標高2400m、星屑と宝石箱の世界へようこそ! 夜景と星空の記憶
大切な友に、いつかきっと見せたいと思っている景色がある。
最初に見た時から随分長い時が経ったけど、今もそこから見えるのは世界一美しい夜景だと思っている。
ひっくり返した宝石箱なんてぜんぜん目じゃない!って位に(笑)2400mから眺める夜景は得も言われぬほど眩く、美しい煌めきだった。
星とか小石とか宝石とか、小さなキラキラした輝きを放つものが大好きだった自分には、その綺麗さ眩さはとんでもなく魅力的に映った。そしてそれと同じくらい、灯火の源を知るのが興味深くてワクワク面白くて。この記憶は、生涯忘れられない風景だ。
大抵は週末の夜。雲のない天気のいい日、夕飯が済むと父はよく夜景を見に連れて行ってくれた。
「ホラ、夜景見に行くぞー、車に乗れー!」
「寒いから上着持てー!」
小学生が夜暗くなってから出歩く、なんてことは、夏休みのメインイベント盆踊りくらいしかなかった頃。一家に一台のブラウン管テレビ、ガチャガチャとダイヤルを捻って回すTVチャンネル。
そのチャンネル権てやつは当然仕事を終えて帰宅した父にあるから、夕食後のゴールデンタイムに子供たちが好きなテレビ番組を見れるわけでもない(笑)。
そんな毎日にあってたまに早く帰ってきた父の気分で始まるこのナイトイベントは、非日常的なワクワク・探検に出かけるようなスリル感もあって、楽しみな事の一つだった。
その日の目的地は、富士山の5合目駐車場。周遊道の終点で標高は2400m。自家用車で行ける最高地点だ。
街中を過ぎ、民家が無くなり、駐屯地や米軍基地も過ぎると人工の明りは全て消える。
夜のスカイラインには、外灯は一切ない。光と言えるものは、自分の車のヘッドライトと空に瞬く星や月、だけだった。
背の高い松や広葉樹がいり混じる山の中を突き抜ける一本道。真っ暗な中をひたすら上って行くと、2合目を過ぎた標高1400mあたりで料金所がある。
ここからは有料区間だが、当時夜は無人だった。
そこを通り抜けると道路の傾斜が急に険しくなる。
残り1000m、速度を少し落として車は馬力をあげ、エンジン音が大きくなる。
真っ暗な山道を前照灯のみを頼りに、更に上って行く。
酷く曲がりくねった急勾配の上り坂は、どこまで?ってくらいに延々続く。
幾度も幾度も繰り返すヘアピンカーブのたびにグーっとブレーキ、そして遠心力がかかるから、後部座席の私たちの身体は右へ左へと振られ続けた。
まだシートベルトの着用義務とかも全然、なかった頃で。私達兄妹は、到着までの間 後部シートにわざと膝をそろえて正座したりした。
曲がるたびに遠心力でコロンと転がってしまう事が楽しくて、キャッキャとはしゃいだ。(危険&現在は法令違反なので、よい子はまねしないでね)
たまにすれ違う車のヘッドライトが、前方から近づいてはふわーっとまぶしく光る。そしてすれ違うや否や瞬く間に後方に過ぎ去って、窓の外にはまた、同じ暗闇がやって来る。
山側の斜面は松林や溶岩の岩場がコンクリートで固められたり、金網が張られた擁壁が続く。
崖側には、松林の梢が黒々と連なっていた。時々その林が切れ、下界の景色と空が見える。
細かい星屑のような光がキラキラと撒かれた街灯りと、それに照らされ光る夜の雲海。その上に星々が煌めく夜空が重なる。
その風景は、車が上るほどに窓外に遠く広く拡がっていった。
そうこうしているうちに、ようやく目的の駐車場に到着。
山頂に背を向けて駐車すると、フロントガラスからも下界の様子が少し見える。
他の車は大分離れて数台。真っ暗な駐車場で、灯りは眼下の夜景と星明りだけだ。
それでも、暗い夜道をずーっと走ってきたから闇に目が慣れていて、足元が見えない、なんてことはない。下界と違って星の数も驚くほど多く、結構周囲も地面も山も、薄明るく見えていた。
よいしょ、と車から降りると、イキナリの強風に身体があおられて、身が縮む。
寒いんだなこれが!Σ(´∀`;)
そりゃそうだよね、標高2400メートル。住んでるのは4-500mあたり。気温差13-4度は軽くある2000m近くを登ってきたら、季節を一つ跨いでしまう。下界は初秋でもここはもう晩秋、冬の入り口だ。
あわてて扉を開け、後部座席に放置してた冬の上着を着こむ。
車の前に出ると、眼下の夜景が見事に一望できた。
