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第4章 15

「あの二人……」

 ピエトロが呟くと、セシリアがすぐに反応した。

「先生と華さん?」

「そう。どういう関係なんだろう」

「わかりきってるじゃない。つまりそういう関係よ」

「えーっ!」

 ピエトロが大声を出すと、周りの大人が振り向いた。

「そ、そうなの? 本人に聞いた?」

「聞かなくても女子は皆分かっているわよ。華さんは先生が好きでしょう、どう見ても」

 アンヌが激しくうなずいた。

「明先生も華さんを狙っているみたいだけど、あれじゃ脈はないわね。華さんが軽くあしらっているだけ」

 またアンヌがうなずいた。ピエトロは面白くない。

「じゃあ、先生の方は? どう思っているんだろう」

「あんまり女の人と噂になっているところは見たことなかったね」

「だって、カテキスタだから……」

 セシリアが指を振った。

「聖職者だって、結局は色と欲には抗えないのよ。隣の社の清藍さんをご覧なさい。司祭になろうかってところで、急に若い娘と駆け落ちしたでしょ?」

「色と欲……すごい言い方するなあ」

「セシリアはそういう話が大好きだから……」

「だって最高に面白いんだもの」

 セシリアは形の良い眉を上げて自慢げに語った。

「あのまま華さんが押していけば、先生はじきに陥落するわね、間違いなく。誰か別の男が華さんの周りにうろちょろするのもアリ。鳥や獣と一緒で、敵がいた方が恋に真剣になれるの」

「そういうものなんだ……」

「ミゲル……先生を鳥獣扱いしたことに驚こうよ」

 わいわい騒ぎながら干物や丸薬をひたすら作って天日にさらす子どもたち。その後ろから、気弱そうな声がかかった。

「君たち……」

「わ、驚いた。何ですか?」

 セシリアは声の主を観察する。見かけない顔だ。きっと、反乱軍についてきた嘉定の人ね。おじさんだけど、童顔だ。

「うるさかったです? ごめんなさい」

「いや……しゃべっているのによくそんなにすいすい手が動くなって感心したんだ」

「ああ、これ? 炊事なら慣れっこなんですよ。毎日司祭様の食事を用意してるんだから」

 聖歌隊に入った子どもの役割なのである。朝っぱらから喧しい声を聞かせる代償というわけだ。魚を捕ったり獣が捕まった罠を見回る間もセシリアたちはおしゃべりと歌の練習に余念がない。通称「歩く笛太鼓」である。

