第3章 3(聞き込み)
港には着いたが、期待外れだった。
「阮英路? とっくの昔に文懐様の城に行ったよ」
外国人との貿易を取り締まる華僑の男が、そう言った。煙草を呑みながら台帳を精査しているところだったが、銀を一枚渡すと渋々ながら会ってくれたのだ。
「異国語が分かるから重宝してたんだけどね、キリスト教徒だけあって血の気も多かったね。仲間をぞろぞろ引き抜いていっちまったから迷惑してんだ」
そういえば、働き手の数が少ない。船から降りてきた西洋人と大量の積荷相手に、数人の若者が右往左往している。
「あんたら、あいつの何?」
陳周名と名乗った男は、じろじろと訓の出で立ちを眺め回した。
「この子が英路の妹で、我々はその付き添いです」
「家族に会いに来たってわけ?」
「まあ、そんなところです」
ふうん、と陳は溜息と共に煙を吐き出した。翠瑠が顔をしかめる。訓はさりげなく翠瑠を陳から離した。
「まあ何でもいいけどさ、ともかくここにあいつはいない。城に行ってみなよ。会えるかどうかは知らんけど」
「どうしてです?」
華が尋ねた。美しい女に気づいて陳は鼻を膨らます。
「そりゃああんた、これから皇帝相手に戦争仕掛けようって奴らが、簡単に怪しい客を入れる訳ないだろうが?」
「それもそうですね……」
「何なら、良い人脈を紹介してやろうか? 文懐と親しい商人を知ってんだ。あいつなら、城に出入りできるんじゃないかなあ」
「本当ですか?」
「本当本当。ただし、あんたがオレを慰めてくれたらね……」
訓は咄嗟に陳の伸ばした手をひっぱたいた。
「痛!」
「あんたの助けなど要らない。さよなら」
「ちょっと待って、訓さん……」
「嘉定には他に知り合いもいる。何もこんな奴に頼る必要はない」
赤くなった手をさすり、陳はわめいた。
「西洋人風情が、偉そうに! どうせその女も情婦なんだろう」
「俺は西洋人じゃないし、彼女も情婦なんかじゃない」
華と翠瑠の手を握り、訓は足音高くその場を離れた。
陳の姿が見えない所まで来ると、訓はようやく二人の手を離し立ち止まった。
半日使って港まで来て、全くの徒労だった。これからまた城まで向かわなければならない。そこでも見つからなかったら大声で笑ってやろう。
日は沈みかかっていた。宿を探す時間だ。子どもを連れて歩くには、都の夜は物騒だ。
華が背後にいる。今までで一番、その存在を強く感じた。気まずさで心が押し潰されそうだった。
「あの……」
華がおずおずと話しかけようとしている。訓は振り返り、頭を下げた。
「不愉快な思いをさせてすまなかった」
「いえ、そんな!」
華の声が高く裏返った。
「私、ちっとも気にしてませんでした。ああいうこと、前に嘉定に来た時もよく言われたから」
「あいつの無礼は看過できなかった」
「無礼?」
顔を上げると、華は美しい瞳を下に流し、苦笑していた。
「喜ぶべきかしらと私は思っていました」
「喜ぶ? 何故! 貴女を情婦呼ばわりしたんだぞ」
「だって、求められていたんですもの」
翠瑠の手を握りながら、華は小さな声で語る。
「私、再婚できないんです。いくら美人だね、優しいねって言われても。何故だか分かりますか?」
訓には分からない。
「子どもが生めないからですよ」
華は絞り出すようなかすれた声でそう言って、訓の目をまっすぐに射貫いた。
「お医者様にも言われたし、社の奥さん方からも陰口を叩かれてた。……殿方から求められるだけで、嬉しく思うはずなんです。例え情婦としてでも」
訓は言葉を失った。
「西洋に生まれていたら良かったですね。夫も子どももいなければ、神に仕えることができるんですもの。その方が幸せになれましたわ」
赤く染まっていく空の下で、うろたえるしかない自分を呪う。もっと聖職者としての経験があれば、彼女が救われるような言葉をかけてやれたのに。初めて、勉強不足を悔やんだ。
「……宿屋に行こう。いつもよりちょっと美味しい料理を頼んで、腹一杯食べるんだ。俺がご馳走する。この前の猪鍋のお礼だ」
華は口だけで笑った。
「それは、キリスト教の御教えですか?」
「違う。ただ貴女に美味しい物を食べてもらいたいだけ」
「是非、ご相伴に預かります」
丁寧にお辞儀をする華の目はいつもより少し赤い。けれど涙はそこに浮かんではいなかった。
翠瑠が二人をつついた。
「ねえ、あの人たち……」
はっと振り返ると、陳周名と数人の男たちが連れだって歩いていた。慌てて道を開け、距離をとる。暗くなってきたおかげで気づかれてはいないようだ。
「商人仲間かな?」
訓は陳と一緒の野郎共に注目した。
「さて、どうでしょう? 格好が随分と違いますよ。むしろお役人様方のように見えます」
「なに?」
訓は思い切って彼らの後を追いかけた。なるほど、後ろ姿からでもよく分かる丈の長い木綿の正装。翠瑠の父親が好んで来ている上等な着物とよく似通っている。
陳が動きやすくも金糸や琥珀織で彩った派手な着物であるのに対して、男たちは上品な紫色だ。
大胆にも更に二三歩踏み出すと、会話の内容も聞こえてくる。南圻なまりが入った大南語だ。彼らは華僑仲間じゃない。
「……あれで全部とは、お粗末だな。あんたならもっと武器弾薬を確保しているものだと思っていた」
「我々としましても、あれが精一杯でございます。後は、フランスからの船が到着しないと……」
「そんな事を言って、宮廷軍にも武器を売るつもりではないのか?」
「滅相もございません。わたくし、文懐様の忠実な部下でございますので」
「ふん、調子のいい奴め」
「そんな……あっ、そういえば」
「何だ? 武器を手に入れる算段でもついたか?」
「一台だけ……さっき会ったばかりの妙な女が、西洋式の鉄砲を持っていましてね。どやしつければ喜んで差しだすかもしれませんや」
「鉄砲を持った女? ……」
「うちの元部下、あ、今は文懐様の軍に加わっている忠義な奴ですがね。そいつの家族とか言ってましたよ」
「となると、味方と思っていいのかな?」
「鉄砲があるのはいいが、そいつはお前が捕まえているのか?」
「いいえ。どこかに行ってしまいました」
「何の役にも立たないではないか」
訓の袖を華が強く引っ張った。
「もうよしませんか? 何だか怖いですよ」
「うーん、もう少しだけ……」
しかし、話は美味い酒だの珍味だのに移り、彼らは高級な飯屋に入って行った。訓は諦めて足を止める。
「黎文懐の部下たちだな」
「そのようです」
武器が足りていないのか。複雑な気分になった。戦う手段が乏しければ、文懐も反乱を諦めるかもしれない。
三人の誰とも知れず腹が鳴った。日が落ちてから、灯りが煌々と灯った宿屋を見比べると、どの店も魅力的に思えた。




