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第5章 異人たちの宴

 碧翅はまずアンヌを後ろ手に縛り、天幕の柱にくくりつけた。アンヌは何度か抜けだそうともがいたが、頑丈な柱はびくともしない。見張っていた天水がふふんと嘲笑った。

「紅翅を呼んでいただけるかしら」

 天水を追い払い、碧翅はアンヌに顔を近づけた。少女は目を合わせようとしない。

「その年で、どうして反乱に加わったのかしら……」

 呟いた声は、至近である故にアンヌへまともにぶつかった。碧翅は剥き出しのアンヌの腕をそっと撫でた。

「私があなたぐらいの年だった時は、戦乱の世の中でも家庭を守ることを優先したわ。こんな細い腕、浅はかな頭で何が出来るというの?」

 不安げだったアンヌの顔が、だんだん頑なな表情に変化していく。

 アンヌは言い返した。

「皆が戦うのなら、私も」

「逃げることは出来なかったの?」

「……出来たかもしれないけど、私だけ安全な所にいるなんて嫌です」

「愚かな選択だったわね」

 碧翅は柔らかな口調でそう評した。

 大龍が少しだけ顔を覗かせ、それから慌てて去った。姉妹相手に威張り散らす天水とは対照的に、大龍は女に慎重な態度を取る。妻も子どももいないというから、女の扱いそのものに慣れていないのかもしれない。

 だけど、立場が強いのは間違いなく彼らの方だ。宮廷からの信頼も兵士への威厳も、姉妹が苦労の末に積み重ねていったものを大龍たちは初めから持ち合わせていた。

「女が戦に加わって良いことなんて、何一つないわ。最初から最後まで男には侮られ、どれほど訓練で強くなっても結局体格差で押し切られた末、尊厳を陵辱される運命が待っているの」

