第4章 24(宮廷軍)
王姉妹の半生は、哀しみで彩られている。
姉が王碧翅、妹が紅翅。絶世の美女と謳われる二人の、陶器のように滑らかな白い肌、繊細な顔立ち、そして宝石をはめ込んだかのような色違いの瞳を見た者は誰しも心を奪われる。彼女たちを喜ばせた者は十年近く経っても一人もいない。
姉妹の生まれは清化 である。黎朝時代からの名士の家に生を受けた。双子の絆は固く、成人するまでまるで夫婦のように寄り添って暮らしていたという。
姉妹の婿として引き合わされたのは、やはりよく似た顔の双子の青年であった。一目会った時からこの二組の許嫁は恋に落ち、幸せな時間を四人で過ごした。
婿たちの家は武官の一族であった。鄭氏政権の折に出世を重ね、阮朝が始まってからは嘉隆帝に忠誠を誓ったしたたかな武将である。順化に許嫁と共に引っ越した双子の若将軍も、重要な官職を授かる手筈であった。
しかし、ある日を境に彼女たちの運命は一変した。嘉隆帝の大臣が、婿の父親が西山阮氏の反乱を支持していたと告発したのである。
西山阮氏との関わりという疑惑は、一笑に付すには少しばかり重すぎた。婿たちはあっという間に嘉隆帝に疎まれ、つまらない罪で投獄された。刑の判決は皇帝の代替わりが済んでも未だに下されないままである。
阮朝宮廷の、西山阮氏への憎しみは非常に根深いものである。嘉隆帝は幼い頃に一族のほとんどを西山阮氏に虐殺されている。その復讐に、西山阮氏の乱の制圧後、嘉隆帝は阮三兄弟の親族並びにその反乱に荷担した者全ての処刑を命じた。実に凄惨な光景が新都に広がり、積み上げられた死体で一山築けるほどであった。
愛する夫を失った王姉妹は順化を追放され、実家のある清化を目指して徒歩で旅するうちに盗賊に捕らえられた。美貌の姉妹を気に入った盗賊の首領は二人を自分の側女にした。しばらくは生きた心地がしなかったろう。残忍な盗賊たちの根城は黄金や宝石などと共にまだ新しい髑髏を乱雑に隠していたという。
ところが、首領は見かけと実績よりは優しい人物であった。姉妹が気立ても良く、陰ひなたなく働く女と分かると、根城の中を自由に歩かせ、宝の一部を分け与えた。また、字喃と漢文を自由に読み書きする知性の持ち主でもあり、姉妹と詩を作り合って悲しみを和らげた。
盗賊の元で暮らし始めて三年が経つと、首領は二人に正体を明かした。首領は実は滅びた黎王朝の皇帝の血を引いており、盗賊たちはその臣下であったのだ。今はこうして盗賊に身をやつしているが、機があれば黎朝を再び興すつもりだと語った。あまりの驚きに妹の紅翅は気絶し、姉の碧翅は涙を流した。阮朝を倒すという大それた計画が、獄中の夫たちを助けるのならば是非協力しようと二人は誓った。
それから五年余り、王姉妹は盗賊の隊長として戦いに加わった。行商人を襲い、宮廷の討伐軍を突破し、乞われて哀牢の反乱鎮圧に加勢したこともあった。姉妹は息の合った身のこなしと男にも勝る大胆さで、戦闘では負け知らずであった。彼女たちの思わぬ才能が開花したのである。いつしか、首領以上に一目置かれる実力者の地位に登りつめていた。
しかし、彼らの野望は悲惨にも叩き潰されることとなる。
一八二〇年に即位した明命帝が、大龍将軍を盗賊征伐に派遣した。妖しい術を使う将軍と補佐の仙人に惑わされ、盗賊たちは四散した。そして、数で圧倒する征伐軍にじわじわと殺害されていった。
王姉妹は最後まで抵抗したが、ついに大龍将軍と刃を交えた末に生け捕りにされた。二人がかりでぶつかっても大龍には歯が立たなかった。彼は胸を貫いても火薬で爆発させても死なないのである。
捕らえられた姉妹は順化の宮廷に連行され、死刑判決を受けた。しかし、明命帝が彼女たちを見て条件つきの恩赦を加えた。帝は姉妹の夫たちのことを偶然ながらも覚えていたのである。
姉妹に向かって皇帝は言った。この先七つの武功をたてれば、夫と共に釈放してやろう。ただし、少しでも宮廷軍に歯向かう素振りを見せれば夫たちは最も残酷なやり方で殺す。また、三回失敗を重ねても身の破滅だ。夫ともども都で処刑する。
姉妹はこの命令をのんだ。わずかな軍隊を最初に与えられ、苦労の末にそれを十倍の規模に広げていった。最初は女の将軍を侮っていた兵士たちは、姉妹が死に物狂いで戦う姿を見ていつしか心の底から忠誠を誓うようになった。
そして、今__大龍軍と共に黎文懐討伐に向かう姉妹には、もはや次の機会が残されていなかった。姉妹は六つの手柄を立てた。しかし、敗北も二度喫していた。
この反乱軍を制圧できなかったら。紅翅は毎晩悪夢を見る。碧翅は重圧に耐えかねて食事を摂っては吐き出す毎日である。
大龍軍の陣営の中で歓声が上がった。将軍と話し合っていた碧翅はふと顔を上げる。
「何か良いことでもありまして?」
かつての仇敵に呼びかけると、彼は太い眉毛を持ち上げた。
「うむ、いや、知らぬ」
碧翅は何となく近づいてくる喧騒に耳を澄ました。そして、女の声が混ざっていることに気がついた。紅翅かしら。
「様子を見てきますわ」
碧翅は立ち上がった。紅翅は調子の良い性格で、必要以上に兵士を盛り立てる癖がある。明るいのはいいことだが、高ぶった神経をさらに煽るのは危険だ。
「紅?」
天幕を覗き込み、碧翅は首を傾げた。そこにいたのは、妹ではなかった。知らない少女が、仙人に肩を掴まれておどおどと周りを見回している。
碧翅は仙人に穏やかに尋ねた。
「何をしておいでです?」
「ああ、姉君将軍。捕虜だよ。反乱軍からさらってきたのだ」
「まだ子どもじゃありませんか……」
「子どもでも立派な兵士だ。木を伝って見張りなどしているのだからね」
少女は仙人の腕の中で、口をとがらせた。垂れ目がちな、大人しそうな女の子だ。薄桃に色づいた頬が可愛らしい。
「お名前は?」
「アンヌです」
「誰が偽名を言えと言った。大南の民ならまともな名前を持っているはず」
「……アンヌ」
「この小娘!」
突然、仙人が手を振り上げる。アンヌと名乗った少女が怯えて身を縮めると同時に、碧翅が止めに入った。
「およしなさいな、天水様。腹を立てるなんてあなたらしくもありませんわ」
この仙人、すぐに怒るし欲も強い。およそ仙人とは言い難い人物である__そう評していたのは妹の紅翅だ。
アンヌは目を見開いて碧翅を見つめている。碧翅は口元を緩めた。
「怖がらないで。捕虜とは言ってもいたいけな子どもを苛めたりはしないわ」
アンヌがほっとしたように息を吐いた。
「もっとも、それなりの働きはしてもらうつもりだけど」




