第3章 8(嘉定総鎮城)
「さて、お前たちを連れていかねばならないところがある」
縛り上げられた阮徳と胡景を前に、文懐が宣言する。
家来が確認した。
「使者のところですね?」
二人が息を呑んだ。
「そういうことだ。どのみち、仲良くしていた相手だろう? 会わせてやろうと言うのだからそう驚くな」
「ぶ、文懐様……」
「こうもり野郎は嫌いだ。裏切り者は裏切り者らしく、明命帝にだけ媚を売ってろ」
使用人と家来が二人を立たせた。
背後で囁き声が聞こえた。
「お前のせいだ、双。お前が何もかもたれ込んだんだろう……」
「黙ってくれると言っていたのに」
使用人は何も言い返さない。文懐は近くを歩いていた兵士を呼び、二人の囚人の両脇を固めさせた。
「双、おいで」
文懐が呼ぶと、身を縮めた使用人が恐る恐る横に並んだ。
「お前が正直に話してくれたおかげで速やかに解決できた。ありがとう」
「お礼を言われる資格などございません」
「失敗も確かにあったが取るに足らないものだ。その分良い働きを見せてくれればいい」
「私を罰されないのですか?」
「ただでさえ二人減ったんだ。忠実な者まで罰して何の得がある」
双はちらりと後方を見た。
「お前に足りないのは、正しくないものを摘発する勇気だけだ。これからは、友情ではなく忠誠心で動け。反抗の兆しはすぐに報告しろ」
「はい!」
ぱっと顔を輝かせる双は、大きな犬のようだった。
使者を監禁している部屋に入ると、部屋の主は正座して待ち構えていた。
「おや、これは嘉定総鎮殿。こんなに大勢で足をお運び下さるとは光栄でございます」
でっぷり太っていたいけ好かない使者は、この何日かで随分痩せた。それでも憎々しい細い目と締まりのない笑顔、豆腐のように滑らかな顎は変わらない。
「朝から随分大変だったようでございますな」
「へえ?」
文懐は顎を上げた。堪に触る言い方だ。
「お前が何を知っている? ひょっとしてお前の仕業か?」
「何のことでございましょう」
「それとも、こいつらに指図したのがお前ってことかな?」
突き出された徳と景を見て、使者の目がほんのわずかに歪んだ。
「……さて、何が言いたいのでしょう」
「とぼけるな。見張りの立場を利用して、お前と接触した裏切り者たちだ。今朝、こいつらがちょっとした騒ぎを起こした。何の意味もなかったがな」
徳が身震いした。
「阮徳に胡景。お前たちに命令したのはこの使者か?」
「……はい」
よく出来ました。
「連れていけ。殺せ」
すくんで立ち上がれなくなった二人を兵士が抱え上げ、部屋から出て行った。
「なるほど、その裏切り者が、私の名前を出したのですね」
使者が落ち着いて言った。
「ですが、それだけでは何の証拠にもならない。ただの不心得者の言葉を信用するとは副王の息子たる貴方らしくもない」
副王の息子。つまり、お前はまだ嘉定総鎮ではないと当てこすっている。
「拷問の恐怖に怯え、いい加減な名前を出したのではないとどうして断言できましょう? そんな裁きは、順化ではあり得ません」
「ここは嘉定だ。そんなに順化が恋しいなら首だけでも帰してやろう」
文懐は刀を抜き、使者の首元に刃を当てた。
「わ、私を殺せば……宮廷が黙っていない」
「知っている。だから今、殺すんだ。お前は人間ではなく、宮廷の生贄だと思え」
豚のような首は、絶食させたおかげで刃が通りやすくなっていた。
ゆっくりと床に倒れる首のない体に背を向け、文懐は家来たちに命じた。
「嘉定にいる宮廷軍を皆殺しにするぞ。あいつらは嘉定にとっても癌だ。宮廷の権威を振りかざし、不当に商人から物資を得ている」
外国人から先んじて宮廷軍が武器を購入しているのは、文懐の耳にも入っていた。その度に使者に警告してきたのだが何度もあしらわれ、怒りは次第に募っていくばかりだった。
皇帝から下された鎖国令を口では高らかに謳っておきながら、自分たちは堂々と最新の武器を得る。そんな欺瞞が何よりも腹立たしかった。宮廷は筋を通す気もない。唯々諾々と従っていれば、自分たちは破滅する。
全ては明命帝が即位した時から始まった。あの男は、皇帝になれる器ではなかった。だから父もずっと反対していたのに。




