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恋するピエロ  作者: 青岬
8/9

採寸


「後、どれくらい行けばいいの?」

「もう少しですよ。」

 こんな会話も、既に幾度か繰り返していた。


 少女は腹ばいになって、必死に腕を動かし続ける。

 床下の穴を、まるでもぐらのように這って行った。

 穴の中にはランプ一つなく、視力は全く役に立たない。


 少女を先頭にして、フッチ、カーシャもそれに続いた。

 後ろの二羽は背が低いため、そのまま立って穴の中を歩いていた。

 移動に最適な両足を使えないぶん、疲労の溜まり具合は先頭の少女の方が確実に大きい。

 額に滲んできた汗を、土にまみれた腕でぬぐった。

『もっと商品を整理していてくれれば、こんな道を通らずにすんだのに。』

「何か言いました?」

 後ろから、カーシャの呑気な声が少女の耳に届いた。

「本当に快適な道ねって言ったのよ。」

 少女は皮肉をたっぷりこめて答えた。






     *






「お嬢さん、大丈夫ですか?」

「額をかなり固いものに真正面からぶつけたような音がしましたけど。」

「…………。」

 じんじんと痛む額を両手でかばいながら、少女は涙目になった。

『……ここに来て、痛い目にばっかり会っているような気がするわ。』

 少女はまだ痛む額から手を離し、手持ち無沙汰になった両手を前方に伸ばした。

 闇の中に進む手は、すぐそこで阻まれた。

 冷たい壁の感触がする。

 軽く叩いてみると、ぺちゃぺちゃという音が穴の中に響いた。

「壁があるわ。これ以上進めない。」

「着いたってことですよ。」

 フッチが『当たり前だ』と言わんばかりに答えた。

 そのまま少女に後方から指示を出す。

「いつまでも壁の存在を確認していないで、両腕を上げてごらんなさい。」

 完全に見下された、偉そうな口調だ。

 少女は小さな不満が心に揺らめいたが、どうにか気にせず、言われるままに両腕を上げた。

 手の平に、また冷たく硬い感触がした。

「軽く押してみて下さい。多分壊れてないと思いますから。」

 がたんと音がして、同時に手がずれた。

 穴の中に一抹の光が差し込む。

 少女はそのまま腕を上に押し続け、膝を立てて天井を開ききった。


 真っ白な光が目に飛び込んだ。

 軽い頭痛がして、思わず両眼を固く閉じる。

 真っ赤な瞼の裏が、どくどくと脈打った。


 すぐに頭痛が消え、目を開ける。

 少女はある部屋の床板から頭を突き出していた。

 とても明るい、真っ白な部屋だ。

 色とりどりの布地が、絨毯のようにあちらこちらに広がっている。

 机の小箱には、色と大きさごとにリボンとボタンがきちんと整理されており、たくさんのメジャーがかたつむりのように丸まって投げ出されていた。


 店内のように暑くはない。

 少女は大きく深呼吸をした。

 澄んだ空気が鼻から勢いよく体に入ってくる。

 初めて呼吸出来たような感動があった。


 慌てて穴から床へ上がった。

 穴に入ってきたときと逆の行動だが、フッチに急かされたという点では全く同じだった。

 部屋の床を裸足で踏む。

 冷たい温度が心地良かった。

 ずっと匍匐前進を続け、固まってしまった体を伸ばした。

「何でトカゲって、あんな姿勢で生涯過ごせるのかしら。」

 後ろを振り返った。

 二羽も既に部屋へよじ登って来ていた。

 フッチは体に付いた土を軽く払い、近くにあるメジャーの中で使えそうなものを選んでいる。

 カーシャが少女の真ん前に立つ。

 黒い両手が差し出された。

「上着を失礼。」

 少女は自分の体を包んでいる上着を見た。

 穴の中で取れたのか、心臓の辺りのボタンが取れている。

 確かにこんなぶかぶかの服を着ていれば、正しい寸法は計れまい。

 少女はボタンを全て外し、上着の袖から腕を抜き取った。


 全身の肌を照明の下へ晒す。

 ペンギン二羽の前で裸になることについて、何も躊躇いはなかった。

「有り難う御座います。」

 カーシャはその上着を受け取り、丁寧に礼をし、部屋の奥に引っ込んだ。

 次に出て来たときは、少女の背丈ほどもあるはしごを担いできた。

