第5章 7
訓と双は教会を出て、ひとまず森のとりわけ大きな老木の陰でしゃがみこむ。互いに初対面だ。いや、双の顔に見覚えがある。おおかた嘉定の城で見かけたのだろう。
「どうぞよろしく」
双がぺこりと頭を下げた。
「ああ、どうも」
「司祭です?」
「カテキスタだ。あんたは?」
「僕は文懐様の家来です」
「やっぱり。嘉定でも見たことがあると思ったんだ。年は?」
「秘密です」
「そういうのいいから」
訓は双の顔を観察した。皺やくすみの少ない顔だ。細い目は常に微笑んでいるような印象を受ける。
「俺は四十だが、それより若くも老いても見えないな」
「実は少し上なんですねえ。僕は四十二なので」
「へえ……」
実際の年よりも若いように見えるのは、腰がひょいひょいと軽いからか、ほどよい肉の付き方をした体つきのせいか。
「明命帝陛下と同じ年、同じ誕生日なんです」
「そりゃすごい。生まれは?」
「嘉定ですよ。でも、母の実家が順化にありましてね。二つの都を行き来したものです」
雑談はともかく、これからどう動いたものか。何せ空を掴むような話だ。
「随分無茶を言いつけられたな……そもそも大龍将軍がどこにいるのかすら分からんのに」
敵の陣営に引っ込んでいる人物の弱点を探るなど不可能に近いではないか。
「ああ、僕は知ってます」
「何だって?」
訓はまじまじと双を見つめた。
「将軍は、今森に来ているらしいですよ。王姉妹と一緒に。血気盛んな将軍ですね」
「何故分かった?」
「実は、向こうの陣営につてがあって……」
照れながら告白する双だった。彼は何者だ。訓は訝しむが、何にしろ情報提供はありがたい。
「森の中……か」
「さてどうします? 弱点なんて、簡単には教えてくれないでしょうしね」
「あんたのつてとやらには頼れないか?」
「向こうは向こうで、なかなか難しい立場にいるみたいで」
「そうかい」
訓は目を閉じ、霧の中現れた大龍の姿を思い浮かべた。恐ろしい容貌に、破格の腕力。不思議な力を宿す仙人。まるで建国の昔話に出てくる龍仙そのものだった二人。
どんな手段を使っても__文懐はそう訓に言った。彼が何を期待して訓と双に大役を任せたのか、その意図が掴めないのが不気味だ。だが、彼の役に立ちたいという気持ちは訓にだってある。
どこかで子どもの悲鳴が聞こえた気がした。瞬時に思い出したのは、仙人にさらわれたアンヌの悲鳴だった。捕虜になった後、アンヌは敵の兵士を殺してしまったと言って震えていた。虫も殺せないようなあの娘が。訓がもう少し気をつけていれば、いやそもそもこの反乱に参加させていなければ、そんな目には遭わせなかったのに。
「どんな手段でも__」
訓は繰り返した。双が器用に耳を動かして次の発言を待っている。訓はもたれかかっていた木から身を起こし、口笛を高く吹いた。
すぐに木の上で子どもが応じた。
「はい!」
顔を見せたのはミゲルだった。
「大龍将軍が加勢している。どこにいるか知っているか?」
「泉の付近に陣取っているそうです!」
双が不安そうに呟いた。
「水攻めを企んでいるんじゃ……」
仙人がまた泉に潜み、水を飲もうとした兵士の目の前で姿を現す光景を想像した。
「分かった、ありがとう。それともう一つ、セシリアはどこにいる?」
「川に沿って、敵に石つぶてを投げつけてます。呼んできましょうか?」
「頼む。出来るだけ速やかに。俺は先に泉の方へ向かう」
泉は川の上流にあり、今いる地点から少し離れている。
「何をするつもりですか?」
双の質問に、訓は少し笑った。
「秘密だ。俺が呼ぶまで離れたところに待機していてくれ」
「何かお手伝いは……」
「要らない。セシリアだけで事足りる」
二人の肩や顔にぱらぱらと木の葉が落ちてきた。
「先生?」
セシリアだ。木の枝から飛び降りて、いたずらっぽく笑う。
「セシリア。怪我はしていないか?」
「ええ。全然」
「誰か死んだ子は?」
「まだいません。マリアが手の甲を切ったくらいです」
セシリアは、双にも笑いかけた。剥き出しの肩はよく日焼けしている。腕には蛇を模した金色の腕輪。彼女のお気に入りの装飾品だ。
仏像のように複雑に結い上げた髪を爽やかに揺らしながら、セシリアは訓の指示を聞いた。後ろを歩かされている双には聞こえない。近づこうとすると訓に睨まれた。
泉は近い。少しずつ空気中に含まれる水が増えた気がした。双は思わず立ち止まる。
訓が言った。
「そう、そこらへんで待っていてくれないか。助けが必要になれば、口笛を吹く」
「は、はあ」
「約束してくれ__」
訓が不意に、双の腕を握り、真剣な口調で頼んだ。
「俺がこの先することを、決してのぞき見しないと。神にかけて誓ってくれ」
「わ……分かりました」
そして、セシリアを連れて訓は霧の向こうに消えていった。
「あんなこと言われると、余計に気になっちゃうんだけどなあ」
双は手持ち無沙汰で独りごちた。彼にばれないようにこっそりと覗けば、問題はないのではないか。
そう考えつつ、あんなに真面目に約束したことをすぐに破るのは悪いような気がして、声がかろうじて聞こえてくる範囲をうろちょろしていた時、双は近くを通る人影に気がついた。
「おや」
見知った顔だ。しかも丁度互いにひとりぼっちである。声をかけるかかけまいか、迷っている内に相手はどんどん離れていく。




