雑貨屋
腹を空かしているように、空からごろごろと音がした。
風が強くなり、木の葉は身を寄せ合う。
そんな森の中を、足早に移動していく二つの影。
少女を連れた男は、革靴を光らせながら大股で目的地に急いでいた。
ちらちらと天空を確認しながら、威勢よく草むらを踏み締める。
歩幅の差に到底着いていけないだろうと思われた少女だが、当の本人は男に肩車されて移動していた。
胴から伸びる剥き出しの足が、男の胸の前で揺れた。
頭上の風景が目まぐるしく変わっていく。
振り落とされないようにしっかりと相手の頭を掴まなければいけなかったので、男の肩の上はお世辞にも乗り心地がいいとは言えなかった。
早足に比例して、かなりの振動が肩に伝わってくる。
シルクハットが、気のせいかもしれないが何故か反抗するかのようにぶるぶると震えており、腕と胸がどうもくすぐったかった。
胸に張り付いてきた吐き気をどうにか紛らわそうと、少女は男に話しかけた。
「……服屋って、この森の中にあるの?」
話しかけられた男が頭を上げたので、危うく体を地面に叩き付けられるところだった。
「あぁそうさ。森の端っこで、兄弟で経営している。」
「兄弟?」
少女が頭を横に傾ける。
男は、変な連中さ、と呟いた後、
「曜日ごとに色々売られているから、困ったら行ってみるといい。あそこでは、大抵のものが手に入る。」
と言った。
よく貴方が他人に向かって『変』という単語を使えるな。
そんな言葉を飲み込み、へぇ、と相槌を打った。
その店主たちの性格はともかく、品質的・品揃え的には特に問題はないらしい。
「あぁそれと、」
「何?」
「いや、君の格好なら大丈夫か。」
何が、と聞く前に膝頭を男に撫でられた。
背中に冷えた舌が這った感触がして、少女は口をつぐんだ。
*
煙突から、くすんだ灰色の煙が立ち上る。
その煙は宙を蛇のようにはい回り、消えた。
「さぁ、着いたよ。」
男の肩の上でそろそろ限界を感じていた少女だったが、その言葉で食い入るように前方を見た。
とても大きな建物だった。
煙を絶え間無く排出している焦げ茶色の煙突、むらなく真っ赤に塗られた三角屋根に、淡い檸檬色の壁。
森の開けた所にある巨大な店は、自然色に溢れたこの場所では一際目立つ代物だった。
男がその店のドアまで足を進め(こんなに大きな建物なのに、ドアは一つしかなかった)、膝を曲げた。
「何も踏まないように、気を付けるんだよ。」
男はゆっくりと少女の足を地面に付けた。
やっと視界の高度が元に戻った少女は、振動しない地面の愛らしさを噛み締めた。
目の前にそびえ立つ店を仰ぎ見る。
清潔感をアピールするような純白のドアには、黒い文字でこう書いてあった。
『雑貨屋 カーシャ&フッチ』
そのすぐ下には、真っ赤なインクでこう書いてある。
『返品ツケ固くお断り』
男に襟首を掴まれ、少女は素早く後ろに引き寄せられた。
鼻先を、白色の物体が掠った。
いきなりドアが開いたのだ。
ドアを開いた者の背丈はとても小さい。
少女は最初、子供がお使いにでも来ていたのだろうと思った。
驚き混じりになりながらその姿を見つめ、釘付けになる。
その小さな影は、子供ではなかった。
人間ですらなかった。
そこにいたのは、二足歩行している狸だった。
可愛らしいピンク色のエプロンを腰に羽織って、片手に籠をぶら下げている。
「まぁまぁ、ごめんなさい。」
二人の邪魔になってしまったことを謝るその声は、どう聞いても人間の女性の声だった。
目の前の人物の姿を、くりくりとした二つのどんぐり目が捕らえた。
可愛らしく首を傾げ、その狸は言った。
「あらあら、初めて見る人。こんにちは。」
少女の口は、接着したように動かない。
そんな様子を見て、狸は目を細めて微笑んだ(少なくとも少女にはそう見えた)。
「ふふ、またね。ごきげんよう。」
貴婦人がドレスの両端を広げて挨拶するようにエプロンの両端をちょいと広げ、狸は二人の横を通り過ぎて行った。
店から離れ、楽しそうに尻尾をぱたぱた振りながら、上機嫌そうに森の奥深くへと帰って行く。
