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第4章 2

 翠瑠と華は屋敷の召使いを手伝い、負傷者の傷を押さえたり薬を塗ったり忙しく動いていた。そこに話しかけようとした明の腕を、老いた母親がそっと取った。彼女が息子に目をやるよう促したのは、隅の方に横たわる人々だった。

 訓もこっそり背後から近寄った。仰向けに寝かされた男女の傷はいずれも致命的であることがすぐに窺えた。たどたどしく巻いた布からまだ血がとめどなく染み出してくる。

 母親に耳打ちされた明が、無言でうなずき、一人の手を握った。

「よくぞ今まで神への信仰を続けてきましたね。さあ、安らかに眠りましょう」

 低い声で明が囁くのを、傷ついた人間が黙って聞いている。

 訓もその隣りに膝をつき、頭をかち割られた老婆にそっと触れた。雑に拭われた血の痕が目立つ、皺だらけの顔。彼女のかすかに口が震えた。

 死に行く信徒を看取るのは初めてではない。だけど、やがて温もりが消える手を握り、その感触があまり軽いのにたじろいだ後、何と声をかけてよいのかいつも戸惑ってしまう。

 ただ、目の前の人が死後安らかに眠れるように__そう願って口を開いた時、老婆は弱々しい声を絞り出す。

「死にたく__ない」

 訓には、ただ声をかけることしかできない。

「大丈夫。貴女は必ず天国に行くんです。そこには苦しみも悲しみもない。何も心配しなくていい」

「怖い……」

「怖がることなんて、何一つない」

 老婆の肌に、指で十字を書いた。その時急に、彼女がキリスト教徒とは限らないことを思い出した。

「神の恵みがいつまでもあなたの魂にありますように」

 握った手が力なく垂れた。最後の息をか細く吐き出して、老婆は動かなくなった。

 怪我の手当てと同じくらい、聖職者の出番は沢山あった。次々と運ばれてくる怪我人の三分の一はもう助からない深手を負っていた。対して看取りの知識が多少ともあるのは訓と明しかいない。祝福しては手を放して立ち上がり、また次の相手に移るのを何度も繰り返した。既に物言わぬ死体に屈みこむこともしばしばだった。

 英路の魂は無事に天国にたどり着いただろうか。そんなことをずっと考えていた。勿論、天国に行けるはずだ。あいつほどキリスト教に尽くした教え子を訓は知らなかった。

 天国__少なくとも、目に見えるところにはない。英路との再会が叶うのはいつのことになるのだろうか。



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