第4章 3
「__やっと終わりましたね」
そう漏らすことができたのは、明け方近くになってのことだった。一生懸命働いた召使いや近所に住まう有志たち、それに翠瑠は寝具を分け合って雑魚寝していた。訓は何となく眠れず玄関に腰を下ろしていた。
隣に華が当然のように座る。
「華さんもご苦労様。早く寝た方がいい」
「訓さんにもう少し付き合いますよ」
華は水の入った柄杓を持ってきていた。
「どうぞ」
「ん、ありがとう」
喉を潤したのは随分久しぶりな気がした。ゆっくりと腰を落ち着かせたのも。
「明は?」
「自分のお部屋でお休みになっているようです」
「そりゃよかった。あいつも散々動いていたから……」
「明日もお城に行くのですか?」
「そういうことになるだろうな」
マルシャンの張り切った顔が、疲れ切った嘉定の人々の中で浮いていた。
「お兄さんのこと。翠瑠ちゃんには、私から話しておきましょうか」
訓は華の顔を見た。華が静かに見つめ返す。
「……明から聞いたのか?」
「はい、少しだけ」
話が早い。少しだけ不本意だった。だが、取り乱す自分を見せることにならなくてよかったとも思っている。
「何故さっきは嘘をついてしまったのか……」
「翠瑠ちゃんを悲しませたくなかったんでしょう?」
その通りだ。だが、いつかは真実を話さなければならない。
「英路のことは自分の口から話すよ。ただ、まだ勇気が湧かない」
「分かります」
華が深々とうなずく。
この時初めて訓は、華が小刻みに震えていることに気がついた。
「怖いのか?」
「いいえ」
「じゃあ、後悔している?」
「……分かりません」
鉄砲を躊躇なく撃ち放す華の姿を思い出す。いかに獣の狩猟で慣れているとはいえ、人を撃ったことに動揺していないはずがない。
「私は正しいことをしたのかどうか、今まで考えていました」
正しいに決まっている。
「貴女のおかげで、多くの人間が殺されずに済んだんだよ。邪な魔物を退治した聖ジョルジュのように」
「何です? それ」
華がかすかに笑った。
「ローマの聖人だ。人々を苦しめていた龍を退治して、キリスト教をその町に広めた」
「龍を殺すだなんて」
大南は龍と仙人が作った国である。いかにキリストの教えを受けようとも、龍への敬慕だけはぬぐい去れない。
「西洋では、龍は悪者扱いされているんだ」
「変な国があるものですね。明さんはやっていけるのかしら」
「彼は聡明だし元気も十分にあるから、きっとどんな国でも成長できるよ」
「偉い。私たちとは違いますわね」
「全くだ。フランスになんて行く気にもなれない」
ただ、明の渡航は延びてしまった。反乱軍に加わるとしたら、彼の命にも危険が迫っている。出来れば前線には出ないで欲しい。いや、本音を言えば反乱自体に関わって欲しくはない。明にも、華にも。
「私はそうもいきませんわ。どうやら、すっかり手勢に数え込まれたようですから」
「何だって?」
「嘉定総鎮様のお使いの方が様子を見に来たんです。鉄砲の腕前を褒められました」
それだけではない。華は、反乱軍への参加を命じられたのだ。
「これで、他人事ではなくなっちゃいましたね」
華が溜息まじりに笑った。
「冗談じゃない……そんな危ないこと、貴女にとてもさせられない!」
「今更です。それに私、軍の命令に一から十まで従うつもりはありませんから。訓さんや翠瑠ちゃんが行くところに、どこまでもお供します」
「なら、俺も貴女と翠瑠を守らないとな」
華はすっと微笑み、訓の手を握った。握り返す手の中で、彼女が生きている証に確かな力がこもっていた。




