ピエロ
誰にも相手にされず、一人で生きているピエロに存在価値はない。
その言葉が本当なら、その道化は正に存在価値がなかった。
道化は一人で暮らしていた。
白い壁に灰色の窓枠と、黒い三角屋根。
屋根には、まるで角のように二つの煙突が立っている。
色の配色を全く凝らないで作ったような家。
それが道化の住家だった。
午後七時に夕食を始め、七時半きっかりに食べ終わる。
二階に上がり、海に浮かぶ月を窓からたっぷり眺めた後、十時半に一階に降りる。
面倒臭くてついさぼった夕食の食器洗いを行い、一息付いたら棚から適当に本を一冊取り出す。
それを飽きるまでベッドで読み、午前零時に明かりを消す。
それが日課だった。
ピエロという者は、大抵仮面を付けている。
その道化も例に漏れてはいなかった。
顔全体を覆うとても変てこりんな白い仮面。
輪郭をなぞるように耳の辺りまで口角が伸び、両目は三日月が上向きになったよう。
人に笑われるためだけに存在し、自身も人を嘲るように笑っている。
道化のそんなところは、他のピエロと大差なかった。
その道化がピエロらしくないところは、幾つか見受けられた。
一つめは、森の中にそびえ立つ樹木くらい長生きなことだった。
道化は、人の人生を数えきれないほどたくさん眺めてきた。
祝福されて生まれた人。
望まれず生まれた人。
子供や孫たちに囲まれて死んだ人。
一人で孤独に死んだ人。
もう道化は、人の死にも誕生にも慣れっこだった(誰かの誕生日パーティーの真っ最中に、『可哀想に、また一歩死が早まったんだね』と言って叩き出されたこともあった)。
二つめは、ピエロ定番のあの水玉模様のぶかぶかの服を着ていないことだった。
昔はそれを身に纏い、よく芸をしていた。
それなのに、あるとき未練もなく捨ててしまった。
道化は今、全身真っ黒に染められた燕尾服を着ていた。
廃品回収で譲ってもらった品だった。
それは体にぴったりと合い、すぐに道化は気に入った。
燕尾服は、前の服装では隠されていた、道化の本来の体型を忠実に表した。
道化は、針金のように細い体をしていた。
下品な原色だらけの衣装のほうがまだましの、とても滑稽な姿だった。
だが道化は、
「もう腹を破裂させる芸をしなくていい。」
そう言って嬉しそうに笑った。
道化は長生きしすぎたのかもしれない。
その道化が最もピエロらしくなかったところは、心に欲望と不満を持っていることだった。
自分の生き方に疑問を感じるなど、まるでただの人間ではないかと人は嘲笑った。
草木すら笑った。
浴びせかけられる言葉に納得しながらも、道化はいつも呟いた。
「何故私のことを誰も愛してくれないのだろう?」
道化は今まで何十年も、人に尽くしてきた。
面白い格好をして、滑稽な行動を繰り返し、やがて飽きて捨てられてきた。
悲しむ間はなかった。
すぐにまた、新しい誰かが拾ってくれたからだ。
「こんな惨めな人生ってあるだろうか?」
道化と過ごした人は大勢いたが、笑いこそすれ、誰一人道化を愛さなかった。
道化は人間の真似をして、目の辺りをしきりに撫でた(もちろん、これが涙を拭うための動作だとは知らなかった)。
道化は、ひとりぼっちの人のために生きてきた。
同情や愛情を感じたわけではない。
それが道化である者の義務だったからだ。
「私だって愛されたいんだ!」
誰かに、そばにいて欲しい。
誰かに、耳元で囁かれたい。
誰かに、口付けをされたい。
偽りで充分だから、ずっとずっと愛されたい。
長い間耐えてきた飢餓を、愛で満腹にしてもらいたい。
孤独の瓶に、蜜のような愛を注いでもらいたい。
道化の体は、愛への執着と欲望にまみれていった。
既に、誰よりも狂っていた。
また朝がきた。
窓から真っ赤な朝日が昇って来る。
道化はベッドの中で目を覚まし、自分が誰なのか段々と思い出した。
そして、いつも通りの朝に絶望した。
枕元にある真っ白な目覚まし時計の針が、音を立てながら動いている。
またこれから、単調で新しくも何ともない一日が始まるのだ。
『別人になって起きて、愛する妻が横で静かな寝息をたてていて、枕元の目覚ましは赤くて、窓からは朝日の代わりに真っ白な月が見える……。そんな人生を味わえたら、どんなに幸せだろう……。』
道化は、自分が別人であるわずかな可能性をかけて、シーツの隙間から少し顔を出した。
部屋の帽子かけには、昨日道化が確かに被ったシルクハットがぶら下がっていた。
道化はとうとう降参し、ベットからはい出た。
そして朝七時に開始することが日課の朝食を作りに、一階に降りていった。
水曜か木曜更新。
目標、月二回更新。




