような性能だ。
「バグを……喰らう?」
意味がわからない。どうやって?
俺はアイテム欄からグリモワールを実体化させてみた。ズシリ、と現実の古書と変わらぬ重みが手に伝わる。表紙は硬質な黒革で装丁され、何の模様も刻まれていない。ページを開いてみても、そこにあるのは黄ばんだ羊皮紙のような質感の、完全な白紙だけ。
これが、どうやってバグを喰らうというんだ。
俺のプログラマーとしての探究心が、猛烈な勢いで燃え上がっていく。
未知のシステム。未知の仕様。その解析ほど、心を躍らせるものはない。
「まずは仮説と検証だ」
俺は冷静に思考を巡らせる。
「捕食」の対象は「記録した歪み」とある。そして、このグリモワールは「歪みを検知し、記録する」機能を持つ。つまり、俺が今まさに利用した「壁抜けバグ」は、既にこの魔書に記録されている可能性がある。
俺は再び、壁抜けに成功したポイント――テクスチャが僅かにズレている、あの岩肌の前に立った。
そして、手に持ったグリモワールを、その「歪み」へと向ける。
何かコマンドが表示されるわけではない。スキルを使うようなアクションも起きない。
「……コマンド入力形式じゃないとすれば、音声か、あるいは意思コマンドか?」
フルダイブ型のVRゲームでは、思考によるコマンド入力が一部で採用されている。メニューの開閉やアイテムのソートなど、単純な操作に用いられることが多い。もしかしたら、この魔書もその類かもしれない。
俺はグリモワールを構えたまま、意識を集中する。
「喰らえ」「捕食しろ」「イート」。様々なキーワードを頭の中で思い浮かべる。
すると、その中のある単語に、グリモワールが微かに反応した。
「喰らえ(イート)」
心の中で強く念じた瞬間、手に持った黒い魔書が脈動した。
ズキン、と心臓が掴まれたかのような衝撃。本から無数の黒い影のようなものが触手のように伸び、目の前の岩肌――テクスチャのズレた一点へと殺到した。
影が触れた箇所から、まるで黒いインクが染み込むように、歪みが侵食されていく。
そして、信じられない光景が目の前で起きた。
コンマ数ミリほどズレていた岩のテクスチャが、まるで高度な画像編集ソフトで修正されるかのように、ピタリと正常な位置へと補正されてしまったのだ。
継ぎ目は完全に消え、どこに歪みがあったのか、もはや俺の目をもってしても判別できない。
「バグが……直った?」
ただ利用するのではなく、根本から修正してしまった。
これは、プレイヤーに許される権限を明らかに逸脱している。GM、あるいは開発者レベルのシステム干渉だ。
俺が呆然としていると、今度はグリモワールが眩い光を放ち始めた。
表紙がひとりでに開き、空白だった最初のページに、複雑な幾何学模様と古代文字のようなものが高速で描き込まれていく。
やがて光が収束し、一つの完成された魔法陣となってページに定着した。
そして、俺の脳内に直接、システムメッセージが響き渡る。
《新たなスキルを獲得しました》
《スキル名:テクスチャ・ウォーク》
慌ててスキルウィンドウを開くと、確かに新しいスキルが追加されていた。
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【アクティブスキル】テクスチャ・ウォーク
【ランク】E
【消費MP】10
【効果】オブジェクトのテクスチャの継ぎ目を任意で認識し、短時間すり抜けることができる。
【制約】生物、及び当たり判定が動的に変化するオブジェクトには使用不可。
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「……は、はは……」
乾いた笑いが漏れた。
これは、とんでもないものを手に入れてしまった。
俺が先ほどまで根気と偶然を頼りに行っていた「壁抜け」が、MPを消費するだけの正規のスキルとして、システムに登録されてしまったのだ。
制約はあるものの、その効果は絶大だ。これがあれば、俺はダンジョンの壁やロックされた扉さえ、いとも容易く突破できるかもしれない。
「なるほど、これが『バグを喰らい、力とする』ということか」
俺は興奮と同時に、背筋を走る冷たいものを感じていた。
この力は、あまりにも危険だ。
ゲームバランスなどという陳腐な言葉では表現できない。これは、世界の法則そのものを書き換える行為だ。
もしこの力が運営に知られれば、問答無用で悪質なチーターとしてアカウントを永久停止(BAN)されるだろう。最悪の場合、何らかの法的措置を取られる可能性すらある。
「……だが」
俺の口元に、笑みが浮かぶ。
「これほど面白いオモチャも、そうそうない」
危険であればあるほど、その仕組みを解き明かしたいという欲求が強くなる。
この『バグズ・グリモワール』は一体何なのか。開発者が仕込んだイースターエッグ(隠し要素)か? それとも、AIによる自動生成が偶然生み出してしまった、システムの特異点か?
