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【完結】薔薇の王子、幸運の翼  作者: 黒井ここあ
第三章 勇気、凛々として

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25、血の真実(1)

 骨と肉の化け物と化したクリフォードは、鳴らない喉からどろどろした液体と奇妙な高音をまき散らした。

 剥きだしの目玉は血走り、ぐるんぐるんとあべこべの方向を向いている。

 おそらく、人間としての理性はなくなってしまったのだろう。

 クリフォードだった化け物はのたうちまわりながらまっすぐにユラムめがけて突進してきた。


「ユラム!」


 セルゲイが咄嗟に彼女をかばった瞬間、目の前に濁った唾液の滝と死臭が溢れかえった。

 食われる!

 恐怖を感じた瞬間、黄金の塊がセルゲイの右から爆風のように飛び出した。

 突如巻き起こった旋風に飛ばされたセルゲイとユラムは、カルデラの際に尻餅をついた。

 雨の濁ったカーテンの向こうをさっと確認する。

 金色の竜が黒く腐りきった竜に噛みついていた。

 巨大な生物が水しぶきをまき散らし、地鳴りを起こしながら戦う。

 その姿に唖然としていると、ぴちゃぴちゃという静かな足音が近づくのに遅れてしまった。

 それはエウリッグが背に隠していた〈ビュロウ〉への入り口だった。


「待て! フェネト!」


 セルゲイは滑る大地に体勢を崩しながら、〈ビュロウ〉の入り口に立ちはだかった。

 追いついたユラムも隣に並ぶ。


「なんで〈鯱〉なんかと一緒にいるんだよ! なんで!」


 セルゲイは一縷の望みをかけて問うた。

 フェネトは顎をそびやかしてびしょ濡れになった前髪を耳にかけ直した。


「セルゲイ。お前はいつも僕の人生を邪魔するんだな」


 彼の瞳が冬の海のように冷たくセルゲイに刺さる。


「違う、フェネト。話をしよう。お前は騙されてるんだろ――」


 静かに降る雨と怪物の立てる地鳴りの合間にあってなおフェネトの声はくっきりとしていた。


「お前は僕から全てを奪った。だから、失敗や失う辛さを味わわせてやった。それなのに性懲りも無く僕の前に立ちはだかる。何様のつもりだ? 諦めが悪いのが庶民根性なのか?」