軽いメロディーと歌詞が、耳に届いた。
狸は歌っていた。
人生をとても幸福そうに過ごしてそうな声で。
そしてやはり、人間の女性の声で。
チャリリンチャリン 胸の中
恋は音出しやってくる
チャリリンチャリン 口の中
赤い飴玉濡れ滑る
チャリリンチャリン 家の中
屋根は日に惚れ真っ赤っ赤
チャリリンチャリン 鍋の中
赤いトマトが煮えている
チャリリンチャリン 森の中
苺は既に甘い味
チャリリンチャリン 水の中
蛙は赤と正反対
チャリリンチャリン 本の中
姫は魔王と大恋愛
勇者のことなど何処吹く風よ
チャリリンチャリン、チャリリンリン
恋は音出しやってくる
狸の茶色い後ろ姿は、森の緑にすっかり隠された。
小さな足音も、やがて聞こえなくなった。
「入ろう。」
男が少女の背中を優しく押し、店の中へと促す。
少女は狸が去った道をずっと見ていた。
歌の歌詞が、どうにも頭から離れなかった。
ドアの向こうは、商品で溢れていた。
果汁をふんだんに使った虹色棒付きキャンディー。
皆同じ顔をした人形。
表面が鏡代わりにもなりそうなほど磨き上げられた大鍋。
『危険! 軍手をして取り扱うこと』と注意書きがされた、何が入っているかは不明な箱(鎖が何重も巻き付けられ、 がたがたと震えていた)。
そんな物達がそれぞれ天井にでも達するかというほど高く積み上げられている。
そのおかげで、店の空間は外から見たときほど広くは見えなかった。
ついでに店内の温度は、窒息しそうなほど暑かった。
熱気が体に纏わり付く。
壁にある黒く巨大な暖炉では、火の固まりの中で何十本もの太い薪が火の粉を飛ばしていた。
早くも顎に滴る汗を拭う。
ここの店では絶対に氷を売ることは出来ないだろう、と少女は思った。
「今は冬なの? 外にいても、そんなに寒くはなかったのだけれど。」
「あの兄弟は、寒がりでね。」
男から先ほど放った言葉の意味が分かった。
裸に上着を纏っただけの今の格好は、この気温に対しまだ楽なものだと考えられる。
少女は肺に供給される酸素が極端に少なくなったことに苦しんでいるというのに、男は全く変わった様子もなく涼しい顔をしていた。
「いらっしゃいませ───!!!」
いきなり後方から、元気を十分に有り余らせたようなはつらつな声がした。
その後すぐ、痛みを訴える声と(んぎゃっ!)、何か積み重なっていた物が激しく崩れ落ちる音がした。
後ろを振り向くと、赤青緑、高く積み上げられていたであろう何十冊ものの本が全て、床にぶちまけられていた。
そしてその下には、何か黒く丸っこい物体がばたばたと暴れている。
いらっしゃいませという言葉からして、この店の店員だろう。
しかしその正体はまだ判別が付かない。
人間でないのは確かだ。
黒く丸っこい物体が悲鳴を上げる。
「助けて下さーい!!!」
「放っておこう。」
「そんな訳にもいかないでしょう。」
服を売られる前に、圧死してもらっては困る。
少女は男の言葉を無視し、色とりどりの山に近付いて何冊もの本を掻き分けた。
本の分厚さや大きさは様々で、辞書から絵本までたくさんあった。
「本は傷付きやすいからどうか慎重に……あぁっ床に投げないで! あぁそれはサイン入りなんですよぉ!」
本の隙間からくぐもった声がした。
黒い者は自分の体の安否より、本の扱われ方を心配している。
少女はその声を適当に聞き流しながら、『アーサー・マホットの簡単園芸』という、ことさら重い一冊をどうにかどけて、やっと黒い者を助け出した。
助け出されたそれは、少女の腕の中で一息付きながら、額に流れた汗をぬぐっていた。
「あぁ、重かった。いやー助かりました、有り難うございます。」
その者の体は、ぬいぐるみほどの大きさだった。
暖かく柔らかい。
真っ黒な体。
へらのような翼に、黄色い嘴、突っ張った腹。
おそらく首元にあたる部分に、真っ白なマフラーを巻いている。
少女の両手には、ペンギンがいた。
全身が煤のように真っ黒な。
店員の両脇をしっかりと掴みながら、少女は訊いた。
「貴方……。」
