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第3章 7 (嘉定総鎮城)

 夜が明けて、文懐の城では大騒ぎになっていた。


 怒号に束の間の眠りを中断され、文懐は跳ね起きた。床で眠っていた通訳もいぶかしげに辺りを見回している。

 扉を開き、その辺を歩いていた家来を捕まえる。

「何があった? 襲撃か?」

「いいえ! ただ……」

「ただ?」

「食糧の大半が駄目になったそうです」

「何故だ。腐りにくい物を優先して買えと命じたはずだが」

 出てきた文懐を見て、兵士や家来が集まってくる。

「水です。食糧庫が水びたしになっていたのです。敵の仕業に違いありません」

「見張りは立てていたな?」

「それが……二人とも行方不明でして」

「名前と素性は」

 まだ起きていない自分の体を叱咤し、文懐は廊下を大股で歩いた。食糧庫は地下だ。最上階の自室からは遠い。

 この目で見るまでは納得できないと思いつつ、絶望的な気配にじわじわと頭が浸されていく。

「阮徳と胡景、いずれも生え抜きの臣下です」

「だろうな。その名前は知っている。庭番だったろう?」

「配置異動がありまして……」

「そいつらがいなくなったのか。二人をよく知る者を呼べ。あと、速やかに食糧を買いに行かせろ。金は城庫から出す」

「はい」

 ついてきた家来は走って行った。通訳がいつの間にか後ろにいる。

「お前の出番はないぞ」

「通訳しかできない人間ではありません」

「言うじゃないか。では今何ができる?」

「濡れた食糧で保存食を作ります。全部が駄目になった訳ではないと思うのです」

「では行け。宣教師が来たら戻ってこい」

 通訳も慌てて降りて行った。

 側にいるのは最初に会話をした家来一人である。

「この時機にとんだ横槍だな」

「間違いなく悪意ある者の仕業でございます」

「この城の中に入り込んでいる訳だな」

「残念ながら、そうなります」

「例の使者はちゃんと見張っているな?」

「はい。一室に閉じ込めております」

「あいつの神通力の仕業かもしれんな」

 家来は面白くもなさそうに笑った。

 報告された通り、食糧庫に大量の水がぶちまけられていた。前の方の米俵や干物は濡れてふやけている。床を拭く者、濡れた食糧を開包して乾かそうとする者に別れ、せわしなく働いている。

 あの通訳は調理場にいた。握り飯を作っているのをちらりと見て、文懐は家来に向き直った。

「武器弾薬は無事だろうな?」

「武器庫の鍵は私が預かっております」

「ならいい」

 ばたばたと足音がして、見慣れない使用人が駆けてきた。

「あの……! 徳と景について知っていることを話せって……」

「おお、礼春に言われたのか」

 文懐に向かって使用人は深々と頭を下げた。応用に手を振り、廊下の隅に寄った。

「お前はその二人をよく知っているのか」

「はい、同じ部屋に寝泊まりしているから、度々会話はしていました」

「このような事態が起きて、どう思った?」

「あいつらがついにやったな、と……」

 文懐は家来と顔を見合わせた。

「兆しがあったか」

「文悦様がお亡くなりになって、皇帝陛下が嘉定を支配しようとしているとの噂が流れてから……将来を不安に感じていたようです。このままだと我らも文懐様と共倒れだととんでもないことを口にしていました」

「続けろ。それで?」

「寄らば大樹の陰、みたいな考え方をすることがあったので、いつかは新しい嘉定の支配者の元に移ろうと何度も言ってきました。私はそんな考え方が不快で、無視するようにしていたらあの二人だけでなにやら相談していて……。今、皇帝陛下の使者が滞在してますでしょう?」

「ああ。それが?」

「見張りを申しつけられた時にこっそり接触し、話を聞いてもらっていたようなのです」

 文懐は溜息をついた。側にいた家来が哀れな使用人を叱責する。

「何故もっと早く報告しなかった! その結果が、このありさまだ」

「申し訳もございません……」

「やめろ、燈。過ぎたことを責めても意味がない。それよりお前自身はどうだ? 友人からそんな話を聞かされて、興味を惹かれやしなかったか?」

「いいえ。私の主人は黎文懐様です。皇帝陛下ではありません。……徳も景も、一時の気の迷いだと思っていたんです」

「友人とて信用し過ぎるな。戦ではどんなことも起こる。考え方もいくらでも揺らぐのだ」

 使用人は歯を食いしばってうなずいたが、次の瞬間はっと顔を上げた。

「そう言えば、あいつらの隠れそうな場所を知っています」

 二人は逃げたと思っていた。だが、探し方が足りなかっただけかもしれない。生きて捕らえられれば、こんなに好都合なこともない。

「どこだ。案内しろ」

「秘密の小部屋が二階にあって……」

 使用人の後を早足で追う。

「なあ、燈。その二人がまだ城内にいるとすれば、更なる被害を起こすつもりかもしれんな」

「その恐れはありますな。兵士を差し向けましょうか」

「要らない。私とお前、それにこいつがいれば十分だ。そうだろう?」

「仰せのままに」

 使用人が示したのは、使用人の寝室がある一画だった。ずけずけと扉を開き、寝ている奴がいる寝室に上がり込んだ。夜通し働いていた見張り役などが今こうして休んでいる。

 押し入れをそっと開け、使用人はその奥の木の壁を思いっきり引っぺがした。どかどか慌てふためく音がする。

「景!」

 叫ぶ使用人を突き飛ばし、何者かが飛び出してきた。咄嗟にその顔面を殴りつけ、喉元を押さえつける。寝ていた奴が仰天して寝具ごと距離を取った。続いて、使用人と家来が二人がかりで隠れていたもう一人を引きずり出す。何やら喚く声が耳を刺した。

「お前が景か」

 手中の若者にゆっくりと尋ねた。喉元を締め上げられたままでは喋れまい。馬乗りになり、両腕をしっかり掴んでからもう一度尋ねた。

「景、お前たちが食糧を駄目にしたのか?」

 もう一人が叫ぶ。

「何もしゃべるな!」

 文懐は景の喉に手を当て、勢いよく押し込んだ。激しくむせ込む様子を見て少し溜飲が下がった。

「よく考えてみろ。お前たちはもう負けたんだよ。むごたらしく殺されるも生き残るも全て我々次第だ。意地を張ることがどれだけ無意味か分かるかね?」

「わ……、分かります」

「いい子だ。もっと早く気づけばよかったな」

 文懐はにっと笑った。哀れな景が震え上がる。文懐が家来に寛容な態度を見せるのは、自分に忠実なうちだけだと今思い出したのだろう。

「睡眠の邪魔をしたな。すまない」

 まだ寝ぼけた顔で一連の騒動を見守っていた使用人は、慌てて首を振る。

「いいえ……どうぞそのまま使って下さい」

 彼は捕らえられた二人の同僚に軽蔑の目を向けた。


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