 アンヌは目を見開いている。

「私たちは地獄を見てきた、そしてこれからも地獄を這っていく。だからせめて若い女の子には同じ運命を辿ってほしくない」

 アンヌの耳に囁く。

「反乱軍の内情について、知っていることを全て教えてちょうだい。その後で、あなたをこっそり逃がしてあげる」

 後ろから声がした。「お姉様ったら」

 碧翅はそっと振り向いた。紅翅が腹心の部下一人だけを連れ、天幕に入ってくるところだった。

「女の子に甘いのはいいけど、その子を自由にはしたくないわ。だって、女の従者が欲しかったところだもの」

 碧翅と瓜二つの美女を見て、アンヌは当惑で瞬きを繰り返している。紅翅が楽しげに笑った。初対面の人間が自分たちを見て驚くのがささやかな喜びなのだそうだ。

「私は紅翅。碧姉様とは双子なのよ」

「は、はあ……」

 紅翅もアンヌに顔を寄せた。碧翅の目の前で、アンヌの顔が赤く上気していく。

「こんな状況でいきなり忠誠を誓えと言われても難しいよね? でも心配しないで。あなたと少しずつでも信頼関係を築いていきたいな」

 紅翅の伸ばした手を、碧翅は横から叩いた。

「邪魔をしないで、紅」

 紅翅はおどけたように「はあい」と返事した。

 碧翅は咳払いして、アンヌに向き直る。

「あなたは反乱軍で、どんな役割を果たしていたの?」

「い……言えません」

「あらそう。でも、天水があなたは伝令だと言っていたわね」

 アンヌはうつむいた。

「あなたの仲間はどんな人たち?」

「……」

「私からも質問させてよ、碧姉様。ねえねえ、あなたたちはどんな武器を用意してる?」

「……」

「フランスに助けを求めたというのは本当かしら?」

「さあ、知らないです」

「あなたは伝令としてどんな情報を伝えたの? 教えてよ」

「忘れました」

「あなたはどこの社の生まれ? 西洋の名前を名乗っているのならキリスト教徒ね。どんな司祭に洗礼を受けたの?」

「……教えません」

 紅翅の部下が舌打ちした。男は短気でいけない。紅翅などは意外と手強い相手にわくわくした様子を隠せていないというのに。

「黎文懐とは会ったことある?」

「……それは、あります」

「噂通りの美男だった?」

「普通です」

 初めてアンヌは即答した。紅翅がくすりと笑う。

「反乱軍で一番強いのは誰? やっぱり、文懐かしら?」

「あの大龍将軍の刃を止めたらしいものね」

「あれぐらい、皆できます」

 碧翅と紅翅は顔を見合わせて笑った。アンヌが不本意そうに口をつぐむ。

 少し彼女の気が緩んでいる。良い傾向だ。

「あなたたち、とても強いんだね。敵わないなあ」

「皆本気で戦っているから」

「何のために戦うの? お金でも貰えるの?」

「キリスト教を守るためです」

 アンヌはよどみなく言い切った。

「皇帝陛下は、キリスト教を憎んでいるって聞きました。私たちにとっては大切な神様なのに。キリスト教を信じるのを禁止されたら、私たちは天国に行けなくなっちゃうから」

 アンヌは熱弁を奮う。紅翅が静かに尋ねる。

「そんなことを教えたのは一体誰?」

「訓先生です。……あと、他の司祭様とか」

「でも、どうやってあなたたちの信仰を守るつもりなの? 皇帝陛下の軍隊はとても強いのよ」

「フランスから武器を沢山貰います。それに、皆で戦えばきっとどんな敵だって……!」

「武器が戦を変える訳ではないわ。そっちには腕の立つ鉄砲使いがいるという噂だけど。急に集められた平民が、鉄砲なんかをいきなり使いこなせるはずがないわね」

「そんなことありません! 華さんは鉄砲の達人で……!」

「華って人がいるのね。どんな男?」

「女の人です。とてもきれいな人で、優しくて……」

 碧翅が紅翅の部下に流し目をやると、彼はそっと出ていった。アンヌのうかつさに涙が出そうになる。口車にまんまとのせられて、結局味方の情報をべらべらと話してしまった。だから小娘など戦の役には立たないのだ。大した貢献もしないくせに、敵に捕まるとこうして敗北の種となる。

「じゃあ、最後に答えて。もし今あなたを完全に自由にしたら、アンヌ、あなたはどこに行く?」

 アンヌはためらいなく答えた。

「仲間のところに帰ります。そして、今見たあなたたちの話をします」

「じゃあ、あなたは当分解放できないわね」

 碧翅は紅翅にうなずいた。天幕に一人だけ見張りをつけて、姉妹は大龍らと話し合いに行く。後で果物や麺料理をアンヌに届けさせよう。おだてればまだまだ情報を出してくれそうだ。

 大龍の側には、皇帝の側近がいた。順化から駆けてきて今日到着したらしい。碧翅らにも皇帝の勅命を届けたことのある、顔見知りだった。紅翅の顔が強張る。感情を包み隠すのに長けている碧翅に比べて、紅翅はいささか直情的だ。皇帝も、皇帝の臣下のことも嫌っている。碧翅はさりげなく紅翅の前に出た。

 男は姉妹に対して深く頭を下げた。油断のならない男だ。皇帝の命令で姉妹を見張りにきたのかと碧翅は推察する。かつて盗賊に身を置いていた姉妹が、反乱軍に寝返るのではないかと危惧しているのだろう。

 男が引き連れている狼たちが陣営に入ってきたため、年若い兵士たちは少し怖がっているらしい。威圧的な唸り声を低くたてる狼を見て、碧翅は飼い主にそっくりだと感じた。存在で人を脅し、どこでも我が物顔に振る舞う。

 天水や大龍の報告を、男は無表情で聞いている。この男が自分の話をしているところは見たことがない。だが、反乱軍の兵糧を大幅に減らしたとか、西洋行きの船を沈めたとかいう噂は碧翅の耳にも届いていた。今はどんな作戦を練っているのだろう。

 不意に、男が紅翅と碧翅に目をやった。思わず碧翅もぴくりと頬を動かす。男が口を開き、彼女たちにとっては酷な、しかし拒否しようもない命令を告げる。


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