「はい。」
「カラス?」
その者はかなりショックを受けたようだ。
一瞬顔が呆気に取られたように無表情になり、 その後目を吊り上げて喚き立てた。
「何たる侮辱! 何たる屈辱! カラスなどと! ひどい! ひどい!」
カラスモドキは両羽で軽く音を立てながら、自分を抱き抱えている腕を叩く。
少女はカラスモドキを床へ落としてやろうかと思ったが、流石にそれは可哀相なのでやめた。
相手を床に降ろす。
カラスモドキは、嘴でつんつんと少女の足を突いた。
少女はしかめっ面をして、後ろの男に訊ねた。
「私、何か変なことを言ったかしら。」
「カラス、と言ったのがまずかったのではないかい?」
「でも、黒い鳥と言ったらカラスでしょう?」
足元に視線を移す。
カラスモドキは肩を怒らせて抗議した。
「ひどいひどいひどい! 僕はカラスじゃない! あんな、ずる賢っこくて卑怯で陰湿でゴミ袋をあさったりするような奴らじゃありません!!」
「じゃあ、貴方は何なの?」
少女は膝を折り、カラスモドキと同じ目線になった。
癇癪をおこした子供を落ち着かせるように、すべすべの頭を幾度か撫でる。
先程の狸の件で、少女は喋る動物には早くも慣れてしまったらしい。
カラスモドキは踏ん反り返って答えた。
突っ張っている腹がさらに突っ張った。
「僕、ペンギンです!!」
少女は、その答えにふぅんと相槌を打った。
納得している様子ではなかった。
膝に肘を立て、頬に手を当てて言う。
「そうね、確かに貴方はペンギンに見えるわ。でもそんなはずない。全身真っ黒なペンギンなんている訳ないもの。」
「いるんだからしょうがないでしょう!」
「貴方はカラスよ、絶対。……まぁちょっとだけ太っちゃいるけど、カラスに違いないわ。」
黒い体が赤に染まっているのが分かる。
カラスモドキは一層大きな声で騒ぎ出した。
少女とカラスモドキ、二人分の声がやかましく店内に響き渡る。
男は喧噪を少し離れた所で見つめ、ため息を付いた。
「お嬢さん、虐めるのはそこら辺にしといてあげたらどうだい。」
男は頭をかきながら、口を挟んだ。
少女は視線だけを男に向け、不服そうに言った。
「貴方も黒いペンギンがいるなんて思っているの?」
「本人がそうだと言っているのだからしょうがないさ。あまり興味もないしね。」
「でも、」
男が肩をすくめた。
「それに、弟より兄の方がもっと珍しい色をしている。」
がたがたっと、店の何処からか音がした。
『音がしたぞ! カーシャ! カーシャは何処だ!? また品物を崩したんだろう、カーシャ!』
いきなり床板が開いた。
ちょうどカラスモドキと少女の間の床だった。
少女は驚いてそこを退く。
出てこいと言ったわりに、実際に出て来たのは言葉の主だった。
床から何者かが這い上がってくる。
男の後ろに隠れながら、少女はそっとその何者かの姿を確認した。
その者は自らがカーシャと呼んだ店員を(少女に言わせればカラスモドキを)思い切り怒鳴り付けていた。
「ごめんなさい兄さん、足元をよく見てなくて……お客さんが見えたから、張り切り過ぎちゃったんだよ……。」
カーシャは、涙目で相手に謝罪している。
ペンギンだという言葉が本当なら。
兄弟だという言葉が本当なら。
『あぁ、きっとあれは、フッチなんだわ。』
少女はそう思った。
カーシャの横には、雪のように全身真っ白なペンギンがいた。
へらのような翼に、黄色い嘴、突っ張った腹。
おそらく首元にあたる部分に、真っ黒なマフラーを巻いている。
男が真っ白ペンギンに近付いていった。
少女も後に続く。
「やぁ、フッチ。」
真っ白ペンギン、フッチは弟を叱ることをやめ、その声に頭を上げた。
フッチの頭にかけられている銀縁眼鏡が、きらりと光った。
少女は、フッチを好きになれないと何となく思った。
白ペンギンは、何か企んでそうなとても意地悪な顔をして笑ったからだ。
「やぁ、道化。ここに来るとは珍しい。新しいステッキでもご所望かな?」
「今日の客は私じゃない。このお嬢さんさ。」
道化と呼ばれた男は体を少し逸らし、フッチに少女の姿を見せた。
