19、卑劣なる〈鯱〉(2)
「他の長物はいいや。ガキが力で俺にかないっこねえからな」
片脚の海賊クリフォードはそう豪語すると、分厚い手のひらをグレイズに差し出した。
「なあ、王子様よ。そこのひよっこユラムから俺に鞍替えしな」
「グレイズ! ダメだ! 罠だ!」
「我が君、いけません!」
セルゲイがイーリスと同時に王子を見る。
彼は背筋を天へ伸ばし、くちびるを真一文字にきりりと引き締めていた。
そしてそのままちらりと騎士を見た。
その冷たく静かな表情にセルゲイはぞくりとした。
普段の彼の瞳が麗らかな春の青空だとするならば、今は凍み付いた冬の空のようだ。
それに気づいたのはおそらくセルゲイだけだ。
火の粉が降るように騎士の肌がちかちかする。
ラ・ウィーマ村が襲われた時――あの時もグレイズの瞳が燃えていた。
彼の怒りの炎は赤でなく、より高温である青で燃え上がる。
「返事はねえのか、ああ?」
グレイズが黙ったままなのに耐えきれなかったらしい。
クリフォードが続ける。
「ほら。喜べよ。〈海豹〉にできないことをやってやろうってんだ。俺たち〈鯱〉が嫁さんをさらった憎きドラゴンをぶっ殺してやる。お宝は山分けでお姫様も無事。最高の『めでたし、めでたし』ってやつをくれてやるよ」
「ほう」
グレイズのハイバリトンが胸にほど近いところで短く鳴った。
低く、冷ややかな初めて聴く声に背筋が凍りそうでセルゲイは思わず息を詰めた。
「クリフォード。お前はドラゴンに出会ったことはあるか?」
「あるわけないだろ」
冷笑する海賊に、グレイズは顎をしゃくり上げた。
「私は一太刀浴びせた」
「けど殺せなかった――」
「ああ。だからこそ、相手の強さを知っている。だがお前は刃を向けるどころか出会ってすらもいないのに勝てると、なぜそう言えるのだ?」
グレイズはゆっくりとクリフォードに向かって歩み出した。
「そりゃあ、俺たちゃ勇気ある海賊だからな。それに、強い。絶対に負けることは無い」
「素晴らしい自信だ。羨ましいよ」
グレイズは一呼吸置いた。
「しかし、それは本当に自信なのか? 本物の勇気なのか?」
「あん?」
グレイズの足が止まる。
「他者の命を弄ぶことを勇気と呼ぶのか、と問うている」
「訳わかんねえこと言ってんじゃねえ。いいから俺の手下になれ。聞いてンのは俺だ」
王子から期待した答えがすぐ出てこないのに、クリフォードが見るからに苛立っている。
セルゲイはじりじりと靴底を摺り、気づかれないようグレイズを追っていた。
ちらとイーリスと目が合う。
彼女もまた、王子が注意を引いてくれているのをうまく利用している一人だった。
グレイズはいつもの猫背が嘘のように凜然としている。
「私はドラゴンが恐ろしかったよ。遠くから見て、真っ向から対峙して、とてもかなうわけがないと思った。目と鼻の先に突きつけられた鼻先、そこにある牙の並ぶ口にひとのみされれば命は無いと」
カカ、とクリフォードがせせら笑う。
「お前、棒無しじゃねえのか?」
「そうだな。私の霊魂はかつて女の身体に入っていたのかもしれない。だが、君よりは勇気を持っているのだと、今、少し自信が持てたよ」
それを、グレイズは小首を傾げて受け止めた。
「騎士の十戒を知っているか?」
「ハァ?」
「優れた技術を持て、勇気をもって弱者を救え。いつも正直に高潔たれ、誠実であれ。慈悲深く寛大であれ、信念を持て。常に礼儀正しく、無私にして崇高な行いに身を投じよ」
グレイズはまるで、あらかじめ演説を用意していたかのように流暢に語る。
「私も騎士の一人だ。常にそうありたいと思っている。反対に、過信や他人の命を弄ぶ暴力は大嫌いだ。許せない」
そして唐突にグレイズは一際声音を明るくした。
「つまりクリフォード、君のことが気に食わない。謹んでお断りする!」
「てめえ……!」
グレイズの明朗な宣言にクリフォードは顔を真っ赤にした。
「こっちが黙って聞いてやってりゃよォ、偉そうに!」
