12、剣に誓う正義(2)
ドーガスは続けている。
「死者を丁寧に葬り、海賊はいずれ処刑する。村長とは話がついていて、村は残る部隊に支援をさせながら再建する予定だ。資材を仕入れ次第戻り、ここを前線とする」
あまりに淡々と述べられて、セルゲイはかちんときた。
「つまり、陛下の目論見は成功しちまった、と」
「口を慎め」
師の言うことはもっともで、的確だ。
しかし同門で研鑽を積んできた友を一瞬で失ったセルゲイの気持ちは、やるかたない。
セルゲイは、鼻と鼻が触れんばかりに追求した。
「ドーガスさんだってそう思ってるでしょう! そもそもこんな馬鹿げた作戦がなければテオたちだって死なせずに済んだんじゃないですか? 俺たちがもっとはやく止めていれば!」
気づけばセルゲイの頬は濡れ、鼻は詰まっていた。
「陛下とデ・リキア卿の正義って、これなんですか? 平和を乱して、戦で利益を得たいだけなんじゃないですか! しかも自作自演どころか本物の海賊が突っ込んできたんですよ!」
「それについては、今後調べる。たまたま運が悪かったのか、内通者がいたかは――」
「ドラゴンに乘って消えちまったマルティータ様はどうするんですか!」
「ここでは決断できない」
ドーガスが歯の隙間から苦々しく零す。
「グレイズになんて説明したらいいんすか! 全部親父殿が仕組んだ茶番でしたって? ドラゴンまで仕掛けたって?」
「ドラゴンについては、仕掛け人である魔術師キールヴェクが呼び寄せた厄介者だそうだ。問い詰めてみたが、あいつは元々ドラゴンに追われる身だったらしい。支離滅裂で正確なところはわからないが、彼の妻同様、マルティータ様もさらわれたのだと主張している。ルジアダズ海賊団については、捕虜を尋問するほかない」
ドーガスは視線をそらさず、静かに淡々と事実だけを述べてくれた。
セルゲイも、責める相手を間違っていると理解していた。
ルジアダズ海賊団の襲来、ドラゴンの登場、王太子妃の再びの誘拐、いずれも誰も予想することができない不慮の事態だった。仮に予想できていて誰かに相談していたとしても、突拍子もないことだと笑い飛ばされただろう。
気まずい沈黙が狭い部屋を満たす。
セルゲイが肩ごと荒れた息を整える喉の音だけが惨めに響く。
「少し、すっきりしたか」
しばらくして動き出したのは、ドーガスだった。
彼はそっと後輩の肩に手を置いてくれた。
「頭を冷やしてこい。洗えば幾分違うだろう」
セルゲイが黙って頷き、袖口で濡れた鼻を拭った時、突然扉が開け放たれた。
騒々しい廊下の声に負けじと、騎士は喉を張った。
「グラスタン殿下がいらっしゃいません!」
セルゲイの息が詰まる。
「あンの、馬鹿王子!」
セルゲイは泣いて痛む重たい頭を奮い立たせて駆けだした。
主君のことを馬鹿呼ばわりしたくなるのは、こういうときだ。
自分よりもずっと利口なはずなのに、誰に何の相談もさらには計画すら無く行動に出る。
それはただの無謀であって、勇気でも何でも無い。
嫌な思い切りのよさに、かつての自分を見るようで頭がさらに痛む。
そう、説教を垂れたい男は、目の前にいない。
「グレイズッ!」
いないとわかっていながらも、最初は王子の部屋に戻った。
弾けるように扉を開け放つと、そこは本当に無人だった。
護衛を代わってくれたイーリスもいない。
注意深く室内を見回す。
クローゼットにかけておいた旅装束、飾りの多い剣とそのベルト、鏡台の前にあった香水瓶と日記帳が無くなっている。そして〈ヴァニアスの薔薇〉の紋章がついた革張りのトランクも無い。ベッドの上には寝間着が、テーブルの上にはすっかり空になった食器が残されていた。
ベッドの足には、白く太い紐状のものがきつく結ばれていて、それは大きな口を開けて風を取り込んでいる窓にまで伸びていた。
「そういうことか……!」
これで、グレイズの意図はおおまかに掴めたも同然だ。
セルゲイはその辺にあった頭陀袋に自分のありったけの持ち物を詰め込み、身支度を調えた。
そして、部屋から飛び出した。
***
セルゲイは迷わずひと気の無い波止場に向かった。
たくさんのボートやヨットがつけてあるそこは、〈栄光なる王子〉(プリオンサ=グローマ)号がつけてある場所とは正反対に位置している。
そして波止場は、ドラゴンが飛び去った西南西の方角をまっすぐに見つめていた。
海鳥の気楽そうな遊び声が波の合間に聞こえる。
マストの群れの中に細長い影がぽつりと見えたので、騎士は確信を強めて走った。
「グレイズ!」
王子は振り向くと、ほろ苦そうにはにかんだ。
「セルゲイ」
立ち止まった騎士の息は上がっていない。むしろ身体が温まったぐらいだ。
