2(阮訓という男)
さて、長い物語が始まる前に。明命十一年、大南国阮朝(隣の大帝国清はこの国を越南と、西洋の国々はコーチシナと呼ぶ)の南の片隅でひっそりと生きるこの男の素性を、明らかにしておかなければならない。
貴方の名は? と尋ねたのが大南人であれば、彼はまず阮訓と答えるであろう。阮という姓はこの阮朝の世に溢れている。しかし、質問をした大南人は十中八九、首を傾げる。阮訓の返答に対する不満の表情を浮かべたまま、相手の目は訓の顔を不作法に眺め回す。そして、勇気と無遠慮さを兼ね備えた人間なら、再び訓に尋ねることになるだろう。
「何故西洋人なのに、我が国の名前を名乗っているのですか?」と。
訓は、フランスという遥か西の国からやってきた父親と、大南人の母親の間に生まれた。訓が八歳の時に死んだ父親の遺した証は、他でもない訓の顔に、そして近代的帝国としての道にようやく慣れてきたばかりの阮朝の歴史に、深く刻みつけられている。
訓の容姿は、周囲から明らかに浮き上がっていた。二重瞼の大きな瞳を覗き込めば、明るい空色であることに誰もが気づく。毛先のはねた髪の毛は本当は明るい茶色だが、訓は普段から染料で黒く見せかけている。また、真っ直ぐに顔の中心に通った鼻が彼の顔の凹凸の深さを際立たせていた。
彼の父親はキリスト教の宣教師、それも大南の南半分を管轄とするコーチシナ代牧区の代牧司教 であった。母親もまたキリスト教徒だった。そのため、訓は生まれ落ちた時からキリスト教に取り囲まれていた。
幼い頃から、訓はまともに大南人として扱われたことがない。教師役を務めたフランス人宣教師たちは、大南人キリスト教徒と訓を常に区別した。字喃 よりもフランス語やラテン語を厳しく教え込み、定められた公教要理の更に先まで密かに伝授した。いずれ彼が歩むことになる神の道への期待をことあるごとに示した。訓は聡明な少年であったので、苦もなく膨大な神学の知識を吸収した。
彼は、成人する前に、見習いからカテキスタ に昇進した。非西洋人としては異例の早さだ。若き司祭候補として東西トンキン代牧区の司祭との研究会にも参加した。そこでもやはり父親の名前は誰もが知っていた。
しかし、トンキンの司祭たちは口を揃え、父のことを非難した。それを聞いた訓がどう思っているかなどはお構いなしだ。宣教師失格。世俗に塗れた武器商人。現地人に肩入れした愚かな男。
そうした悪口を聞いた時の訓の衝撃は大きかった。訓の周りの司祭も信者も、皆父を救世主と尊敬していた。だからこそ親なし子となった訓を大事に育て、また未来の聖職者として期待をかけたのだ。
だが、大南の北半分での評価は全く異なっていた。
火の粉は訓自身にも降りかかってきた。昔から司祭たちが自分を見るときの微妙な表情には気がついていたが、その真の意味を知ったのはトンキンでの会合があってからだ。
聖職者は、本来女と結ばれることはない。生涯清い身であるのが不文律、いや神職としての最低条件とさえ言ってしまっていい。だというのに父親は訓を作ってしまった。それがいかに戒律破りか、よく知らないいけすかない司祭たちが教えてくれた。
そこで訓の意欲は途切れてしまった。
司教や代牧になろうという出世欲や、聖職者としての熱意は今ではさっぱりだ。まだ見ぬ父の母国や、カトリックの総本山ローマに行きたいという願望すら湧かない。ただ、自分の体に染み付くほど覚えさせられた技術が説教と祈りだけであったから、辛うじてキリスト教徒の道には留まっている。生きる術をこれしか知らないものだから。
別に、今までも、そして現在でも、漁師や商人として生きることは出来ただろう。習い覚えた異国語を発揮して、沿岸にやってくる西洋人の案内役を務めるのも悪くない。病を患ってはいないしとりたてひ弱でもないから、力仕事だって苦にもならない。しかし、新しい生業を探すつもりはなかった。
