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第4章 7

 数時間で話し合いは終わった。マルシャン及びキリスト教徒側は武器弾薬と兵士の動員で反乱軍を支援する。その代わりに共同体の保護と教会の新たな建設を文懐は約束した。字喃とフランス語の両方で文書が作られた。


 マルシャンが訓に囁く。

「反乱が成功した暁には、コーチシナの半分がフランスの物だ。これで本国の連中も喜んで協力するだろうよ」


 訓は小さくうなずいたが、文懐が物問いたげな表情でこちらを見つめているのに気がついた。後でこの密かな発言の中身を聞かれることになるのだろう。


 キリスト教徒の保護よりさらに先を、マルシャンは既に見据えている。フランスの手を借りるのに、そんなちっぽけな見返りではとてもたりない。少なくとも領土の割譲、あるいは通商の独占。かつてのヴェルサイユ条約よりも一段上を目指している。


 そして莫大な見返りを払うのは、勿論マルシャンらではなく文懐たち大南側だから、彼は安易に大きな対価を付加できるのだ。

 いくつもの大きな動きが起こった。順化への使者が、首桶を携えて出発した。マルシャンや他に何人かの宣教師は、フランス政府への書簡をしたため始めた。(マルシャンはフランスに連れて行く人質を要求したが、文懐は拒否した)そして、軍の大半を率いて、文懐は北上する決定を下した。

 先手必勝。この言葉を最初に持ち出したのは明の父親、燈だった。不意をつき、敵の備えがまだ出来ていない内に勢力を拡げるべきだと主張し、文懐もそれに賛成した。

「フランスに行く者と嘉定に残る者、そして私と共に順化に来る者がいるわけだが」

 文懐は言った。

「今のうちに自分がどこで一番力を発揮できるか、考えておくんだな」

 文懐の言葉に彼の部下全員が居ずまいを正したその時、部屋の外で少女の大きな叫び声が上がった。

 皆が驚いて顔を見合わせたが、訓と明はすぐに気がついた。

「翠瑠の声だ!」

 文懐の部屋を飛び出すと、武装した家来に囲まれた翠瑠が立ち尽くしていた。

 どうして、彼女がここに?

「翠瑠!」

 訓が呼ぶと、家来がほっとしたように道を開けた。その真ん中の翠瑠は奇妙にこわばった表情で目を上げた。

「どうした。いつ来たんだ?」

「よくここが分かったね」

 翠瑠はただこう尋ねた。

「兄様は死んだの?」

 がつんと頭を殴られたような気がした。彼女に偽っていた罪悪感とこの先への迷いが同時に襲ってくる。ついにこの時が来てしまった。まだ自分の覚悟もできていないのに。

 露骨に顔を背けた、若い家来がいた。彼がうっかりばらしてしまったのかもしれないと思った。

「翠瑠……」

「ねえ、そうなの?」

 翠瑠の、あの無邪気な笑顔はどこに消えたのか。十もいっぺんに成長したような表情で、訓を睨んでいる。その目に浮かんでいるのは怒りだった。

「先生!」

 明がそっと訓の肩を叩いた。

「……ああ、そうだよ。英路は死んだ。宮廷軍に殺された」

「元気だって先生は言ったのに!」

 翠瑠は金切り声を上げた。

「嘘つき! もう兄様には会えないんだ! すぐに会えるって、ちゃんと言ってたのに!!」

 翠瑠が駆け出す。捕まえようとした男たちの手をかわし、階段の下に消えていった。

 我に返った訓はすぐに追いかける。転びそうになりながら廊下を走り階段を下り、正門の前でやっと追いついた。

 翠瑠は華に抱き止められていた。華の胸の中で、翠瑠は号泣していた。

 訓が近づくのに気づくと、翠瑠は嗚咽を止めようと拳を口に押し込んだ。涙でぐちゃぐちゃの顔に頑なな意志が生まれていた。

__お前のことは、絶対に許さない。

 華が翠瑠の背中をさすりながら、訓にそっと言った。

「お屋敷からいなくなったから、探していたんです。お城に行っていたんですね」

 訓は言葉もなくうなずいた。

「どうぞ、お戻り下さいな。きっとまだやるべきことがあるのでしょう?」

 それで訓は背を向けた。腹の辺りがじくじくと痛んでいる。



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