 上着のときもはしごのときも、その重さに何度も転びそうになっていた。

 ふぅふぅ息を切らし、やっと少女の前ではしごを置く。

 木で作られた、開閉式のはしごだ。

 植木屋がそれに乗って、庭の木を整えている場面が少女の頭に浮かんだ。


 フッチがそのてっぺんまで昇っていった。

 危なっかしく揺れるそれを、弟が下で支えた。

「ぐずぐずなんかしてられない、さぁ始めますよ!」

 まずは身長を計った。

 フッチが自身の身長よりもずっと長くメジャーを伸ばす。

「はい、背筋をちゃんと伸ばして、猫背は駄目ですよ、踵を上げないように……はい、もう結構です。」

 メジャーを伸び縮みさせながら、フッチは寸分の狂いなく少女の体のあらゆる長さを計っていった。

 一方カーシャは、嘴で鉛筆をくわえ、器用にその数字を紙に書き留めていく。

「はい次は股下、次は両腕……。動いちゃ駄目ですよ、サイズが合わない服を購入するほど無駄なことってないでしょう?」

 新しい服を買ってもらうとき、大抵の女の子はわくわくとした気分になるものだ。

 だが、体を少しでも動かすたびこんな脅し文句が飛んでくるので、少女はかなりうんざりさせられた。


 手の甲の長さを計っているとき、壁に貼られた紙が目に留まった。

 太く濃い鉛筆で走り書きをしたのだろう、黒い芯の炭素が何箇所か紙に擦れていた。





 『月曜日』

 家具・玩具


 ビー玉からワイドクローゼットまで(大人の玩具はその他に含むこととする)



 『火曜日』

 本・音楽


 絵本からパイプオルガンまで



 『水曜日』

 衣服・靴・眼鏡・化粧品


 ベビー服から口紅まで



 『木曜日』

 魚類・両爬類・鳥類・哺乳類


 メダカから奴隷まで



 『金曜日』

 医療道具・薬品


 ピンセットから疫病予防薬まで(月曜日と同じく大人の玩具用医療道具はその他に含むこととする)



 『土曜日』

 防犯道具・武器


 防犯ブザーからロケットランチャーまで(地雷・核兵器は世界平和のため売り出さないこととする)



 『日曜日』

 その他





 残念ながら、それ以外は題名も何も書かれておらず、文章の意味を示すものはなかった。

 だが少女は、二羽に訊かずとも頭にぴんと来た。

 あれは、この店の品揃えスケジュールだ。


 少女がその紙を指差し、最も気になった箇所を訊いた。

「金曜日の、武器って何?」

「自分を守る物、相手を傷付ける、または殺す道具を売り出す日ってことですよ。」

 『鎖骨直径2.59㎝』と紙に書き終えたカーシャが答えた。

 鎖骨の太さが服の採寸にどのような関係があるのか気になったが、少女は会話を続けることを優先した。

「どんな物を売ってるのかしら。」

「あの紙に書いてある通り、核と地雷は売ってません。後はポピュラーにサバイバルナイフとか、マシンガンとか……。あ、今釘バットをお買い上げになると『釘バットを上手にカスタムする方法~相手を早く撲殺するためのに貴方はどうするか?』という本が無料で付いてきますよ、いかがですか?」

「考えておくわ。他には?」

「今人気商品といったら、やっぱり銃かなぁ……その型の練習用の物を、一丁300アールでご奉仕させて頂いています。一発撃ったらその衝撃で分解してしまってはい終わり、という代物なんですけど、皆様には中々ご好評を頂いてますよ。銃、と聞いたらややこしそうで敬遠してしまいがちですけど、銃は刀よりずっと初心者向きなんです。それに……」

「足の平の大きさ、23.74㎝!!」

 フッチが大きな声で怒鳴るように告げたので、カーシャは慌てて頭を下げて鉛筆を滑らせた(フッチはカーシャの話の間に七回も少女の足の平の大きさを言っていた)。

 少女は笑って、また壁の紙を見た。

「ここって本当に何でも売っているのね、驚いちゃう。」

 カーシャはこの言葉に気をよくしたようだった。

 声が先程より格段に高くなりながら、話を続ける。

「お嬢さんに似合う武器って言ったら何だろう……火炎放射器かな? 綺麗な緑の瞳をした少女からお見舞いされる紅の炎!! 最大三メートル四方を一瞬で灰にする、超強力火力! 目盛りを少し調整すれば、手軽に暖が取れますし、焼き芋やゆで卵も一瞬で」