「そんな、俺は……!」


「サフィーラで引き返していれば国で慰めてやったものを」


 せせら笑う彼の意地悪な表情は初めて見るものだった。


「まだ、許してくれないんだな。だったらそう言ってくれれば――」


「そっちこそ、まだ対等だと思っているようだな」


 セルゲイはフェネトにすがりつこうとした。

 その時、地響きのような咆哮が金色の塊ごと飛んできて壁に叩きつけられた。

 大地が揺れ、ひび割れた山肌が崩れた。

 落ちる岩と砂埃の中にユラムがいた。


「ユラム!」


 彼女の悲鳴は轟音にかき消されて聞こえなかった。

 土埃が収まる前に、セルゲイは女海賊のいたところへ駆けつけた。

 手が、顔が、上半身が見える。動いている。


「今、助けてやる!」


 セルゲイは急ぎ、取り除けそうな小岩をどかしはじめた。


「待て、足が!」


 いくつかどけて転がしたが、ユラムの右足だけが抜けない。

 どうやら変に曲がったまま、岩の間に挟まっているらしい。

 女海賊の腕ごと身体を引っ張ると、彼女はらしくなく高い声を出して痛がった。

 折れてはいないらしいが、それがかえって不都合だった。


「セルゲイ、もういい!」


「まだだ! まだ――!」


 と、その時、セルゲイの腹に、言い難い痛みが走った。

 熱い。

 そう思った瞬間には、ひりつく痛みに声も出なくなり、その場に膝をついてしまった。

 身体をまっすぐに貫いた何かが引き抜かれる。


「セルゲイ!」


 騎士の身体からは力が抜け、頭はいつの間にか、地面に打ち付けられていた。

 呼吸に大きく喘ぐ口には外から泥水が浸入するし、内側からは血があふれかえる。

 不味いし、苦しい。呼吸そのものが苦痛だ。

 倒れ込んだセルゲイの腹を、誰かに蹴られた。フェネトだ。


「お前、また僕を軽んじたよね。女に現を抜かして。ねえ。僕と話をしていたのに」


 温かい液体が溢れる腹を押さえるセルゲイを、フェネトが笑いながら蹴り転がす。


「いい気味、いい顔だよ、セルゲイ! 鏡で見せてやりたい! お前にはそういう顔がお似合いだ。お父様とドーガス卿にも見せたかったなァ! 本当なら一年前、こうなる予定だったんだ! それを、お前は!」


 あらゆる痛みに耐える長い時間が過ぎたころ、セルゲイの背中に平たい何かがぶつかった。


「小姓に、従騎士に、王子近衛騎士になったことを詫びろ! 庶民の癖に! 貴族を退かせたことをここで、さあ!」


 食いしばりながら見開いた目には、広いカルデラで争う二頭の怪物の影が見えた。

 その手前で、フェネト――親友だと思っていた男が冷たく見下ろしている。

 まるで悪夢だ。セルゲイは霞む意識でぼうっと思った。

 これを、神子姫様はご存知だったんだろうか。でも、言われても信じられなかったな。


「お前のせいで僕の人生はめちゃくちゃだ。いつでもへらへらして努力もそこそこに成功して、目をかけられて、あまつさえ僕と同列に扱われて! よくも、よくも辱めてくれたな!」


 男は、何かを言うたびに左手のレイピアをセルゲイの腹に突き刺してきた。


「だから、お前に復讐した。御前試合で恥をかかせようと思って剣を代えておいた。なのに、お前は! なんで僕だけがひどい目に遭わなくてはならないんだ!」


 腹をかばうセルゲイの腕までも、フェネトは容赦なく突き刺す。何度も、何度も、執拗に。

 痛い。焼けつくような痛みを、続けざまに与えられる。

 ほとんど拷問だ。しかし、痛むのが身体なのか心なのかわからない。

 今、瞳から溢れているのが、血か涙かも。


「しかもお前は王子に拾われた。騎士団を首になるはずだったのに! だから、計画を立てた。まず、僕が自分の失敗を取り返すには、ドラゴンの血――霊薬が必要だ。運がいいことに、魔術師がドラゴンに追われていること、クリフォードが世界一の宝を求めていることを知った。あとは、王子だ。あの弱虫をたきつけるために、魔術師に花嫁の偽装誘拐を演じさせた。全てうまくいくはずだったんだ! ドラゴンの薬を作って売れば、アルバトロス商会の看板だって地に落ちるはずだった! 陛下と父上だって、僕の計画を信じてくれていた。なのに!」


 フェネトが雨の中で半狂乱になって叫ぶのを、セルゲイは聞きとめられなかった。

 呼吸はいくらしても足りず、目は霞むし、意識が朦朧としている。


「邪魔なんだよ、お前は!」


 彼の語る言葉の節々に、悪意が凝縮されていることだけは伝わってきた。

 その全てが、セルゲイを否定するためだけに並べられていた。


「最後に教えてやるよ。この世に、お前の信じる正義なんか、無い。生き残ったほうの信念が圧倒的に正しい! 生き残ったほうが正義を語れる!」


 腕の隙間から見たフェネトのぐしゃぐしゃに歪んだ顔の真ん中で、殺意がぎらついた。

 その、凄まじい表情には既視感がある。

 そうだ。あの日御前試合の兜の下で、フェネトは同じ顔をしていた。

 俺は死ぬのか。


ここまでよんでくださりありがとうございます。

次回更新は12月19日21時ごろです。


更新を待たずに読める文庫本もあります。

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