訓が向上心を見せずにだらだらとこの歳まで教会に居座り続けていることに対して、怠惰さ故だと批判する者は少なくない。大南人カテキスタの多くは、幼少期から目の当たりにしてきた訓への特別待遇を許せないがために、また、多くのフランス人司祭は、期待を裏切られた失望から、訓を嫌っていた。すり潰した辛子のようにひりひりとした嫌悪は、日頃は陰口として、時にはあからさまな無視や罠となって訓に向けられた。司教からの重要な連絡が訓まで行き渡らず指示を無視した形になったのは、一度や二度のことではない。
しかし、それでも訓は信仰の道に留まっている。
自分の力でどうにもならないことには拘らない、そう彼は何度も自分に言い聞かせていた。元々、悪いのは司教でありながら女を作った父だし、それを背信行為と知りながらこれまで自分をちやほやした司祭たちも悪い。自分はただ母の腹から生まれ、命じられるままにキリスト教界の中に入っていっただけ。常に勤勉であろうと努力していたし、規律はよく守った。それでも自分のことが気に食わないと言うのなら仕方がない。他人の感情を操ることが出来るのは神だけだ。
ただし、人付き合いは大分嫌いになった。聖職者の端くれとしては由々しき事態かもしれない。必要のない会話を同僚や信徒とするのは苦痛だ。他人の葛藤に対して真剣に同情できない。こうして一人、家にいる時が一番安らげる。
いや、違うな__一合分の米を洗いながら訓は思った。一番は別にある。そのことを考えると、乾いた唇に笑みが自然に浮かんだ。俺にとっての喜びは……。
大きな音が訓を脅かした。
一瞬身構えた後に、誰かが戸を叩いているのだと気がつく。恐れより興味より先に苛立ちが込み上げた。一体誰が、安息を妨げているのか。
立ち上がり、たてつけの悪い戸を力任せに引いた。ぬっと立ち尽くす背の高い少年と顔を突き合わせ、思わずのけぞった。
「お前か!」
少年はおかしそうにくすりと笑った。
「僕でした」
丸い瞳を瞬かせ、鼻を動かす少年。
「ちょうどご飯時だったみたいですね!」
「何がちょうどだ? お前にはやらんぞ」
「そう言わないでくださいよ。せっかく、ご飯を抜かして会いに来たのに」
芝居がかった仕草で腹に手を当てる彼の様子を白い目で眺め、訓はやれやれと溜息をついた。
「それで、今日の献立は?」
いけ図々しく尋ねてくるので、ゆっくりと答えた。
「蛙の青草蒸しに、蝸牛の串焼き」
「そんな……」
この少年は、苦い草と蛙や蝸牛の類がなによりも嫌いなのだ。
露骨にしょんぼりしたのを見て、笑ってしまった。
「嘘だよ。今から川魚を焼く。そんなに喰いたきゃ火の番をしろ」
途端に元気になる。
「はい!」
少年はいそいそと訓から魚を受け取り、開いた口から木の枝を突き刺した。たまたまだが魚は二尾ある。一人では持て余してしまう量だったのは確かだ。
「さっき、アンヌが泣いてたんです」
少年が灰をかき混ぜながら話す。
「お前が泣かした?」
「やだな、違いますよぉ。あいつが好きな男がフランスに行っちまうんですって」
アンヌといっても、彼女は大南人だ。ただ洗礼名が「アンヌ」で、司祭も彼女の家族友達もそう呼んだ。彼女もまた、訓のよく知る娘である。
「そいつの名前を当ててやろうか。嘉定 から来たカテキスタの明だろう?」
「御慧眼ですね。そう、あの明先生ですよ」
「アンヌも面喰いだな……」
明という青年はフランス語にも堪能で、引き締まった体つきに端正な顔立ちというので女信徒からかなりの人気を集めている。カテキスタという身分でありながら代牧司教に厚い期待をかけられ、近い内に帰国する司祭たちに同行して海を渡ると専らの噂である。
「フランス行きがついに決まったのか」
「ええ。でもあいつ、舌がよく回るだけで頭は空っぽですよ」
少年は口をとがらせた。
「司祭に必要なものはよく回る舌だけだ」
