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第3章 9(明の家)

「ここが僕の家です」

 明が入れてくれた屋敷からは、城が間近に見えた。人の出入りが多いように見えるが、通常なのか緊急事態なのかはよく分からなかった。

「ご家族は?」

「父は城です。母はご友人とお茶を飲みに出かけました。二人がいないから、今日は出かけていたんです」

「兄弟はいないんだったかな」

「弟が一人。でも今は教会で勉強中です」

 家族も全員キリスト教徒なのだ。科挙に向けての勉強はきちんとしたことがない。

「嘉定で働くのに儒学は必要ありませんからね」

 代わりに求められるのが、外国語だった。フランス語は元より、シャム語、カンボジア語も重要である。華僑の人数も多く、彼らからの印象をよくするために中華の言葉を学ぶ商人の息子も少なくない。

 明の屋敷には西洋の家具や置物が多かった。窓に嵌まった硝子には色つきの絵が描かれている。

 使用人がお茶を用意してくれた。少しずつ熱いお茶をすすりながら、訓は明と話をする。

「フランスにはいつ出発するんだ」

「予定では明後日ですが……どうなるかは分かりませんね」

 フランスへの出航そのものが中止となるかもしれない。

「ピエトロ君やセシリアは元気ですか?」

「ああ。アンヌもな」

 明は眉一つ動かさない。

「そりゃあ良かった」

「アンヌってどなたかしら?」

「うちの社の女の子でね、実は明に憧れているんだ」

「まあ、素敵」

「妹みたいな子なんですよ。決して、色恋がどうのって話じゃないんです」

 明は弁解するように華に向かって言う。

「アンヌは明のことが好きだよ」

 そう言ったのは翠瑠だった。

「こら、やめろ」

 明は苦笑いしている。

「遠い外国に行ってしまう僕のことなんて、誰も忘れてしまいますよ。アンヌは、案外ピエトロ君辺りと上手くいくんじゃないかと踏んでるんですが」

「ピエトロがもっとどっしり構えていればな……」

 元気はあるが落ち着きのない生徒を思い浮かべ、訓も苦笑した。

「無駄話はさておき、英路に会うとしたら早めに城に行った方がいいですね。或いは、英路をここに呼んでくるか」

 その時、控えていた使用人が近づいてきて、明に囁いた。

「……そうか。彼は今、宣教師の通訳を任されているそうです。文懐様の側を離れられそうにないですね」

「大出世じゃないか……」

 意味を理解した翠瑠が笑顔になる。

「この反乱が成功すれば、英路も文懐様の家臣になれるかもしれませんね」

 密やかに金属がぶつかる音がした。華がそっと鉄砲を降ろしたのだ。

「その銃……」

「アントワーヌです」

「へ?」

「何でもないよ。華さん、あまり明を困惑させないでくれ」

「あ、ごめんなさい」

 明は華と訓を見比べていたが、

「その銃に合う弾が家にもありますよ。是非使って下さい」

「え、いいんですか?」

「集めているだけで、家では誰も使わないので……」

 明は使用人を呼ばず、自分で弾丸を取りに行った。翠瑠も立ち上がり、窓の外を覗きに行った。

「兄様は、あの城にいる?」

「ああ。もうすぐ会えるな」

「うん」

 うなずいた翠瑠だったが、ふと顔が曇った。

「何だか、緊張してきた。もうずーっと会ってないから……」

「そうだな。もう二年も離れていたからな」

「兄様、わたしのことが分かるかな?」

「きっと分かるわ」

華が翠瑠の頭を撫でる。

「離れていても、大切な家族だもの。お兄さんは、ずっと翠瑠ちゃんのことを想っていたはずよ」

「よかった」

 再び窓の外に目をやった翠瑠。その眼前に赤が飛び散った。

「あっ……!」

「どうした?」

 翠瑠は窓の前で固まった。訓は外を一目見て、翠瑠の顔を手で隠した。

「どうしたんです!」

「見ない方がいい」

 訓を押しのけ、華も窓に駆け寄った。

 外の景色はほんの一瞬のうちに様変わりしていた。殺し合いが始まっていた。鎧に身を固めた百人あまりの軍隊が城を取り囲み、顔を出した城の人間に銃撃を浴びせ、その度に真っ赤な血が彼らの上に雨のように降る。

「やめて……!」

 華が見ているのは城の外だ。武装してもいない老人を兵士の一人が槍で突き殺した。

 明が戻ってくる。外の様子に気がつくなり、使用人に命じた。

「外にいる人たちをここに匿うんだ。出来るだけ多く!」

「一体何が起きているんでしょう?」

 華が弾丸の入った箱を受け取りながら尋ねる。

「あの鎧は嘉定の人間のものじゃない。前から嘉定に留まっていた順化の軍隊です」

「戦が始まったのか?」

「分かりません……今日攻撃を始めるとは父は言っていなかったけど、」

 唇を噛み、明は続けた。

「何かがきっかけで、文懐様の怒りが爆発したのかもしれない」

 理由などは、今は問題ではなかった。ただ、目の前で殺される人数を少なくしなければならない。

「逃げ遅れた民をここに誘導します」

「俺も手伝おう」

「わたしも……」

「駄目だ!」

 訓、華、明の三人が口を揃えた。

「翠瑠ちゃんは私と一緒にここにいるの。いい、側を絶対離れないで」

「華さん、よろしく頼む」

「はい! 明さん、窓を開けますよ」

「危ないからよした方が……」

 明が止めようとする間にも華は素早く鉄砲に弾をこめ、窓を勢いよく開けた。

「翠瑠ちゃん、耳を塞いでおくのよ。……あの鎧が敵の証ですね?」

「そうですけど、何を……」

 華が発砲した。鎧を来た兵士が一人倒れた。華は続けて二、三発撃ち鳴らした。強固に見えた軍勢が崩れ、どこから来るか分からぬ攻撃に怯えているように右往左往し始めた。城から落とされた石や砲丸に潰される者もいた。

 最初感じたほど一方的に不利ではなさそうだ。

「すごい……」

 華を見つめる明は汗をかいていた。

「何してるんです! 早く、ご自分のなすべきことを!」

 叱咤され、訓と明は外に飛び出していった。


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