表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/132

6(謎の来訪者)

外に出ると、二人はどちらからともなく噴き出した。

「上手くやったな!」

「まあな。明くらいならちょろいもんだよ」

「さあて、自由になったことだし、お客様とやらを探そうか」

 ピエトロは周囲を見回した。社を囲む藪の向こうを、野草や茸を集める女たちが通り過ぎて行った。教会を出入りする司祭やカテキスタの目をごまかすために、ピエトロはうずくまり、トマスは看病するふりをする。

「教会かな?」

「かもな……いや待て」

 ピエトロは、教会から出てきたカテキスタをじっくり観察した。

「あの人、薬を入れた箱を持っているぞ。きっと怪我人の元にいくんだ」

「なるほど」

 しゃがみ込むピエトロたちに怪訝な目を向けるカテキスタは、しかし何も言わずに、林の中に入って行った。その背中がかなり遠くなってから二人は立ち上がり、後をつけた。

 カテキスタは周囲を警戒しているようだった。何度も後ろを振り返るので、見つかりそうになる。二人は木に登り、上から追いかけることにした。

 カテキスタが立ち止まったのは、訓の家の前だった。ピエトロとトマスは顔を見合わせる。カテキスタが戸を叩くと、訓が顔を出してさっと来訪者を招き入れた。中の様子は樹上からは分からない。

「どういうこった?」

 ピエトロは目をすがめる。

「客人が訓先生の家にいるのか、訓先生が怪我をしたのか。……降りてみないと分からないな」

 カテキスタたちが家から出てこないかしばらく様子を見て、二人は枝を伝って地上に降りた。ピエトロはさっさと家の裏に回り、トマスを呼び寄せる。一カ所だけ、壁に穴が空いているのだ。

 二人身を寄せ合い、耳を穴につけると、ぼそぼそと話し声が聞こえる。

『……薬を持ってきた。この女に効くかは知らんが』

『ありがとう。萬呂司祭は、何と言っていた?』

 訓の声だ。衣の擦れる音と弱々しいすすり泣きも聞こえた。

『あまり喜んではいなかったぞ。厄介の種でしかないと言ってな』

『キリスト教徒を増やす絶好の機会じゃないか。どうして嫌がる?』

『私も司祭と同意見だ。都からの逃亡者を匿うのは危険だろう』

 逃亡者! 明の話は本当だった。しかも女で、怪我をしている?

 中を見ようとトマスが無理に動いた。はずみで微かな音をたててしまう。ひやりとしたが、カテキスタたちが気づいた様子はない。

『せめて怪我が治るまでは置いてやるのが良いと思うがね』

『……まあな。しかし、このひどい有様を見るに、回復するかも怪しい』

『医者を呼んでくるべきだな。俺たちじゃ包帯を巻いて薬を飲ませることしかできない』

『今、医者は隣の社に出張中だ。事情を話してくるよ』

『どうも』

 よそよそしい会話の後にカテキスタが出ていった。不意に訓が壁を内側から叩いた。

「誰か隠れているな!」

 ピエトロとトマスが家の中に入っていくと、訓は溜息をついた。

「やっぱりお前らか。講義はどうした?」

「その……体調がちょっと、悪くて……」

「嘘をつけ。抜け出してきたんだろう? え?」

「……すみません!」

「後でちゃんと明に謝れ。今日が最後の講義だったんだぞ」

 その時、暗がりの中で誰かが呻いた。訓がはっと振り向く。

 トマスが静かに問いかける。

「……怪我をしてるんですか」

「そうだ」

 訓は薬の瓶を開けながら答えた。

「何か手伝いましょうか?」

「水を汲んでこい。出来るだけきれいな水だぞ」

「はい!」

 ピエトロが家を飛び出して行った。残されたトマスは、訓に倣って横たわる誰かの側に屈んだ。

 薄明かりに照らし出された顔を見て、トマスは息を呑む。

 まだ若い女らしい__らしいというのは、顔で上手く判別がつけられなかったからだ。自分で髪をいい加減に切り落としたようなざんぎり頭。顔には太く無残な傷が二本、小さな顔いっぱいに走っていた。上半身に巻いた包帯は既に新しい血で赤く染まっていた。

「……獣にやられたらしい」

 訓がぼそりと呟いた。

「助かるでしょうか?」

 トマスの声は震えていた。

「馬鹿なことを聞くな。当然だ。致命傷じゃない」

 訓が断言した時、ピエトロが戻ってきた。

 汗や汚れを濡らした手拭いで拭き、包帯を替えている間に女の意識が戻った。しきりにうわごとを呟き、ただぼんやりとピエトロたちを眺めている。焦点の合わない瞳に不安を覚える。