「女の子にばかり優しくて、僕らのことは無視してるし」
「お前たちが避けているだけじゃないのか?」
「訓先生みたいに物知りな方の方が、よっぽどフランス留学にふさわしいのに!」
「ピエトロ」
訓はぴしゃりと少年の文句を斬った。
「お前は明を貶しにここに来たのか? だったら話はお終いだ。帰りな」
「違います……僕はただ、」
「少なくとも、俺を引き合いに出してほしくはないな」
ピエトロは眉を下げ、それから深く頷いた。軽率ではあるが、素直なところが彼の長所だ。
「分かったならいい。さあ、もう焼き上がる頃だな」
「あっ」
「次は何だ?」
香ばしい煙を上げる焼き立ての魚を握りしめ、ピエトロは忙しなく足を踏みかえる。
「すっかり忘れてました。先生にお客様です」
訓は呆れて少年の顔を見つめた。それを最初に言え。しかし、彼自身が不甲斐なさに狼狽えているようなので叱りつけるのはやめた。
「……どこに?」
「玄関の前です……」
ピエトロは訓のしかめ面に気づくと、飛び上がって客人とやらを呼びに行った。
少年が連れてきたのは、背の高い西洋人だ。その彫りの深い顔立ちと明るい髪色を見て、訓は思わず息を呑んだ。十中八九、宣教師だ。身に纏うのは訓たちと同じ粗末な着物だが、黒い法衣を羽織り、銀のロザリオをこれ見よがしに胸元に揺らしていた。顔に覚えはない。歳は自分とそう変わらないくらいではないかと思った。
ピエトロに向かって、男は早口で文句を言っていた。フランス語だ。ピエトロには半分も分からないだろう。宣教師の癖に現地の言葉で話そうとしない傲慢さが鼻につく。
きつい言葉で責められてしょげるピエトロを見るのは良い気がしない。
「ご機嫌よう、猊下?」
フランス語で話しかけると、男は一瞬口をつぐんで訓を見た。
「貴方とは初めましてでしょうね。学校でも礼拝でもお会いしたことがないから」
男は答えない。発音に難があるのかと自信がなくなる。訓の周りのフランス人司祭は大抵、大越語とフランス語の入り混じった独特の話し方をする。きっと本国で通用しないであろう。
「私の名前は阮訓。洗礼名はジョルジュです。こいつはピエトロ。随分ご無礼をしたようですが」
少年が慌てて頭を下げた。そこでやっと男が口を開く。
「……言葉」
「何です?」
「ここまで通じないとは思わなかった」
大越の言葉とフランス語は文法や文字の形からして全く違う。言葉の壁にぶつかるのは極東宣教のお約束ともいえる。大南に関しては、かのアレクサンドル・ド・ロード のおかげで、いささか勉強はしやすいはずだが。
男は促されるままにゴザの上に腰を下ろし、深いため息をついた。背後のピエトロが魚や飯をちらちらと窺う。だが残念なことにしばらくおあずけだ。
「貴方はフランス人に見えるが……?」
「半分は、そうです」
「ほう」
男はちょっと眉を上げた。
「だったら、早いとここの国を逃げ出した方がいいかもしれない」
「それはまたどうして?」
ピエトロが淹れた茶を啜り、彼は言った。
「ここ、このコーチシナで反乱が起きるかもしれぬそうだ」
彼の話はこうだ。
昨年、コーチシナを治める嘉定城総鎮、黎文悦が病死した。彼の義理の息子である黎文懷がその地位を継ぐはずだったが、そこに皇帝が横槍を入れた。コーチシナ全域を文懷から取り上げ、嘉定を中央の直轄地とする意向を表明したのである。当然文懷は反発する。
時の皇帝、即位してもう十年になる明命帝は、生前の黎文悦と折り合いが悪かった。明命帝は儒教を重んじる典型的な中華かぶれの官吏型人物だ(と、宣教師は評価していた)。訓らキリスト教徒を毛嫌いし、西洋人を宮廷からわざと遠ざけていた。一方、黎文悦はキリスト教と非常に親密であった。彼自身も信徒であるばかりでなく、司祭を家臣に多く登用し、フランス人との交易に積極的に取り組んだ。
