第3章 土埃舞う南都
嘉定は南圻最大の都だけあって、実に多様な人で溢れていた。虫や獣が我が物顔で歩き回っていた森の中と似たものがある。いつの間にかじっとりかいていた汗を着物で拭う。太陽が照りつける暑さだけでなく、人肌から発せられる熱気で町全体が沸き上がっている気がした。
「すごぉい……」
翠瑠はぽかんと口を開けていた。こんなに沢山集まった人間を見るのは生まれて始めてなのだ。
舟を川の側の小屋に預け、三人は歩き出した。といっても、行くあてがあるはずがない。
「久しぶりだわ」
華が呟く。そう言えば、訓や翠瑠と比べて彼女はさほど驚いていない。
「前に来たことが?」
「ええ、昨年に。弾がなくなって、商人も来てくれそうになかったから買いにいったんです」
それは頼もしい。
「でも、都の隅々まで知り尽くしている訳じゃないですよ。せいぜい、市場までしか行ったことがないんですもの」
「市場?」
翠瑠が首を傾げる。
「何でも売っている所よ。きっと楽しいわ」
「その前に、英路を探さなくては……」
「そうですね」
華は辺りをぐるりと見回した。
「一体どこを探せばいいのでしょう?」
「あいつは確か……貿易港で働いていたんだっけな。フランス語がよく出来たから」
「じゃあ、海の方角ですね」
道行く人を呼び止め、港にはどう行けばいいかを聞き込んだ。訓が話しかけると見かけで警戒され、大した返事は得られない。華が出てくると態度が大きく変わる。憮然として訓は地元の男を眺めていた。
「南はあっちだそうです。行きましょう」
人の流れとは反対方向を指差し、華が戻ってくる。
「どれぐらいかかるんだろうな」
「歩いて半日といったところでしょうか。夜になっちゃいますね」
「馬でも借りようか」
華は笑って首を振る。
「お金があっと言う間になくなっちゃいます」
そもそも、馬を乗りこなせる者が仲間内にいない。
「わたし、仔馬なら乗ったことがある」
翠瑠が手を挙げる。
「わあ、いいわね。私たちもそれに乗せてもらおうかな」
華がにこにこと言った。
「やめた方がいい、馬が潰れる」
「分かってますよー」
冗談だと気づいた頃には遅かった。
貸し馬屋を覗いてみたが、驚いたことに控えている馬は一頭もいない。小屋はがらんどうで、歯の欠けた馬番の少年が退屈そうに蒟醤を噛んでいた。
「馬車は……」
「皆城に行っちゃったよ」
少年が首を振る。
「どこもそうさ。文懐様の家来が根こそぎ買っていってるんだ。馬がどれだけあっても足りないから」
「それはやっぱり、戦のためかしら?」
「さあ?」
華の顔をじろじろ見つめ、少年はとぼけた。
「気になるんなら、城に行ってみれば。その鉄砲を売ってくれって言われるよ、きっと」
「この子を?」
背負った鉄砲を思わず守るように抱きかかえ、華は眉根に皺を寄せた。
小屋を出てから、訓は華に尋ねた。
「その鉄砲、いくらで買ったんだ?」
「どうしてそれが気になるんです?」
「いや……特に意味はないが」
「銀四枚ですよ」
「鉄砲の相場はそんなもんなのか。もっと高いと……」
「放っておいて下さい」
何故だか華はつんと顔を背け、不快そうな声を出した。
「いくらしようが、あなたには関係ないでしょう?」
彼女が何に腹をたてたのか、訓には分からなかった。しかし、事を荒立てないために黙って歩くことにした。
すれ違う人々を見ていると、大きな荷物を抱えた家族や、武装した健康な体躯の男が目立つ。皆一様にせかせかと歩き、辺りを頻繁に窺っているようである。物売りが路傍に果物や肉を広げていたが、前に並ぶのは立派な身なりの男が多く、しかも大量に購入していくようだった。
外国人も多く混ざっている。貿易で栄えたこの都では珍しくもないが、シャム語やカンボジア語で会話の内容が聞き取れないこともしばしばだった。
数年前に英路が嘉定に行ってから、何度か手紙が送られてきた。そこには嘉定での新生活の楽しさや苦労が綴られていた。盗み読み防止のためか手紙は大抵ラテン語を大南風にいじった独特の綴り回しで、読み方が分からない翠瑠に音読してやったものだ。
それらの手紙の中に、嘉定に拠点を置くコーチシナ代牧司教とのやり取りも記されていた。




