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【完結】薔薇の王子、幸運の翼  作者: 黒井ここあ
第三章 勇気、凛々として

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23、健やかなれ、竜の娘よ(1)

 驚くほど澄みわたり凪いだ空と海の青の間をとろとろと行き、〈海豹女(セルキィ)〉号はついにオパーラ島に到着した。

 慣れ親しんだ〈赤き薔薇〉(タ・ロゼ・ダラク)号やメインマストを失くしてしまったグレイズたちは、半ば呆然としながら、島に二つだけある波止場の片方に〈海豹女(セルキィ)〉号を寄せた。

 なかでも、セルゲイの悔しがりようといったらなかった。

 むくれた彼は、まだ船を下りてこない。

 聞けばアンを助けようとしていた彼は、目の前で彼女を波にさらわれてしまったらしい。

 そのようだが、アンはなぜか助かっていて今もグレイズの目の前でピンピンしている。

 船に戻り、友だちの少し丸まった背中に手を伸ばす。


「セルゲイ」


 何があった? 

 よく頑張ったよ。

 もしくは、そういうこともあるさ。

 悩んだがいずれも不適だろうと全てを飲み込んだ。

 主君としても友としてもグレイズからかける言葉は見つけられなかった。

 だから、ぽんと一つ肩を叩くだけにしておいた。

 元気づけるように努めて明るく。

 自分と同じなのだろう、ユラムも何か言いたげにセルゲイを見つめていた。

 彼女はやがて気づかない騎士から首を背け乗組員を船から降ろすと自分も下りていった。

 オパーラの島は、ペローラ諸島のどの島よりも緑に溢れていた。

 無作為に植物が生息し、幹の細い背の低い木々が多く立ち並ぶ姿は、原始の姿を見るようだ。 人の手がまるで入っていない。ほかの島々とはまったく違っていた。

 グレイズが興味をそそられて観察していると、誰よりも先に船を飛び降りた遍歴学生レイフが土に這いつくばっていた。上陸したと思いきやこれである。彼にとって、体を汚す土は敗北を意味しないようだ。土を巾着に入れてみたり、見慣れぬ植生や昆虫を見るたびに明るい声を上げている。遍歴学生の心のタフさにはいつも舌を巻かされる。


「なるほど、火山性の島なんだな。まだ、生きているかな。オパーラっていうぐらいだから、オパールも採れるんだろうか」


 学者の大きな独り言にも慣れてきた。むしろ、彼の平常な態度に心が凪ぐ。

 レイフは嬉しそうに、そして悔しそうに頭を掻きむしった。


「ああ! 紙、ちょっとしかないな! ノートを送ったのは失敗だったか!」


 船の上、遠くから白く輝いて見えていたもの――飾り気の無い、こんもりとした丸いドーム型をした不思議な形の建物が彼の興味と研究対象になるのも時間の問題だろう。

 扉のようなものと窓があるところを見ると家らしいのだが、人気はまったくない。

 白く丸い家が並ぶ様は、まるで大きなきのこのようだ。


「戻ってきちまった……」


 グレイズの隣で、キールヴェクが呟いた。


「やっぱり、おいらはここで死ぬ運命なのかな」


 魔術師は懐から自分の〈ウィスプ〉を取り出して、そっと頬ずりした。


「グウェン。最後にもう一度、会いたかったな」


 その時だった。

 ひゅうん、と甲高い音があたりに響いた。続いて、低い風切音が風圧と共に押し寄せる。

 グレイズが驚いて見上げると、黄金に輝く何かが視界を掠めた。


「あれは!」


 期待が王子の心に芽生える。彼の足元では魔術師が頭を抱えてうずくまった。


「グレイズ!」


 セルゲイが剥きだしの剣を手に走ってきてくれた。


「下がってろ!」


 騎士が立ちはだかったその瞬間、あたりに小さな竜巻が生まれた。

 この風には覚えがあった。

 強まる風、目に襲いかかる埃に構わず、グレイズは顎を上げた。

 黄金の光を放つ竜の懐には乳白色のバスタブが、その中には赤く輝く短髪を逆巻く風に遊ばせる少女がいた。髪が短くなろうと、世界でたった一人の愛しい娘のことはすぐにわかる。


「マルー!」


「グレイズ様!」


 腕を伸ばしている花嫁を、グレイズは待ちきれずに迎えに行った。

 ドラゴンがどすんと着陸するやいなや、マルティータはバスタブから飛び出してグレイズの懐に飛び込んだ。

 思い切り抱きしめた細い身体の感触、温かさ、よく知っている柔らかで甘い匂いに、彼女を確かに感じる。

 愛おしいマルティータの全てを包み込みたいと思っているのに、残念かな、グレイズには腕が二本しかなかった。


「グレイズ様! お会いしたかった!」


「飛んで行ってしまったのは君だよ、マルー」


「譲れぬ事情があったのです。ああ。何処からお話すればよいか……!」


 じわりと目頭が熱くなる。人目がなければ思い切り泣いていたかもしれない。

 それにしても、抱きしめたまま離れずに顔を見るにはどうしたらいいのだろう。

 こうして再会できたというのに、切なさはこみあげるばかりでため息が止まらない。

 いたしかたなく少しだけ身体を離し、愛しい娘の顔を見下ろした。

 薔薇色の頬を両手で包み込む。ここに、マルティータがいると何度でも確かめたい。


「少し、日に焼けたね」


「グレイズ様も」


 新妻も夫と同様にして、顔を愛おしげに撫でてくれる。


「髪、切ってしまったのかい」


「グレイズ様は、伸びましたね――」


「グレイズ! マルティータ様とドラゴンから離れろ!」


 鋭い声に、一同の注目が集まる。セルゲイだ。

 切っ先を向けたままの騎士が躍り出たのを、マルティータが止めた。


「お止めになって! お友だちなの! エウリッグは人に危害を与えません!」


「でも――!」


「あの時、サフィーラであなたがたを傷つけなかった! それが証明です!」


 マルティータがきっぱりと言い切るのに、セルゲイはしぶしぶ剣を下ろした。

 それと同時に、エウリッグと呼ばれた黄金竜は翼を畳んで小さくまとまっている。

 敵意はないと言っているように黄金の瞳がゆっくりまばたいたので、グレイズも同様にした。

次回更新は明日12月12日18時00分ごろです。

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