明命帝と黎文悦の対照的な姿勢が何に__いや、誰に起因するのか、訓はよく知っていた。目の前の新顔の宣教師にわざわざ教えられなくても。
宣教師はアンリ・マルシャンと名乗った。生まれ育ったのはパリ。十代のうちにパリ外国宣教会 に入会し、以来ずっと世界各地を宣教のために飛び回り、三十代半ばで司教に任じられた。今の年齢は四十二。数日前にコーチシナに降り立つまではマカオで布教活動に従事していた。訓は知らなかったが、彼は宣教師の間ではかなり有名な存在であった。次期代牧とも目されている(それをアンリは自分で言った!)。
エリートだ……と話を聞きながら訓はぼんやり考える。自分とは正反対の順調な人生。マルシャンの話し方や何気ない仕草、人の胸を射抜くような鮮烈な光を宿す青い瞳は、揺るぎない自信を否が応でも感じさせた。
まず、言葉選びに躊躇がない。淀みなく、はきはきとした口調で、常に会話の主導権を握っている。気づけば訓もピエトロも相槌を打ってばかりだ。それから、大振りでもないのに相手の目を奪う滑らかな手つきで十字を切る。
マルシャンはずっとフランス語で喋っている。ピエトロがいると言うのに。キリスト教徒ならばフランス語・ラテン語くらいは習得しているだろうと買い被っているのか、それともピエトロには聞かせたくない話なのか。
マルシャンは、訓にかなりの興味を示したようだった。
「生まれはどちらかな?」
「帰仁ですよ」
「いつからキリスト者の道に?」
「覚えていないほど前に」
そう言ってやると、彼はにっと笑った。
「感心、感心」
傍らでピエトロが驚いていた。
「先生は帰仁で生まれたんですか?」
「そうだよ。ここから相当遠いよな」
南北に長い大越の南端が嘉定だとすれば、帰仁は国のほとんど真ん中に位置する。蒸し暑い南コーチシナと比べていくらか過ごしやすい気候なのかもしれない。だが生憎訓は覚えていない。これが更に北に昇るとかつての鄭氏領に至り、河内や清化が見えてくる。紅河の向こうには想像もつかないほど強大な帝国が栄えていると聞く。
「私はその近くの順化 に行った。しかしそれが間違いだった」
マルシャンが端正な顔をしかめた。
「間違い、とは?」
「私が今ここにいるのは、都の愚かな官吏どもとあの新しい皇帝のせいだ」
話が見えない。訓はとっさに明後日の方向を向いた。面倒な話はごめんだと意思表示したつもりだった。
だが、そんなささやかな要求にマルシャンは気づかない。
「一ヶ月前、私は順化の宮殿に行った。だが……」
「ちょっと待って下さい」
訓はマルシャンを制止する。
「宮廷に? 招待されたのですか?」
「招かれはしない。せっかくこの自分が布教に来たのだから、挨拶はしておくべきだと思って門扉を叩いた」
「結果は?」
あの無礼者どもが! とマルシャンは嫌悪に満ちた息を吐き出す。
「話をする暇もなかった。身分と目的を通訳に伝えさせただけで、悪魔か何かのように叩き出されて」
当たり前だ。頭の中だけで呟く。
「明命帝はキリスト教がお嫌いなんですよ。ご存じのはずでしょう」
マルシャンがうめく。
「分かってはいた。しかし、ただの食わず嫌いとしか思えない。きちんと説明すれば儒学? などよりも素晴らしい教えだと知ってもらえるはずなのだ」
「もうとっくに、何人もの司祭が玉砕していますよ」
異教徒を説得し改宗させることが生業の宣教師が、明命帝との対話に挑まないはずがない。彼らの実を結ばない努力は訓の耳にもいくらか届いていた。マルシャンのように宮廷に乗り込もうとした司教や、信徒を動員して都の目立つ場所にキリスト像を建てた司祭がいる。医者を抱き込んで、治療に来た患者に洗礼を施し知らぬ間に信徒にしてしまうのはもはや珍しくも何ともない。多くのクレティアンテ では子供たちのために学校を開いているが、司祭が教えるのは専らキリスト神学やラテン語・フランス語だ。