フッチは少女の姿を一瞥し、礼をした。
「……太っちょ白鳥。」
少女は思わずそう呟いた。
フッチはカーシャのように騒いだりはしなかった。
その代わりに、とても愚かで頭が悪い者を見る目付きで少女を見た。
「道化。この───あー───少し頭が足りなさそうなお嬢さんは一体どなただ?」
後ろから、男が少女の両肩に手を置いた。
相変わらず体温のない手だった。
「私の大切なお客様さ。」
にこやかに答えた男に聞き返す者は、一人ではなかった。
「お客様?」
少女とフッチが、それぞれ男の顔を見上げて言った。
「そう、お客様さ。大事な大事な、ね。」
笑いながら、男は二人に全く同じ答えを返した。
フッチは顎の辺りを撫でながら、じろじろと少女を見つめ上げた。
「ふぅむ……。それでは、このお客様は何をご所望で?」
「服が欲しいのさ。」
「あぁそりゃ駄目だ!」
フッチが顔の前で翼を振った。
男は頭を傾け、フッチにその理由を問い返した。
「おや、それは何故だい? 今日は水曜日。衣服を売ってくれる日だろう?」
「確かに曜日は間違ってないさ。だが」
「さっき来たお客様で服は売り切れてしまったんですよぉ。」
カーシャが口を挟んだ。
「確か夫さんのための新しいワイシャツとかだったかな……ともかく、今日はもう衣服は全て売り切れなんです。」
「あぁ、先程入れ違った……困ったな。」
『どうにかならないのかい?』
男は二羽に訊いた。
二羽は無情にも首を振るだけだった。
「二人ともちょっとこちらへ。」
男は顎で、部屋の中の太い柱を示した。
その手招きに二羽は従った。
男が少女の肩から手を離す。
柱の影に寄り、二羽相手にひそひそ話をし始めた。
こんな会話が聞こえてきた。
『なぁ、頼むよ、私のお客様にいきなり風邪を引かせたくはない。舞踏会用のドレスを注文している訳じゃないだろう? 君達の能力を持ってしたら、簡単にもう一二着作れるはずだ、違うかい?』
『そんなこと言われましても……。』
『これから新しく作る? それは無茶言うな。また来週にはちゃんと売り出すんだから、文句はないだろう?』
『あのお嬢さんには今すぐ必要なんだよ。見てごらん! 私の上着を着ただけのあの哀れな姿を。なんとみすぼらしく官能的か。あれじゃあ外に出れもしない。可哀相だと思わないかい?』
『しかし───。』
会話はそこで途切れた。
何かごたごたとした音がする。
『しょうがないな、今回だけだぞ。』
フッチが、まるで、今回だけではなかったように慣れた口調で答えていた。
少女の目には、その短い翼にしっかりと数枚のお札が握られているのが見えた。
先程の不機嫌さは何処へやら、少女の元に近付き、フッチはことさら明るい声で言った。
「さぁさお嬢さん、こちらへ! ぴったり似合う服を作るために、寸法をしっかりと計らなければ!」
フッチが背伸びして、少女の手を引いた。
いきなり話しかけられて慌てている少女の様子を無視して、フッチは手をぐいぐいと引っ張り、カーシャは背中を押す。
「この床下に潜って下さい。……そんな心配そうな顔をしなくったって、大丈夫ですよ、貴方が潜れる広さは充分ありますから……さぁ、早く!」
少女は舌をもつらせながら、『あ』とか『う』とか返事をして、その穴に足をくぐらせた。
「いってらっしゃい。」
「……はい。」
男がぱたぱたと手を振り、しゃがんで少女を見送る。
少女は消え去りそうな小さな声で答えた。
「さぁ、早く早く! 似合いそうな服を選ぶだけならともかく、一から服を作るんだから大仕事だ!」
フッチとカーシャが少女の頭を押す。
客が完全に穴に潜ったのを確認すると、二羽自身も穴に入っていった。
床板が大きな音を出して閉じられた。
その音を合図としたように、店の中に静寂が広がる。
男はあぐらをかき、一息付いた。
「……くそ。とうとう降り出した。」
商品の隙間からわずかに覗く窓を、男は憎そうに見つめた。
その透明な表面に、涙のように水が滑る。
ぽつりぽつりと、雫が一つ、また一つ落ちていた。