そして両腕を跳ね上げて二本の剣を宙に浮かせて握り、グレイズの喉元めがけて突進した。
「オラ! 死ね!」
間に合うか! セルゲイも同時に駆けだした。
あと一歩の距離が足りない。
あるいは足がほんの一フィート短いせいだろう。
主君の前まではたどり着けそうもない。
時間が引き延ばされたかのように相手の動きがゆっくり、かつ明瞭に見えているのに。
これまでか。
諦めの気持ちが生まれかけた時、硬質な金属音が洞窟内に散らかった。
グレイズの目の前に、クリフォードがいる。
王子は自身の剣で海賊を受け止めていた。
彼の懐を守ったのは彼自身の長剣と技術だった。
グレイズは右手は柄を逆手に、左手は剣身をそれぞれ握りしめている。
それはセルゲイがもっとも得意とする〈殺撃〉を受け止める防御の型そのものだった。
「来いッ!」
グレイズは折りたたんでいた両肘を思い切り伸ばしてクリフォードをはねのけながら叫んだ。
セルゲイを呼んでいる。
直感的にわかった。
騎士はグレイズが海賊との間に作ったわずかな隙間に身体を滑り込ませた。
左腕で盾を突き出して右腕の長剣でクリフォードの左手の曲刀を巻き取り、手から落とす。
そしてユラムが、がら空きになった男海賊の首元に長剣をぴたりと当てた。
「チェック」
三人の剣士に睨まれたクリフォードの背後ではイーリスとアンが動乱に乗じてキールヴェクを助けていた。
完全に逆転だ。
グレイズは早々に剣を納めて魔術師に駆け寄り心配している。
いつもの王子だ。
「独りじゃなくて、あの筋肉だるまでもいたら、互角だったんじゃねえの?」
セルゲイが皮肉に口を曲げると、クリフォードもだるそうに口を開いた。
「誰が独りだって?」
「うわっ!」
それと同時にグレイズが尻餅をついていた。
女たちもなぜかその場で立ち止まっている。
「どうした!」
セルゲイが一瞬気を取られた隙に、クリフォードは腕輪でユラムの剣を滑らせて退いた。
なぜか上げられなくなった足を見ると、大地から伸びてきた蔓がセルゲイの足に巻き付いていた。
ユラムたちも同様らしい。
犯人は自明だ。
「キール、お前!」
裏切った魔術師キールヴェクはグレイズの胸元から〈ウィスプ〉を奪うと〈鯱〉の頭目に駆け寄った。
「これが金の〈ウィスプ〉です! これでドラゴンを――」
「おう、よくやった」
クリフォードは差し出されたペンダントをキールヴェクの手からもぎ取ると、彼を足蹴にして高笑いした。
「あんがとな、王子様。ドラゴンの首も、血も骨も全部煎じて霊薬にして売ってやるから楽しみにしとけよ。この〈ウィスプ〉も高く売れるだろうな。ああ、それから――」
片脚の男はひょこひょこと歩きながら洞窟の出口に行くと振り向いた。
「嫁さん、可愛いんだってな? 気に入ったら、もらってやるよ」
「クリフォード! 貴様ッ!」
グレイズが吠える。
怒りに顔を歪めて立ち上がろうともがく彼もまた、蔓に絡め取られていた。
その蔦を魔法で生み出したキールヴェクは地べたに這いつくばりながらも追い縋っている。
「なあ、おいらをグウェンのところに、連れて行ってくれるって……」
クリフォードは王子と魔術師を無視して美青年に眉を傾けた。
「ユラム、いい加減男の真似はよせ。そもそも、てめえら女たちが徒党を組んだところで男にかないっこねえんだ。諦めな。海豹は鯱に食い荒らされるのがおちなんだ。海賊の掟を知ってるだろ。男しか団長になれない。お前にゃ最初から資格がねえんだよ。あがくな、女風情が」
そして片足の男はひょこひょこと去っていった。
誰もクリフォードを追う者はいなかった。
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次回更新は12月7日18時00分ごろです。
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