同僚たちの熱意に今ひとつ乗れない訓には、明命帝の心証を想像するゆとりがあった。今やキリスト教は大南全土に勢力を広げ、確固たる組織図と活動形態を完成させつつある。町を歩くと、フランス語の聖歌を歌う子供の声を時々耳にする。復活祭やクリスマスだって定着した。例え宮殿に篭っていようとも、帝がキリスト教の活動を知らないはずがない。
キリスト教は所詮、異国の思想だ。姿形も話す言葉も全く違う人々が広め、伝染病のようにあらゆる国に広がった。多くの国の民は戸惑いつつもこの新しい教えを受け入れた。
ただ一心に祈るものこそが救われる。この世でただ一人の王が、死後の幸福を約束してくれる。富める者も貧しい者も平等に救われる。
なんて素晴らしい教えだろう。きっと、世界中で数えきれない人々が救われた。この世に生きている意味があるのだと、自信をつけてもらえたはずだ。キリスト教の最も大きな働きは、信徒のひたすら祈る生き方を肯定することだ。
だが、信徒でない者には__特に、信徒を虐げる“異教の”為政者にとっては、それは自分たちへの否定に過ぎない。
「とにかく、順化にはもう行かない方がいいでしょうね」
訓が言うと、マルシャンは悔しげに口を噛んだ。
「皇帝だの太閤だの、何故極東の王たちは道理が分からないんだ?」
キリスト教が必ずしも道理とは限らない。
「地道に布教していけばいいんですよ。神が下された試練だと思えば苦にもならないでしょう?」
「それはそうだ。しかし、私にはまるで悪魔が憑いているかのようだ」
ぽつりと呟いたマルシャンが、はっと顔をこわばらせた。訓は聞こえないふりをしてやった。
「しばらくコーチシナ代牧区に留まるのでしょうね。司祭を紹介しましょうか?」
マルシャンは首を振った。
「もう既に会ってきた。今日は君の顔が見たかったのだ」
「は?」
マルシャンはどこか恍惚とした表情で、
「ずっと憧れている司教がいた。あの方のお気持ちを理解したくてこのコーチシナにやって来たんだ。だが……そのお方はもうこの世にいない」
咄嗟に顔を逸らすと、こっそり魚にかぶりつくピエトロと目が合った。ピエトロは魚を咥えたまま首をすくめる。何だか可笑しくなった。だが、いつの間にか自分の分の魚まで消えていた。後で説教だ。
「何の話です?」
「とぼけないでくれ。代牧司教から全て聞いたよ。何故こんなジャングルの中に隠れている? 君の__」
不愉快な気分に襲われ、訓は下を向く。出来れば耳を塞いで家を飛び出してしまいたい。たとえ司祭に無礼と思われても。
誰よりも何よりも、父親の話をされることが一番嫌いだった。壮年に差し掛かった今でも、もうこの世にはいない父親に対してどう考えればいいか分からないから。
彼のことを英雄のように崇められるのも、神の道に背いた者として非難されるのも同様に居心地が悪い。だって、訓は真実を何一つ知らない。父の正体を。その事績を。
「君の父親は、アドラン司教。ピエール・ジョセフ・ジョルジュ・ピニョー・ド・ベーヌ猊下だ。そうだろう?」
阮朝…1802年、阮福暎(嘉隆帝)が西山党を打倒して創設した、ベトナム最後の王朝。(1802〜1945)
明命11年…西暦1830年。
代牧区…キリスト教がまだ根付いていない国に、宣教師たちが設けた管轄区制度。正式名称は使徒座代理区。当時のベトナムでは、ハノイを中心とする北部を東西トンキン代牧区、首都順化の周辺の中部をアンナン代牧区、南部をコーチシナ代牧区と区別されていた。各代牧区の最高責任者が代牧司教(使徒座代理区長)と呼ばれる高位の司祭であり、ローマ教皇に代わって宣教活動を裁治する権限を有した。
字喃…漢字をベトナムの民が独自に発展させた文字。
カテキスタ…司祭の補佐を務める聖職者。神学や文字を一般信徒に教えることもあった。日本でいう同宿。
嘉定…現在のホーチミン。ベトナム南部を統治する副王の拠点。