ここ数日でどれだけ走っただろう。追いかけるのに慣れはじめている自分が少し呪わしい。
「俺に黙って、どこ行く気だ?」
セルゲイは口を歪めた。
「いくらお付きでも振り回していいわけじゃねえ」
グレイズが寂しげに青い瞳を一つ二つまたたかせる。
「振り回す? 私とて、いつも君が追いかけてきてくれるとは期待していないさ」
どこか達観したように細められたグレイズの目元を、風に煽られた黒髪が隠す。
下手だな、嘘。そう思うと苦笑が零れる。初めて聞いたけど。
「そこは期待してくれよ。俺はお前の騎士なんだから」
それは本音だった。
ずっと追いかけてきた仕打ちがこれかよ。
友だちになるんじゃなかったのかよ。
セルゲイは、心底がっかりしている自分に気づいた。
「未熟な王子のお守りをするのが、か?」
どきりとして、言葉を手落とす。
「海を荒らす悪漢を倒し、錦を背負って救出したマルーと共に凱旋する計画を実行できない私だ。国に帰ることなどできない。ましてや、マルーはドラゴンと共に去ってしまった……」
さざ波が打ち付けるちゃぷちゃぷという無邪気そうな音が不似合いに聞こえる。
「それを、誰から……」
セルゲイの口がわななく。
「イーリス殿が、全てを語ってくれた」
グレイズのハイバリトンは重たい。
セルゲイは妙に納得してしまった。だから俺を外させたのか。
侍女がマルティータを心の底から敬愛しているのは、傍目から見てもよくわかっていた。
彼女もまた、王子と同じぐらい、国王の計画と今回の成り行きに憤り、悲しみ、心を痛めているのだろう。
騎士の瞳が見開かれたのを、グレイズはさみしげに笑った。
「彼女もじきに来る。共にマルーを救いに行く。魔術師の男も同行を申し出てくれた。これは私の責任だ。私が腑甲斐ないために、父上は計画を実行なされたのだから」
「それは違う」
セルゲイは気づけば口走っていた。
「陛下の言い分なんか真実じゃない! この計画に正義は無い。お前にもわかるだろ?」
「しかし、私が真に〈獅子王の再来〉たればこのような事態を招かずに済んだ――」
「俺だって思うよ! 止められていたらって!」
セルゲイは気づけばグレイズの胸ぐらを掴んでいた。
「俺だって、最初からこんなこと、やりたくなかった」
「私の騎士になることもか?」
グレイズの青い瞳がにわかに潤む。
「待てって!」
「信じた私が、馬鹿だったのか――」
「違う!」
セルゲイがぐいと持ち上げた口の端に、熱く塩辛いしずくが流れ込んだ。
「一年前、何もかも失うところだった俺を拾ったのは、グレイズ、お前じゃないか! 拾っておいてあっさり捨てるつもりかよ」
騎士はおもむろに跪き、自身の剣を抜いた。刀礼でグレイズに与えられた剣だ。
「グレイズ。お前が薔薇なら、俺はお前の茨になる。刀礼のとき――いや、一年前、俺はそう誓ったのに」
ふふ、と微笑が聞こえた。
「そう改められると、くすぐったいものだな」
「言うなって。いいから、やろうぜ。もう一回」
セルゲイは、抜き身の剣の切っ先を石の上に突き立てて、頭を垂れた。
視界を支配する灰色の世界を往来するのは、ウミネコの声か、はたまた、あほうどり(アルバトロス)か。
しばらく待っていると、グレイズの吐息がそこへ混じった。
「私は父上に――国家の意思に背くのだぞ。いくら嫡男とはいえ、罰せられるかもしれない」
「もう、親父のゲンコツが怖いって年じゃねえだろ。逆に心配させてやろうぜ」
頭上からの揺れる声に、セルゲイはたまらず顔を上げてニヤリとして見せた。
「さらわれたお姫様を救うために、ドラゴンに立ち向かう。勇気ある王子の振る舞いそのものじゃないか。誰が文句ある? そんな王子に騎士がついて行かずに誰が行くんだ?」
グレイズが瞳を丸めると、セルゲイは海鳥よろしく腹を震わせた。
「俺は、正義を貫きたい。俺のじゃなくてお前の正義を、グレイズ」
「……わかった」
王子は、騎士の剣に手をかけた。
それから、剣身でセルゲイの肩を軽く叩く。
あの日をなぞるように、しっかりと。信頼を確かめるように。
「セルゲイ。我が剣であれ、盾であれ、師であれ、よき友であれ。そして――」
青空さえ白ませる大陽の目映い光がグレイズの瞳に宿ったのを、セルゲイは確信した。
その声音がくっきりと意思の力に満ち満ちていたから。
「我が正義を成せ」
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これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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