25、血の真実(2)
「逆恨みかよ、クソ外道が!」
確信して瞳をつむろうとしたその時、女の声と鈍い金属音がした。
猛烈な眠気に負けそうな瞼をなんとか持ち上げる。
見上げた先には、ブーツに包まれた細長い足があった。
「家督権のあるオレを殺そうとしただけでなく、友に嫉妬して。見苦しい男だよ、てめえは」
勇ましい声は、ユラムのものだった。
よかった。無事に抜け出せたのか。安堵の気持ちがよぎると、急激に眠たくなる。
フェネトに唾を吐きかけた彼女は、髪をほどいて見せた。
「嘘だ、お前はあの時、僕が!」
雨の中にあってさえ、濡れた金髪がうすぼんやりと自ら光を放っている。
「消えろ! お前は幻だ!」
フェネトの声が、にわかに震えた。
「お前が生きているはずがないんだ! 幽霊め、消えろ! 消えろ!」
セルゲイに向かって吐き続けていた呪詛と、声音が違う。
それは友の――友だった男の喉から初めて聞こえた、情けない恐怖の響きだった。
「いいことを教えてやるよ、愛しいお兄様。オレ――マリ・メイア・デ・リキアは生きてる」
ユラムが、ふわりと優雅にお辞儀をした。それはまったく、貴族の仕草だった。
「馬鹿な! あそこの海には陸地なんてなかった! 消えろ、亡霊め!」
フェネトが無我夢中になって叫んでいるのが聞こえる。
ユラムが泥水に構わず両膝をついて、セルゲイを抱き起こしてくれたので、顔が見えた。
ありがとう。
と、言ったつもりだったが、喉は仕事をしてくれなかった。
「いい、喋るな。あとはオレに任せろ」
ユラムは小さく微笑んでくれた。
騎士は遠のく意識をつなぎ止めるのでいっぱいいっぱいで、答えられない。
ただ、彼女の身体が、笑顔が柔らかく温かで、なんだか泣けてしまった。
頬の上を涙が雨に混じりながら落ちてゆく。
その涙を、ユラムは指で丁寧に拭ってくれた。
「とっととケリをつける。だから、待っててくれ、セルゲイ」
「お、女! お前も幽霊か!」
フェネトの焦りきった声に少し驚いて意識が浮上すると、もう一組の温かい腕に抱かれていることに気がついた。
「なるほど、あれがクソオニイサマか。確かにやな奴。〈鯱〉のがまだマシかも」
やけに明るい声の持ち主に、セルゲイは心当たりがあって瞳を開いた。
「ア……?」
霞む目に、あのミルクティー色の娘がぼんやりと映り込む。
「そーだよ。しっかりしな、セルゲイ」
本当に夢に見た柔らかい谷間が頬に寄せられているのに、今は呼吸と意識を保つので精一杯で、堪能どころではない。へへ、とセルゲイは自嘲した。死ぬ間際に、俺は。〈海豹女〉号に乗り込んだはずの彼女が何故ここにいるのかわからないが、今のセルゲイに考えられる余力などなかった。
怪物たちの咆哮、足音に続き、どしゃりと何かが倒れる音がした。
あちらもあちらで、戦いに決着がつきそうなのだろう。
女海賊はセルゲイの身体をアンに任せると、おもむろに立ち上がっていた。
霞む目には、凜と佇むユラムのブーツのくるぶししか見えない。
「オレも答え合わせをしてやるよ。九年前のあの日、エスメラルダを出発したデ・リキア伯爵家は、悲しい事件に遭った。水の魔法の〈ギフト〉に恵まれた跡取り娘が、船の上から忽然と消えちまった。誰も何もわからない。楽しいバカンスが一転、悲しみに包まれた家族はしかたなく無能で非才の長男のフェネトを跡取りに据えた――」
「やめろ、言うな――!」
「だが、真実は違う。兄は妹を深い海へ突き落としたのさ。なんてことはないただの殺人事件だ。そして妹は――マリ・メイア・デ・リキアはここにいる。生きている。なぜか?」
ユラム――メイアの胸を張った声が聞こえる。
「オレは救われたんだ。海の大神様が、可愛いアンに出会わせてくれた! オレは海から還った本物の海豹女さ。知ってるか? 水の精霊ヴァトゥンと契約した船乗りは、無敵なんだぜ」
水っぽい雑音の中にあっても、彼女の引き抜いた曲刀の涼しい音はくっきりと聞こえた。
「そんな、精霊と契約なんて……あり得ない……」
「それじゃあ、確かめてみようか、クソ兄貴!」
そうユラムが叫んだ瞬間、びしゃりと雨粒よりも大きな何かが飛び散る音がした。
大地に座るセルゲイの尻の下がじりじりと振動する。エウリッグが倒れ、彼の血飛沫が飛んできたのだ。そのあと、くつくつという静かな笑い声が、爆発した。
「見える! 見えるぞ! 足も感覚がある! 血だ! ドラゴンの血はやっぱり霊薬だったんだ! 天は僕に味方したぞ、メイア!」
セルゲイが目を凝らした先で、血まみれのフェネトが飛び起きて眼帯をむしり捨てた。
「ここでもう一度、お前を殺す」
そこでは、かつてセルゲイが奪った目が、元のように再生されていた。
「セルゲイともども、死ね!」




