第2章 5(救世主)
こういう時こそ、神に祈るべきだった。もう遅い。犬を地面にひれ伏させ自分たちは光の道を歩かせてくれるような、奇跡が自分の身に起こるとはどうしても信じられない。
爆発するような短い音がした。
犬たちが驚いたように飛び跳ねた。するともう一発音が響き渡って、山犬の一頭がその場に倒れた。
救いの神だ。希望が生まれた。近くで指笛の音がして、山犬たちが逃げて行った。倒れた一頭は足から血を流していたが、よろめきながら立ち上がり仲間についていった。
助かった。安堵と恐慌がごちゃごちゃになって頭を駆け巡る。腹の痛みが増した気がした。翠瑠の髪を撫でていると、まだ生きている実感が湧いた。
誰かが歩いてくる。
身構える体力はない。地面に尻をついたその体勢のままで迎える。やってきたのは、意外にも女だった。
彼女の手にあるのは、西洋式の鉄砲だ。筒からまだ煙が出ている。二発で山犬を追い払ってくれたらしい。女は訓と翠瑠を見て、目を瞠った。それから鉄砲をゆっくり地面に置き、訓たちに駆け寄った。
「怪我をしているのですね」
緊急事態にしては落ち着いた、小さな声で彼女は聞いた。答えを待たず、懐から手ぬぐいを取り出し、傷に当ててくれた。
「待っていて下さい。社(ベトナムの村落単位)の人たちを呼んできますから」
白い手ぬぐいがみるみるうちに赤く染まっていくのをぼんやりと眺めながら、訓はうなずいた。意識を失ったのはそれから間もなくのことだった。