そして、「世界の歪み」は、テクスチャバグ以外にどんなものがあるのだろうか。
物理演算のバグ。AIの思考ルーチンのバグ。クエストフラグの矛盾。アイテム増殖。サーバーの同期ズレ。
もし、それら全てを「喰らい」、スキルに変換できるとしたら……?
「……いや、落ち着け。今はまだ検証段階だ」
俺は逸る心を抑え、冷静に現状を分析する。
このスキル【テクスチャ・ウォーク】は、まさしくこの状況を打開するためのものだ。
俺は今、修正されてしまった壁の内側に閉じ込められている。出口はない。だが、このスキルを使えば、再び外の世界へ出られるはずだ。
俺は壁に向き直り、スキルを発動した。
「【テクスチャ・ウォーク】」
詠唱と同時に、視界が切り替わる。
世界がモノクロになり、全てのオブジェクトがワイヤーフレームのような線で表示された。そして、壁や地面を構成するポリゴンの「継ぎ目」だけが、淡い緑色の光の線として浮かび上がって見える。
「これが……世界の構造データか」
プログラマーとして、鳥肌が立つほど美しい光景だった。
俺はこの光の線の一つに、ゆっくりと身体を重ねる。
先ほどのような抵抗は一切ない。まるで水の中を泳ぐように、スッと身体が壁を通り抜けた。
視界が元の色彩を取り戻した時、俺は再び、広大な荒野に立っていた。
背後には、先ほどまで俺を閉じ込めていた、何事もなかったかのような絶壁がそびえ立っている。
手にした規格外の力。その可能性と危険性を改めて実感し、俺は静かに武者震いした。
「さて、と」
俺は顔を上げる。
陽はさらに傾き、空は深い紫色に染まっていた。
最初の目的は達成した。次は、もっと興味深い「歪み」を探す番だ。NPCの挙動に関わるバグや、クエストに関わるバグがいい。それらはきっと、この【テクスチャ・ウォーク】よりも遥かに面白いスキルをくれるだろう。
俺は、再び街へ向かって歩き出した。
手に入れたばかりの力を誰かに見られるわけにはいかない。他のプレイヤーがいる場所は極力避け、慎重に進む。
しばらく歩いたところで、前方の小さな森の中から、剣戟の音と怒声が聞こえてきた。
複数の人間が争っているようだ。
「うらぁ! 雑魚が、さっさとアイテム落とせや!」
「ひっ……! や、やめてください……!」
聞こえてくる会話の内容からして、おそらくは初心者狩りだろう。
MMOではよくある光景だ。強いプレイヤーが、弱いプレイヤーを一方的に攻撃し、アイテムや金を奪う。運営が禁止していても、完全になくすことは難しい。
「……面倒事はごめんだ」
俺は舌打ちし、迂回しようと進路を変えた。
俺の目的はバグ探しだ。プレイヤー間のトラブルに首を突っ込む義理もなければ、興味もない。正義の味方ごっこは、もっとそういうのが好きな奴がやればいい。
そう思って数歩、歩き出した時だった。
甲高い悲鳴と共に、森の木々が魔法の光で照らされた。
「リリィ! 回復を!」
「は、はいっ! 【ヒール】!」
必死な声で詠唱したのは、少女の声だった。
木の陰から見えたのは、白いローブを纏ったヒーラー職の少女。おそらく、先ほどから脅されているパーティの一人なのだろう。彼女は震える手で杖を構え、傷ついた仲間に回復魔法をかけている。
だが、その健気な行動は、悪質なプレイヤーたちの格好の的となった。
「お、ヒーラーがいるじゃねえか! 先にあいつから潰せ!」
「ヒャッハー! 女キャラは装備も高く売れるんだよなぁ!」
下品な笑い声を上げながら、屈強な戦士風のアバター数人が、一斉にその少女へと襲い掛かる。仲間のプレイヤーは既に倒されたのか、彼女を守る者は誰もいない。
絶望に目を見開く少女。振り下ろされる大剣。
――その光景を見た瞬間、俺の足が、なぜかピタリと止まっていた。
別に、正義感に燃えたわけじゃない。
お人好しでもない。
ただ、プログラマーとしての俺の脳が、その光景を一つの「不具合」として認識してしまったのだ。
「システムの不備、ルールの穴を突いたハラスメント行為……。これも一種の『バグ』利用と言えるか?」
俺は無意識のうちに、そんな理屈をこねていた。
そして、ゆっくりと森の方へ向き直る。
手には、まだ誰も知らない、世界の理を覆す黒い魔書が握られていた。
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