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第5章 27(翠瑠)

「一緒に回ろう」

 そうお姉さんたちに誘われたけれど、翠瑠は一人で都を回ることにした。今はまだ、正午になったばかり。時間はたっぷりある。

 翠瑠には目当てがあった。皇宮だ。父親が、若い頃に遠くから拝んだことがあるらしい。皇帝陛下が住まうお城がどんなに荘厳で、美麗で、近づき難いか、父親は誇らしげに語っていた。父も母も、皇帝を崇拝していた。皇帝が書かれた儒教の書物を苦労して手に入れて(それは偽物だったのだが)喜んでいた。

 翠瑠には、父母がそこまで夢中になる気持ちはまだ分からない。儒学も、皇帝も、キリスト教でさえ。その深みに潜っていく喜びがなんたるかを知ることがとうとうできないままに、故郷を捨てたから。

 順化にせっかく来たのだから、そこにしかない物を見たい。そう考えた時、皇宮しか思いつかなかった。勿論、中に入れる訳はない。城壁に近づくことすら難しいだろう。だが、小さくて身軽な体を活かして、できるだけ近づいてみたい。

 人の波を__主に腹や腰をかき分け、翠瑠は一人でにやっと笑った。南都嘉定でも、城に忍び込むのは案外簡単だった。気配を殺すこつや、さっと身をかわす力も、戦で学んだ。

 歩いてみると順化はやはり、嘉定とは一風異なっている。嘉定にいる人は、動きやすく涼しい半裸や粗末な上着をはだけた気取りのない人が多かったけれど、順化では男も女もきちんと正装だ。袖に手を引っ込め、楚々として歩く役人たちの列が目立つ。嘉定のように、ありとあらゆる言葉が飛び交い、耳が潰れそうにはならない。皆、どこかつんとすまして、顔を誇り高く上げて歩いている。

 馬の乳と砂糖を煮た飲み物を、銅銭一枚で売っていた。愛想の良いおじさんが紙の器に入れてくれた。翠瑠はその場で喉を鳴らして飲んだ。親はどこかなどは聞かれなかった。

「すごくおいしいです」

「そりゃあよかった。遠い国の遊牧民の飲み物なんだよ」

 おじさんの喋り方には変わった訛りがあった。空の器を返して、翠瑠は尋ねた。

「皇宮にはどう行ったらいいの?」

「もっと南……あっちの方角をまっすぐに行けば分かるよ。皇宮に行くの?」

「うん、見てみたかったの」

「兵士たちに近づき過ぎてはいけないよ。怖いおじさんばかりだからね」

 店主の忠告をありがたく受け取り、翠瑠はお辞儀した。

 皇宮の近くまで来ても、ちゃんと外観を見ることはできなかった。

 翠瑠のように城を見に来た者が大勢いるらしい。背の高い大人たちに視界を遮られ、翠瑠が飛び跳ねても何も見えない。ただ、大理石の壁がどこまでもそびえていて、あの中に皇帝がいるのだろうとは何となく想像がつく。

 何度か飛び上がったり人々の隙間から顔を出そうと努力して、とうとう翠瑠は諦めた。

「もういい! 美味しい物食べて帰るもん!」

 子どもじみた癇癪に、近くにいた人たちが何人か振り向いた。その中の一人が、赤くなった翠瑠に感じよく笑いかけた。

 拓や藤と同じ年格好の少年だ。光沢のある立派な衣が似合う整った顔立ちだった。翠瑠に近づいてきて、腰をかがめて囁いた。

「皇宮が見たいの?」

「はい」

 翠瑠は、見るからに身分の高そうな少年を警戒した。少年が笑う。

「ついてきて。もっとよく見える場所があるから」


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