「どうして、訓先生の家に?」

 薬草を刻んで粉末にしながらトマスが尋ねる。

「司祭たちは、まだ教会にこの人を入れたくないのさ。匿うか追い出すか、迷っているから」

「まさか、追い出すだなんて!」

「そうして下さい」

 女が小さな声で言った。三人がぎょっとして女を見つめる。

「わたしが……ここに……いると、迷惑を……かけてしまうから」

「迷惑じゃないですよ!」

 ピエトロが大声を出した。

「でも……わたしを追う者……、必ず、ここに……」

「追われているのか」

 訓が落ち着いて尋ねた。

「……はい」

「尚更、ほっとけないですね」

 粉薬を水にといて呑ませると、女は顔をしかめた。よほど苦いのだろう。それでも、全て飲み干したのを見届けてから、訓は彼女を再び床に寝かせた。

「……ありがとう」

 女は覗き込む三人の男に微笑んだ。こんな時なのに、笑うと可愛らしい。

「この傷……見かけほど、ひどくはないの。何ヶ月も前につけられたものだから……」

「狼ですか?」

「いいえ。虎だったわ」

「少し質問をしてもいいか。あなたの名前は?」

「怜。怜です。そう呼んで下さい」

 彼女はその後も、姓は絶対に明かそうとしなかった。

「どこから来たんですか?」

「生まれ育ったのは……紅河の下流の、とある社です。五年かけて、ここまでやってきました」

 ピエトロにはよく分からない。

「ええっと、紅河ってここからどれくらい離れてる?」

「ここが大南の南端なら、紅河は北の端だ」

「ひえー」

 終業の鐘が遠くで鳴った。だが、訓は学校に戻れとも言わない。だから二人も余計なことは言わなかった。

「どうして、この社に来たんですか?」

「どうして……さあ、分かりません。当てもなく逃げて逃げて逃げ続けて、倒れたところにあなた方がいたんです」

「誰に追われているんだ?」

 すると怜は口をつぐみ、一切話さなくなった。

 訓は顔をしかめていたが、立ち上がった。

「俺は教会に行く。お前らに看病を任せてもいいか?」

「はい!」

「でも……怜さんを追い出すつもりじゃありませんよね?」

 訓は肩をすくめ、出ていった。

「血も涙もないな。先生も、司祭様も」

「全くだ。おれたちだけでも怜さんを匿おうよ」

 どたどたと足音がして、乱暴に戸が開いた。入ってきたのは、聖歌隊の面子だ。

「おれたちが、何ですって? 私たち抜きで何をするつもりなの?」

 腕組みをしたセシリアが二人を睨みつけた。

「何があったのか知らないけど、抜け駆けはやめてちょうだい」

 マリアやカトリーヌも、セシリアの後ろから顔をのぞかせる。横たわる怜を見て、息を呑んだ。

「明先生が言ってた人ね」

「ひどい怪我してるみたい。薬は飲ませた? 痛み止めは?」

 矢継ぎ早に尋ねながら、女子たちがピエトロを押しのけ、怜の手を取った。

「何か欲しいものがあったら、言ってくださいね。私たちが用意しますから」

 怜の張り詰めた表情が、少し和らいだ。

「ありがとう……」

 ピエトロやトマスは何となく面白くない。

「次の授業は出なくていいのかよ」

 ほら、始業の鐘が鳴った。

「あら、トマスに言われたくないわ。明先生の授業から逃げたくせに」

「私たちは、ちゃんと許可を貰って休んだのよ」

 セシリアが、ピエトロの尻を叩いた。

「さあ、男は出て行った!」

 柔らかい寝間着を抱えたアンヌが、追い出されるピエトロに笑いかけた。カトリーヌが巻いた彼女の髪型は、確かにすごく可愛らしかった。


 怜に寝間着を着せ、温かい寝具にくるんでから、ようやくセシリアたちは男子を呼んだ。

「怜さんは……」

「眠ったわ」

 寝息をたてる彼女の側で、セシリアはひそやかに話した。

「この人、相当気を張っていたみたい。怪しい男が近くに来ないか、ずっと気にしていたわ。そのくせ、どんな奴かは決して教えてくれないの」

「追われているって聞いたよ」

 カトリーヌが呟いた。

「どんな事情があるんだろう」

 その疑問に答えられる者はいなかった。

「司祭様は、怪我が治ったら怜さんを追い出すつもりだ。だから、おれたちで匿おうと思ってたんだよ」

 マリアが眉をひそめた。

「司祭様に逆らうつもり? 危険だね。いつまでも隠すことなんてできないよ」

「マリア!」

「訓先生は何て言ってたの? ピエトロ」

「どっちつかずだな。追い出すとも、匿うとも言ってない」

「司祭様の説得は無理でも、少なくとも訓先生は抱き込まなきゃいけないよ。彼女を隠すにはこの家が一番都合良い」

 その時、外を見ていたミゲルが合図した。

「先生が戻ってくる!」

 子どもたちは立ち上がって訓を迎えた。訓は少し固まったが、聖歌隊が勢揃いしていることについて何も言わなかった。

「彼女は?」

「眠っています」

「そうか」

 家に入ろうとした訓を、両腕を広げたセシリアが拒んだ。

「何のつもりだ?」

 セシリアは仲間たちに目配せをして、決然とした表情で訓に向き合った。

「先生。怜さんを皆で助けましょう」

「は?」

 カトリーヌも加勢する。

「キリスト教徒として、困っている人を見殺しにできません! 怜さんはこの社で匿うべきです」

「……あの人は、ずっと怖い思いをしてきたみたいだから……」

 と、アンヌ。

「彼女の世話は私たちでします。訓先生のお手は煩わせません」

 マリアが言いつのった。

 訓は苦笑いして、目の前に立ちはだかる少女たちを見比べた。

「分かったから、そんな目で俺を見るな」

「じゃあ、先生……」

「ひとまず、しばらくは彼女を泊めてやることになったよ。その間に追っ手とやらが来るかどうかだな」

 ピエトロはほっと安堵の息を吐いた。

「そんなに彼女が気になるのなら、お前らの手を貸してくれ。俺は今から講義があるから、何人か彼女の側にいてやってくれ。そうだな、ジャン、マリア、カトリーヌ、頼む」

「はい!」

「他は授業に戻れよ。特にピエトロとトマス。これ以上ずる休みはさせないぞ」

「はあい」

「分かっているな、決して彼女の話をするんじゃないぞ」

 だが、学校も、怜の話題で持ちきりだった。とりわけピエトロたちは矢のように質問を浴びせられ、目を白黒させる羽目になった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