「腹周り、65.21㎝!!!」

 カーシャは、頭を押さえて床にうずくまった。

 フッチに、メジャーの金具部分で頭を思い切りぶん殴られたのだ。

 涙を流している弟を気にも止めず、フッチは口を尖らせて(元々相当尖っている)呟いた。

「全く……皆何故、剣と盾だけで我慢出来ないのか。それだけで、城に閉じ込められた姫様を助けるには充分だというのに! 派手好きが増えて、武器商人としてはちっとも面白くない……全く……。」

 頭、胸、尻、滞りなく計り終わっていく。

 カーシャが持つ鉛筆もそろそろ削り頃となってきた。


 今は鼻の高さを計っていた。

 フッチの顔が少女に限りなく近付く。

 少女は、林檎の木の下で、今と同じくらい男と顔を近付けたことを思い出した。

 少しだけ微笑む。


 今、あの男はどうしているのか。

 店の商品に囲まれながら、一人寂しく少女の帰りを待っているんだろうか。

 だが少女はあまり心配はしていなかった。

 あの男は、孤独に慣れている。

 そんな雰囲気が何となくした。

 自信はあった。

 その自信が何処から来るのか、少女にも分からなかった。


 耳元に、北風のように冷たい吐息がかかった。

 目を見開き、すぐ近くにいる者に意識を移す。

 真っ白いペンギンが笑っていた。

 フッチが耳元で囁いたのだ。

「道化とは、どういうご関係で?」

「……道化?」

 少女が反応し、わずかに頭を横にした(それと同じくらい早く、『動かないで!』と注意された)。

「道化って、一体誰のことかしら。」

「御冗談を。貴方をこの店に連れてきた、あの仮面を付けた男のことですよ。」

 少女は、あぁ、と殆ど面倒臭そうに相槌を打った。

「あの人と私がどうしたって?」

「仲はよろしいんで?」

「……仲がいいかはどうか分からないけど、多分険悪ではないわ。」

「ABCでいうと、何処までなんですか?」

 眼鏡の奥にある、フッチの小さな黒い目が光っている。

 年端もいかぬ客をからかうことが楽しくてたまらないという雰囲気だ。

 少女は口をへの字に曲げて、目を閉じた。

「Dよ。」

「は?」

「あの人との関係はD。Don't know(他人)よ。」

 二羽は顔を見合わせる。

 しばらくすると、フッチは声を出して笑い始めた。

「成る程。確かにあの男は、人の一人や二人気まぐれで拾ってきそうだ。」

「あら、驚かないのね。」

 少女は挑発するように睨んだが、フッチは余裕ある笑みを返しただけだった。

「あいつはそういう男なんです。何を考えているか分からない。もしかしたら何も考えてないかもしれないし、世界征服のことを考えているかもしれない。いつも同じ顔をしているんだ、あいつほどポーカーに向いている奴はいませんよ。……さぁデータは揃った!」

 最後に瞳の大きさを計り、フッチははしごから飛び降りた。

「貴方には白が似合うと思いますよ、レディ。」






     *






「あの子を一体どうするつもりだ?」

 上から降ってきた声に、男、もとい道化はカップを傾ける手を止めた。

 道化はフッチ達が去った場所から動くことなく、数時間待ち続けていた。

 外の雨はやむどころか、どんどん強くなってきている。

 冷たい雫がガラスにぶつかり、弾け、轍のように流れていった。

「どうするって、どういうことだい?」

 がたがたと震える窓に寄り掛かって、道化は答える。

 窓から外の雨を見つめるのも飽きてしまった。


 まだ少女が穴から這い出て来る様子はない。

 道化はこの店の商品の、ポット、ティーカップを勝手に拝借して、優雅に紅茶に舌鼓を打っていた。

 手に持ったカップを揺らすと、その小さな空間で赤い波が生まれた。

「ふむ、やはり紅茶専門店よりこの店の葉のほうが風味がいい。」

 道化はまた一口喉を鳴らし、満足げに笑った。

 ふと何かを思い出したように、シルクハットに言う。

「あぁそういえば、彼女を肩車していたときの君の言葉。形が歪むほど強くしがみつかれたからといっても、女性に対して『貧乳!』はないだろう。幸い彼女に君の言葉は聞こえないみたいだけれど、あれには苦笑いするしかなかったよ。」