その風景は、漆黒に塗り潰された部分と煌びやかに瞬く光の部分とに かっきりと区切られていた。眼下の世界に明確な境界があることが分かる。
駿河湾の海岸線だ。
半分の光の世界は眩く輝いて、とんでもなく美しかった。宝石箱をひっくり返した、ってよく使われるけど、自分の感覚としてはそれ以上、の煌めきだった。
赤白青緑オレンジ桃色黄色…、星粒のように細かい光がばら撒かれ、それを縫うように光の線が縦横に走る。
一般道、高速道、線路、あらゆる交通路網が白や赤や黄色の線を描いていた。
その中で、とても面白い動きをする短い白色の線が時折現われて、目が惹き付けられた。
右へあるいは左へと、ゆっくり線の上を辿り進んでいく。それはまるで、白い虫・・・そう、ミミズが這っているようなんだ。
行ったり、来たり 直線の上をすうーっと、光の虫は這っていく。それがなんだか面白くて、じーっと目を凝らして行方を追った。
「あの虫みたいなの、なに?」
「見てみろ」
父は、持ってきた口径50㎜ほど、足の短い小型望遠鏡をボンネットの上に据えてくれていた。
ちょっと背伸びして、レンズを覗く。
線路の架線らしきものが、ぼんやり見えたと思う。そのまましばらく眺めていると、虫が姿を現した。
正体がわかった。
新幹線だ。
標高2400mから眺める時速200キロの新幹線は、ミミズが這うみたいに「にょろーん」(笑)と動いて見えるんだ。上りと下りが行き交い時にすれ違い、また離れていく。そのようすが実に、面白かった。
1時間に一本くらいしか電車が来ない田舎町で、電車なんて滅多に見ない使わない生活(笑)。モチロン新幹線なんて、テレビや本くらいでしか お目にかかったことがなかった。
その「新幹線」なんていう今(当時)をトキメク最先端の乗り物が、あれなんだ、あそこを走ってる!
いま、この目に見えてる!ってことにどこか感動を覚えたし、すごーく不思議な感じがした。
夜景の上にはところどころに立ち込めた雲が街灯りで光って尾を引き漂う。そんな美しい雲海も見えた。その上にも入り組んだ黒い海岸線に沿って煌めきが遠く伸びていた。濃い光の塊になった街灯りが、幾層にも重なって見える。
空と海の境界 水平線は暗く霞んで判別できないものの、そこから上の世界は満天に星。
月の姿はこの日の記憶にないが、深い藍色の空はどこに星座があるかも判別できない程、大小沢山の光が煌めいていた。
星屑を追い頭上を振り仰いでずーっと振り向くと、真後ろにはどかん!とそびえる富士の頂。
手が届きそうな近さだ。ひょいひょい、って上って行ったら小一時間で頂上に着けそうなくらい、すぐそこにあった。
その頂も、星明りで青黒く空に浮き出して見える。眼下に広がる夜景、その眩い輝きを漆黒の海と共に懐に抱き、広い星空は全てそのおおきな身体に纏う。そんな雄大な、力強い山のシルエットだった。
冬の上着を羽織っていても、吹き付ける強い 山の夜風にやがて凍えが来る。
もっと眺めていたかったけど、身体がいう事をきかなくなってきた。ろくな装備もなく薄着で夜間30分も眺めればもう、みんな寒くて限界だった(笑)。
「行くぞー、乗れー!」
父の声に、望遠鏡を片付けてエンジンのかかった車に乗り込む。
あったかい車の中は、実にホッとする空間だった。
帰路も後部シートではコロンコロン遊ぶ。車が曲がるたび、私たち兄妹はキャッキャとはしゃいだ。(よい子はまねしちゃダメですよ 笑)
急傾斜のヘアピンカーブを、スピードをしっかり落とし ひとつひとつ、慎重に下っていく。
通過する毎に、松林の切れ間から覗く夜景は徐々に近くなっていった。
やがて光の海のようだった夜景は、林の陰に完全に入って見えなくなる。窓は結露して曇り出す。車内外の気温差の為だ。
時々タオルで曇りを拭いながら、車はまた、標高500mの世界に戻っていく。
この周遊道の下り線では途中から必ず、強い眠気が襲って来る。一気に2000m近くも標高の上がり下がりをするから、著しい気圧の変化によって内耳センサーが不調となり自律神経が…ええと、なんとかかんとか…(笑)。
ともかく、気圧の急激な変化で起きるということらしい。
兄と私は、夜景が隠れカーブが緩くなりはじめる頃には既に眠りに落ちて、静かになってる事が多かったっけ(笑)。
エンジンが止まり、ガクン、と身体が前後に跳ねる。
気付けばいつの間にか、家の前だ。
欠伸しながらドアを開けた瞬間。
いつもは涼しい夜の空気が、妙にもわーっと蒸し暑く感じたものだった。