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第4章 18

 ところが、嫌な音はいつまで経っても聞こえてこなかった。


 目を開けた時、驚くべき光景が広がっていた。


 文懐が、大刀で鉄槌を受け止めている。軋む刃に火花が散った。憤怒で歪む大龍の顔。一方、文懐も滝のような汗を流している。万力を込めて大龍の一撃を食い止めているのだ。じきに限界がくるに違いない。

 文懐が声を絞り出す。

「我々の反乱は火だ! 怒りが集まって宮廷の全てを焼き尽くす! 命を燃やすこの覚悟をそう簡単に砕けると思うな!」

「龍の聖なる力は水だ。いかなる火も水をかけられて消える。西山の阮三兄弟のように!」

「ならば、水を上回る熱を発するまでだ……!」

 文懐の足が少しだけずれた。危ない兆候だ。

 この状況をいつまでも続ける訳にはいかない。加勢するか、文懐を上手く退かせなければ。

 かちりと固い音がした。マルシャンが無表情で鉄砲に弾を装填し、大龍に狙いを定めた。大龍の目が大きく開いた。

 しかしその時、文懐が振り向かずに怒鳴る。

「手出しをするな! 西夷ふぜいが!」

 マルシャンが憮然とした表情で銃を下ろす。華も戸惑ったまま待機している。

「あの兵士たちを撃ちましょうか?」

「少し待ってくれ」

 文懐と対決する大将を仰ぐ兵士たち。不気味な人形のような顔がわずかに動揺で歪んでいる。大龍は全く普通の声音(それでも狼の遠吠えのようによく通る)で彼らに指示する。

「そこで待て。この反逆者を討ち取るのに時間はかからん」

 文懐はこれに対して何も言わなかった。余裕が残されていないのだ。大龍の目が勝ち誇ったようにきらりと光った。

「我慢比べはいつまで続くかな? 若造?」

「お前が望むまで……続けてやるさ」

 苦しげな文懐の声が、細く訓たちの耳に届く。見ていられなくなって訓は目を逸らした。森の中に、交戦した跡が生々しく残っている。

 ふと、地面に散らばった敵の矢が目に止まった。青い羽が特徴的な、かえしがついた矢だ。考えるより前に、訓は矢を拾い上げた。

 そして、内心謝りつつ、華の顔をかすめて矢を木に突き刺した。

 華が驚いて叫び声を上げる。驚く敵味方全体に聞こえるように、訓は声を張り上げた。

「卑怯者! 大龍軍の兵士が、我らに向かって矢を射た!」

 虚をつかれた大龍が後ろを振り返った。力が緩んだ鉄槌を文懐が押し上げると同時に大刀で首を狙った。

「おおっと!」

 やたらと大きな声で驚きながら、大龍は後ろに退く。息を弾ませ、文懐は大刀を再び構えた。

 しかし、大龍は自軍の兵士に気を取られているようだった。

「一体誰が、そんな卑怯な真似をした!」

 激怒する大龍。向こうの兵士たちが身を縮めた。

「手助けをしようと思うほど、わしが頼りないか! 矢を射た者は出てこい!」

「ち、違います! あの反乱軍の誰かが、我々に罪をなすりつけたのです」

「我が軍の者が、そんな真似をするか!」

 文懐が怒鳴った。訓は思わず身震いする。側の華が遠慮がちに笑った。彼女が怒っていないことに少しほっとした。

 ひゅうと音がして、木々に矢が刺さった。本物だ。焦った敵兵が矢を射たらしかった。

「華さん、撃っていいよ」

 訓はそう告げる。「こっちが黙ってやられる義理はないはずだ」

「はい!」

 鉄砲部隊が一斉に発砲した。向こうの兵士たちは銃には慣れていなかったらしく、かなりの数が逃げ惑う。大龍の一喝でその場に立ち止まった者を容赦なく弾が貫いた。

「あいつを倒してしまえば、軍は総崩れになるな?」

 マルシャンが呟く。しかし、大龍を狙うには文懐が邪魔だった。訓と何人かが文懐に駆け寄った。