「君たちだよね、歌っていたの。すごくよかった。嘉定の教会で聴いたのとまるで同じみたいだったよ」

 やったね! 聖歌隊は目配せで喜びを分かち合った。

「あなたのお名前は?」

「双。残念ながら洗礼名はないんだ。まだ僕はキリスト教徒ではないから」

「これからってとこですね」

 双は笑顔を作った。

「そうだね」

 アンヌがおずおずと尋ねる。

「あの……明先生ってご存知ですか?」

「明先生?」

 セシリアが補足する。

「潘世明さんのことです。嘉定の名家生まれのカテキスタ様なんです」

「アンヌがそいつにお熱なんです」

「ジャン! やめて」

 アンヌが真っ赤になってジャンの広い背中を叩いた。遠くで兵士に囲まれてしゃべっている明をちらちら窺いながら。

「心配しなくたって、聞こえやしないよ」

 ピエトロが仏頂面でアンヌに言った。

「そ、そう?」

 双はくすくす笑った。

「楽しそうだなあ。潘家の坊ちゃんのことは、勿論知ってる。よく城に来ていたからね。お父上が文悦様と文懐様の懐刀なんだよ」

「明先生の、お父様が……」

「アンヌったら一体何を想像しているの?」

 その時、黙々と兵糧の点検をしていたマリアがぽつりと呟いた。

「おかしい」

 小さな声だったが、賑やかにふざけあっていた聖歌隊は静かになった。

「何が?」

 マリアは眉根に皺を寄せ、書き付けをひらひらと振る。

「兵糧の数が全然合わない」

「なして?」

「さあ。見て、こっちが書いてある干し果物の袋の数。こっちは実物。何度数えても実際の在庫が少ないよ」

 聖歌隊はマリアと兵糧の山を取り囲んだ。双まで首を傾げ、ついてくる。

「どっかの誰かがいい加減に数えて書き残したんじゃないの?」

「だと良いんだけど……」

 マリアは立ち上がった。彼女は背が低い。ジャンの半分ほどしかない。けれど、勤勉さと几帳面さから彼女は誰からも信頼されている。

「全種類の食糧がそうなんだよ。少しずつ、あるいはごそっと数が減っているみたい。いくらいい加減と言ったって、戦争中にこんな書き付けは作らないでしょう。命取りだよ」

 少年少女は顔を見合わせた。どの顔にも不安が浮いている。

「まさか、誰かが盗んでいるとか……」

「一体誰がそんなことするの?」

「いくらでもいるよ。翠瑠の親たちだって、絶対まだ私たちのことを恨んでいる。邪魔できることなら何でもやりそうだよ」

 ピエトロが負傷した腕をさする。翠瑠の後ろにいたセシリアは思わず彼女を抱いてそっと揺らした。くすぐったさに翠瑠が笑ったことに少しほっとした。

「このことは報告した方がいい」

 双が険しい顔で言った。

「誰にですか? 文懐様?」

「あの方は今忙しいんじゃない?」

「じゃあ、先生とか」

「先生なんて偉くもなんともないのに」

「じゃあ、高文おじいちゃん」

「それが妥当かなあ」

 聖歌隊の面子は、訓や高文司祭以外の聖職者を嫌っている。理由は明快、向こうが聖歌隊を嫌っているからだ。きっと兵糧が盗まれていると訴えても聞き入れてもらえまい。

「おじいちゃんは今どこにいるの?」

「お昼寝かな?」

「そんな訳ないでしょ」

 教会を覗いたジャンがあっと叫んだ。「何やってんだ!」

「どうしたの?」

 つられて聖歌隊はぞろぞろと集まった。そして、彼と同じように叫ぶことになる。

「泥棒!」

 教会にしまわれていたのは武器弾薬の類いである。革袋に収められたそれらをずるずると引きずる泥棒がいる。袋を咥えた口からだらだらと涎が垂れ、教会の床を汚していた。

 とんでもない悪党だ。だが、聖歌隊はとっちめてやるのに尻込みしている。

「ピエトロ、やっつけてきて」

「無理だよ!」

「双さん行ける?」

「いやあ……ちょっと……難しいなあ……」

 そして彼らは恐々と覗いた。聖なる空間を荒らしているのは二頭の狼であった。聖歌隊に気がつくと、狼たちが低い唸り声を上げて脅した。

「狼が弾薬を盗んでる……」

「あ! あいつらが、食糧も盗んだんじゃないの?」

「ありえるわ、それ」

 ぶるぶる震える翠瑠を背後に隠し、セシリアは狼に唸ってみせた。途端に逆襲され、すごすごと引き下がる。

 一頭が袋を持って開け放しの窓から飛び出した。すると別の狼が入れ替わりに飛び込んでくる。鋭い牙の先端に袋の切れ端が残っていた。

「先生を呼んでくる」

 セシリアは早々に宣言し、教会を離れた。翠瑠の手をしっかり握って。

「ずるいな、あいつ」

 ジャンがぼやいた。

「かといってここにいてもできることはないしね」

「そういえば、どうして中に誰もいないの?」

 誰かがそう問いかけた瞬間、嫌な想像が駆け巡った。

「たしか……司祭様たちが中にいたはず……」

「じゃあ……もしかして……あの狼たちに」

 マリアが大胆にも顔を突き出し、目をこらした。薄暗い教会の中に血は見えない。だが、狼の淡い色の毛皮には、赤黒い血が所々こびりついている。

 アンヌは両手を組み、目を閉じて祈った。

「可哀想な司祭様方。天国に行けますように」

「誰が死んだって?」

 訓の呆れ声が後ろから聞こえた。

「先生……と、司祭様!」

 高文をはじめ、クレティアンテの聖職者たちが集まっていた。

「ご無事だったんですね!」

「いいからそこを離れなさい」

 訓は扉の一番近くにいたマリアを押しのけた。そして中を見て溜息をつく。

「あの狼たちか……」

「知り合いなんですか?」

「嘉定に向かう途中で襲われた」

 訓が振り向くと、銃を構えた華が進み出る。

「あら、確かに覚えがある獣たちですね」

 狼がこっちを向いた。体を低く落とし突進してくるのと、訓がマリアの耳を塞ぐのがほぼ同時だった。

 地面が揺れるかのような音が響き渡り、狼は床にどっと倒れる。

 華はまだ煙の出ている銃を持ち上げ、ふうと息を吐いた。

「仕留めました」

「ありがとう」

 訓がマリアの耳から手を離し、狼に近づいていく。

「先生! 危ない……」

「心配ない、華さんが退治してくれた」

もう一頭いた狼は、音に驚いたのか窓を破って逃げていた。

「前に見たときには、こいつを操っている人間がいた」

「先生……それって、」

「近くに敵の間者がいる」

 皆が息を呑んだ。

「訓。そいつの顔は見たのか?」

 司祭の一人が尋ねた。

「遠くから横顔だけです」

「何だ、使えないな」

 聖歌隊は一様に口をひん曲げた。だが、当の訓は肩をすくめただけだった。

「きちんと見張りを立てなければいけませんね。またやってこられたら困る」

「その女に任せればいい」

 訓が華と見つめ合う。

「華さん、申し訳ないのだが……」

「ええ、お任せ下さい。訓さんの頼みなら」

 セシリアがピエトロやアンヌの肩をつつき、忍び笑いした。

「かなり荒らされてしまったな。文懐様はどこにいます?」

 高文が答える。「都に行った使者が戻ってきたということで、集会所で話し込んでおられるよ」

 集会所に向かう訓に聖歌隊はついていく。何だか面白そうだ。何人かはまた文懐の顔が見たいと思っていた。特にセシリアなんかは文懐の男気がすっかり気に入って、なんとか彼と話してみたいと密かに野望を抱いていた。

 ふと、マリアが辺りを見回す。さっきまでそこにいた双がいなくなっていた。また仕事を言いつけられたのだろうか。下っ端らしい男だったし。



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