22、命懸けの航海(1)
夜空の真上にやってきた月を合図に、グレイズたちを乗せた〈海豹女〉号はアンプラ=ペロ島を出発した。
仲間は全員、グレイズに着いてきてくれた。
ブランカス遺跡まで連れてきてくれた水先案内人のパンメルとその幼い息子も乗船した。
出発の直前、グレイズはまだ日が高いうちに、万が一のため、ヴァニアス王国の両親へ帰るあてのない旅に出る旨と感謝の言葉を記した手紙を出した。
「この手紙をお読みになりましたら、黒鉄で黒き獅子の鎧をお造りください。そしてそれを私だとお思いください」
と、最後に書き添えると、ほろりと涙が落ちてきた。
これを読んだ両親はどんな顔をするだろうか。怒るだろうか、泣いてくれるだろうか。
そう想像するだけで泣けてしまった。
十八年の人生のうち、父からは厳しく、ときにつらく当たられた。
逆に無関係を装ってきた母とは関わりがほとんどなく、思い出が乏しい。けれど、愛しているには違いなかった。両親が不器用なりに愛情表現をしていたことも今ならわかる。
清らかで優しい育ての親、叔母ミゼリア・ミュデリアへの感謝の手紙も忘れずに入れた。
レイフに至っては、彼の研究成果とも言える、あの分厚いノートブックを小包にして祖国に発送したという。
「いやあ、こうなってみると、難破で失われた名も無き旅人の記録ってたくさんあるんだろうね! せめて僕の記録だけでも後世に残しておかないと! ハハハ!」
遍歴学生が明るく笑いながら縁起でも無いことを言うのを、乗組員たちがじっとりとねめつけていた。これにはグレイズも苦笑した。如何なる時も、レイフはレイフだった。
セルゲイはというと、実家のアルバトロス商会とドーガスに宛てたらしい。
なんと書いたのか気になって尋ねると、騎士はニヤリとさも意地悪そうに笑った。
「告発文だよ。親父にスキャンダルを送れば、裏がなくても新聞に載るからな」
「表、つまり一面に?」
「違う。どんなに確証のない噂話でもいいからいつでも話題が欲しいんだよ。これは金になるぜ。『海賊の王太子妃誘拐、驚愕の真実! 二重スパイが証言する驚きの陰謀!』あとは陛下は禿げだとか、デ・リキア卿は腹黒とか言いたかったこと全部書いてやった!」
俳優のように朗々と述べられて、グレイズはたまらず噴き出してしまった。
確かに、父は頭頂が薄いのを素敵なかつらや帽子など、あの手この手で誤魔化しているし、デ・リキア卿についても同意見だったからだ。
「見直しましたわ。あなた口説きのセンスは無いけれど、ユーモアのセンスはおありなのね」
後ろに控えていた侍女イーリスからもくつくつと殺した笑い声が聞こえた。
「あなたの微笑みをいつも浴びるためです、イーリス殿」
「はあ、白々しいこと。減点ですわ」
「ドーガス卿には?」
グレイズが半笑いで尋ねると、騎士は歌うような美しい声を作った。
「あなたの素晴らしい血脈が途絶えぬよう、早く素敵なお嫁さんを見つけてください」
「ハハハ!」
今度は堪えきれず大笑いしてしまった。セルゲイがきょとんとしているのも面白い。
どうやら彼はユスタシウス・ドーガスとイーリスの婚約について知らないらしい。
だから、ことあるごとにイーリスの気を引こうと躍起になっていたのか。
「余計なお世話じゃないか!」
「俺とドーガスさんの仲だからいいんだよ!」
「君こそ恋人がいないのに」
「うるさいな! 既婚者は黙ってろ!」
王子と従者は、腹を抱えてひとしきり笑いあった。
セルゲイの額の上で、左の眉だけがぴくぴくと上下しているのも面白い。
自分も挑戦してみたが、両方がいっぺんに動くだけで、騎士に小馬鹿にされた。
しかし、不思議と悪い気はしなかった。
笑いながら、なんだか夢がひとつ叶ったような気がした。
グレイズの人生はひとりぼっちだった。
孤独はマルティータと二人でわけあえたけれど、友と呼べるような人はいなかった。
王城ケルツェルの、あるいは離宮ベルイエンの窓から見下ろした地上で、若い小姓や従騎士たちが楽しそうにしているのが羨ましかった。
その輪に今、自分も入れているような気がする。
それだけではない。
マルティータを救いたいという、ある意味で自分勝手で独りよがりな望みを掲げて突き進んできたにもかかわらず、彼には様々な思いを共有する仲間ができた。
きっと、友とはこうして自然に繋がり、その絆を太く育てていくものなのだろう。
***
輝く暗闇へ向けてまっすぐに〈海豹女〉号はご機嫌に進む。
甲板の上、ひんやりとした夜風に髪を洗われるのが心地よくて、グレイズは顎を上げた。