「こっちは窒息するところだったんだ!!」

「呼吸なんてしていないのにかい。」

「そんなことはどうでもいい!」

 シルクハットは早々とこの話題を打ち切った。

「あの子とこれからどう接するつもりだと言っている。」

 シルクハットの発言が、額を細かく震えさせる。

 真面目な口調で問われたことに対して、道化はくすくすと笑った。

 一方通行でしか物を考えることが出来ないシルクハットを、嘲笑っているようだった。

「こちらからはどうもしない。あちらにどうかしてもらうまでさ。」

「愛してもらおう、とでも?」

「他にどんな目的があって彼女をここに連れてきたと思う?」

 窓を打ち付ける水の銃弾は、さらに激しくなってきた。

 空になったカップに、また紅茶を注ぐ。

 丸い器から、とろりとした甘い香りと共に、暖かい湯気が立ち昇った。

 シルクハットは鼻を鳴らすように震えた。

「そう上手くいくかな。」

「うん?」

「あの少女は一度死を味わっている。肝は座っているぞ。」

「何が言いたいのかな。」

「いきなり『私を愛して下さい』と告げて、『はい分かりました』なんて答えてくれるかな、ということさ。」

「…………。」

 道化は手に持つカップを見た。

 道化は今日から緑が好きになっていた。

 だが器に描かれているのは真っ白な百合畑だった。

 主張しすぎない白が好きだったはずなのに、百合の花弁を見つめても、何の感情もおこらなかった。

「それもそうだ。」

 一滴だけカップのふちにしがみついていた茶の雫が、底へと落ちていった。






     *






「はい、腕を上げて……そこらを歩いてみて…………手を腰にあてて、胸を張ってみて……はい、くるりとターン。」

 少女はフッチの言葉に従うままに動いた。

 新たな服を纏った少女を、二羽は目を離すことなく観察した。

 その後、深く頷く。

 心中で『いい仕事をした』とでも自画自賛しているのだろう。

「完璧だ。腕が引っ張られたときの袖口の動き具合も、ハイヒールの音の高さ具合も、女の身体的特徴の主張具合も、回転したときのスカートの広がり具合も、完璧完璧、全て完璧。」

 二羽が運んできた大きな移動式鏡が、少女の全身を映している。

 少女は、目の前の存在する、もう一人の自分を見つめた。


 鏡の中の女の子は、柔らかそうな四角襟の白いワンピースを着ていた。

 黒く、踵が高いハイヒールのせいで、少しぎこちなく立つ。

 少女がスカートをつまむと、鏡の中の少女もスカートをつまんだ。

「お似合いですよ。」

 カーシャがはしごに登り、少女の髪をくしでといていた。

「いやまったく、作った服をここまで似合わせてくれると、店員も嬉しいってもんだ。いや違う、私達が似合うように作ったのか……。」

 フッチが、眼鏡を拭きながら賛辞を続ける。

 その途中に、何か思い出したのか部屋の奥に下がった。

「そうだそうだ、これを忘れていた。」

 フッチの真っ白な両手に乗せられて、真っ黒な上着が運ばれてきた。

「ボタンが一つ取れていましたからね、直しておきましたよ。お嬢さんがたくさん買ってくれたから、サービスしときます。」

「あら、有り難う。」

 少女は膝を折り、小さな店員からそれを受け取った。

 もともとあった皺や、土の汚れが綺麗さっぱりなくなっている。

 胸の金色のボタンが、光に反射して輝いていた。

 ちゃんとサイズが合っている服を着た今では、改めてその上着の大きさに驚いた。

 フッチやカーシャではなくとも思わず落としてしまいそうなほど、それは大きい。

 短い間ではあったが、よくこんな服を着て過ごせたものだ。

 少女は苦笑し、軽くそれを抱きしめた。


 ───動物は、危険を感じたら睡眠中でもすぐに覚醒し、逃亡、または攻撃の体制に移らねばならない。

 その覚醒の早さといったら、端から見ていたら驚かずにはいられない。


 そんな野生の動物達を彷彿とさせるように、少女は瞬時に瞳を開けた。

 抱きしめていた上着を目の前に広げ、まじまじと見つめる。

「…………。」

 何か思い出したように、顎に手を当ててまばたきをした。

「どうかなさいましたか?」

 はしごから降りたカーシャが、心配そうに少女に声をかける。

「いいえ、何も。」

 少女は広げてしまった上着を丁寧にたたみながら、返事をした。

 その顔には、まるで道化そっくりの笑みが浮かんでいた。




匍匐前進(ほふくぜんしん)がこんなに難しい字だとは知りませんでした。

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