「文懐様!」

 文懐はぱっと振り返った。

「誰が最初に矢を射たのだろうな?」

「そんな話をしてる場合じゃありません。矢が当たらない位置に移動してください」

 文懐は訓の襟元を指でつまみ、顔の間近に引き寄せた。彼の手はまだ熱い。

「敵の中に、弓を構えている者などいなかった」

 どきりとした。

「なあ、叫んだのは、お前の声だった気がするんだが」

 文懐の目元が険しく尖っている。

「そこんとこ、どうなんだ?」

 訓は震える手で文懐を引っ張る。

「文懐様を死なせたくありませんでした」

 文懐はぽいと訓の衣を放した。鼻白んだような表情が浮かんでいた。

「二度とこんなことをするな。不愉快だ」

 森と平野の交わる地点で、両軍が入り乱れつつあった。大龍の軍は確かに強い。けれど、確実に押しているのは反乱軍の方だった。

 文懐が見せた気迫が、兵士たち全員を奮い立たせていた。正に彼の言った火のようになって、大龍軍を圧倒している。その先頭にいるのは文懐だ。大刀を振るい、大龍の前に立ちはだかる兵士を斬り倒していく。加勢するべく何人もの文懐の部下が走っていった。

 水田の中に入ると、泥に足を取られて動きが鈍る。何故大龍たちが素早く動けるのは、訓たちはすぐにその秘密を知ることになる。

 彼らは小さな雲に乗っていたのだ。ふわふわと地面すれすれを漂う雲をなぎ払うと、兵士たちは水田に転び落ちた。それで、さらに流れがこちらに傾いた。なるほど彼らは不思議な力を使っていたのだろう、だが、動揺する様を見ると正体は全く平凡な人間だ。槍を胸に刺したらちゃんと死ぬ。

 雄叫びが響いた。とうとう文懐が大龍と大刀で戦っていた。さっきのような膠着状態にはもう陥らない。互いに武器を駆使して首を狙う。部下たちが援護しようと周囲を取り囲み、結果的に部下同士で威嚇し合うかたちになっている。

 一瞬の隙をついて、文懐の刃が大龍の首筋を捕らえた。思いっきりなで斬りにして、ついに大龍の首が胴から離れた__

 味方の大歓声が上がる。しかし大刀は弾かれた。完全に切り離されたはずの生首は鎧に固定された髭のおかげでぶら下がり、そして一瞬のうちに何事もなかったかのように首の傷跡につながった。

 大龍は呵々と笑い、大声で文懐に言った。

「見事だ! 褒めてやろう、若造よ。だがこの大龍、刎頸ごときで落命せぬ! 少なくとも心臓をとられるまではな!」

「それはいいことを聞いた」

 文懐の部下が一人、大龍の前に飛び込んできた。彼の手には鉄砲がある。鉄砲を構えると、文懐が筒を握って大龍の左胸に固定した。間髪を入れず絶叫する。

「双、撃て!」

 乾いた音が大龍将軍の胸を貫いた。やった。大龍を倒した。誰もがそう確信した。

 しかし、大龍はその場に依然として立ちはだかる。傷跡からは確かに血が噴き出しているのに。

 唖然として文懐たちは大龍を見つめた。こいつは不死か。愉快そうに笑い声をたて、鉄槌を振り回す大龍である。

「心臓というものが、いつでも胸の内にあるとは思わぬことだ」

 双と呼ばれた兵士がへなへなと倒れ込みそうになる。文懐が彼を引きずって後ずさるのを、訓は後ろから見ているしかない。双の顔すら分からない。

「とはいえ、我々には英気を養う必要がありそうである」

 大龍が退却を一方的に宣言し、兵士たちを撤退させた。追いかけようとする者は水田に飛び込む寸前で慌てて戻ってくる。

「命びろいしたな、逆賊どもよ。この次は今日ほど甘くは終わらぬぞ」

 それでも、反乱軍は勝利の歓声を上げた。強大な宮廷の刺客を退けたのだ。決して小さな勝利ではない。誰の胸にも確固たる自信が芽生えていた。



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