濁りの無い星空にぽっかりと浮かぶ満月に、奪われた〈ウィスプ〉が重なる。
まるで金の林檎の物語だ。手すりに上体を預けてグレイズは思った。
愛の象徴たる銀と金の林檎――銀の瞳のマルティータと、金色の〈ウィスプ〉を追いかけている。その先に、幸せな結末があるかはわからない。
けれど、全てが自ら選び取った道のりだという確信はあった。これが自信なのかもしれない。
「びっくりした。そこにいたのか」
と、凜々しい女の声がしたので、グレイズは振り返った。
「ユラム」
彼女の金髪が月明かりを受けて光っている。男装の麗人は大きな帽子を脱いでいた。
その清い輝きは、彼女の高潔な精神を象徴するかのようだ。
「あんたは髪が黒いから、星空に溶けていたんだね」
「詩的だな。ところで、聞いてもいいかい」
「ああ」
彼女は、長い前髪をけだるげに後ろへ撫でつけた。
「女性が海賊の頭領になれないと言われながら、どうして君は立ち上がったんだい?」
「そんなの」
ユラムは自嘲するように鼻で笑った。
「クリフォードの奴を見たらわかるだろ。あいつは、女をペットか何かだと思っている。力で劣るものは生物として劣っているとさえ。ヴィルコが知らないところであいつは女を飼ってたんだよ。あるいは物として所有していた。おぞましいだろ」
「それが〈海豹〉の女たちなのか」
「そう。オレたちは海豹の皮を被って、子どもたちと一緒に海に帰ってきた海豹女さ。それを未練がましく男が追いかけてきてる」
「その実、女の魅力に参っているのに気づかずに?」
「そう!」
二人は顔をつきあわせてからからと笑い声を立てた。
「ルジアダズ海賊団は本来、自由を尊ぶために生まれた。国王の私掠船時代から親父――あいつ、オレの育ての親なんだよ――ヴィルコはそう思ってたんだと。その意志を継いでオレたちは自由を得たい。そしてヴィルコが繋いだペローラ諸島の絆をもっと強めたい。それこそがヴィルコの意思で、二代目がやるべきことだと思ってる。思わぬところから――ヴァニアスから横やりが入ってきたのには驚いたがな」
グレイズは、耳障りのよいユラムの発音に、彼女の纏う上品さの一端を感じた。
そして何故だろう。彼女はペローラ人なのにヴァニアスのことをディアマンテとは呼ばない。
目が合うと、ユラムが形のよい眉を片方だけ引き上げた。彼女もできるらしい。
「そうだったのか。大変なところに邪魔をして……。父上のことは申し訳ないと思っている」
「王子様は優しいな」
グレイズはきょとんとしてしまった。
「そうだろうか」
「ああ。すぐ謝れるのはいいことだぜ」
ユラムは褒めてくれたのだろう。しかしセルゲイとは真逆のことを言われると戸惑う。
けれど、どちらも正解なのだろう。二人の育ち、住む世界は全く異なるのだから。
「私は己の幸せな未来だけを願っていた気がする。だが、考えが変わったよ。誰かを守ることは誰かの未来を守ることで、その誰かは私の未来にも繋がっているのだと。もしかしたら、マルーはとっくに知っていたのかもしれないな」
グレイズが気恥ずかしさに頭をかくと、ぱしんと背中を叩かれた。
「クリフォードの台詞を借りるのは癪だが、オレもお前とお姫様が『めでたし、めでたし』になったらいいって思ってるぜ――」
「ユラム! ヤバい!」
見張り台からきゅんと張り詰めたソプラノが降ってきた。アンだ。
彼女の影が指さす行く手を見る。
そこでは、透明な星空を濁らせる別の闇が、空と海を食らいはじめていた。
さきほどまで見えていたはずの水平線はどこにもない。
「おう! 全員叩き起こせ!」
「あいあいさ!」
ドスの利いたユラムの指示が飛び、乗組員の動きが活発化する。
「特にキールは寝てても引っ張ってこい!」
気高い心、的確な指示、性別など関係なく、ユラムは頼りがいがある人間だ。
と、月光の降り注ぐ甲板に、乗組員たちより頭一つ大きな影がよろよろと現れた。
「グレイズ」
仮眠を取っていたセルゲイが頬を撫でさすりながらやってきた。
イーリスかは知らないが、誰かから目覚ましの強烈な一発を食らったらしい
。
「よかったな、起こしてもらえて」
「容赦ないぜ、まったく――」
「さあて、悪魔のお出ましだぜ!」
ユラムが引きつった笑みを浮かべた瞬間、濃霧が〈海豹女〉号を包んだ。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次回更新は12月10日18時ごろです。
コミケでも『薔薇の王子、幸運の翼』の本を頒布します。
二日目西1む08a黒井吟遊堂にきてねー。




