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12(怜の身の上話)

「……あれは、私の夫です」

 マリアが憤慨して叫んだ。

「あんな奴が!?」

「そうよ。五年前、私は確かにあの人と婚礼の儀を交わした。だから、縁を切ることができないのです」

 怜はゆっくりと顔を上げた。司祭や信徒を含め、教会の中にいる皆が彼女の身の上を知りたがっている。溜息を一つついて、か細い声で彼女は語り始めた。

「あの人は、私の従兄弟でもあります。年は二十ほど離れていたのですが、私が幼い頃から相当可愛がってくれて、稼いだお金で毎日私に贈り物をしていました。親族も彼の私への愛情には感心するばかりで、食事や寝る場所を一緒にしたいと彼が言いだしても、反対はしませんでした。学校に通う間以外はずっと彼の相手をしていました。彼はそれなりの年になっても嫁をとらず、私が成長するごとにますます熱烈に……私に執着するようになって」

 セシリアが顔をしかめた。

「彼は……私が友達と親しく語らうのが非常に気に入らないと言って、男も女も、私に近づくことを禁じました。私に話しかけてくれる子は拳で脅して追い払い……とうとう、学校で教えてくれる先生にまで言いがかりをつけるようになりました」

 その学校は、キリスト教徒が作ったのだと怜は言った。教師役を努めていた司祭は、怜の従兄弟に絡まれても、ずっと彼女には優しく接してくれていたのだと怜は涙を流す。

「私はそのことをずっと覚えていて……あの時の先生は、いつの間にかいなくなってしまったけれど、キリスト教徒の皆様なら、私の話を聞いてくれるのだと、それだけを心の支えに今まで生きてきたんです」

 二人の司祭の表情がつと柔らかくなった。教会の扉を閉め、内側から鍵をかけてくれた。

「私が十四になった日に、従兄弟と結婚することになりました。彼の父母は、四十を超えた息子がついに嫁をとると喜んでいました。私の両親は……私の他にも子どもが沢山いたので、手早く片づくなら大歓迎だと言いました。親族が私たちのために家を建ててくれて、婚礼のその夜からそこで暮らすことになりました」

 といっても、寝食を共に暮らすことは変わらない。人の目がなくなっただけだ。

「恐ろしい……思い返すだけで身の毛もよだつ日々が続きました。二ヶ月経って、とうとう私は着の身着のまま社を抜け出しました。林の中でのたれ死ぬつもりでしたが、夫はすぐに私を見つけ出しました。折檻の後、怯える私に、退屈な社に住むのが嫌だったのだろう。二人で都に行こうと告げました……」

 逃げ出すことに失敗したあの日を思い出す怜の目は真っ暗だった。

「順化に来ても、あの人の私への執着は変わりませんでした。いえ、もっとひどく干渉してくるようになったくらいです。一度逃げられたのが頭に残っていたからでしょう。順化で働き口を見つけた彼は、毎朝出かける前に私を柱に縛りつけ、昼食と夜以外は動けないようにしました……」

「とんでもない奴だ」

 ジャンが吐き捨てた。怜が弱々しく笑いかける。

「この頃になると、もはや逃れる術はないものと、諦めておりました。いつか彼の怒りが解けて、拘束を緩めてくれることだけを願いながら、彼の機嫌を取って生きていました。ですが……」

 あるとき、転機が訪れた。

「順化で暮らし始めて一年が過ぎようとした時です。彼が出かけて、私は縛られたまま呆然と時間が経つのを待っていたのですが、俄に外が騒がしくなって……数人の兵士が家に上がってきたのです」

 偶然、近所の家々を押し込み強盗が荒らし回ったのだという。

「彼らは私を見て、やはり強盗にやられたのだと勘違いして、解放してくれました。あの人が異変を察して帰ってくる様子もなかったので、私は再び逃げ出しました。多少知恵がついていたので、あの人が蓄えた金を持って」

 なるべく遠くへ。夫の魔の手が及ばぬ遙かな果てへ。北は駄目だ。嫌な思い出しかない故郷に近づいてしまう。__だったら、南へ行けばいい。密林が自分の逃げた後を隠してくれる。今度こそ逃げおおせよう。自由を掴むのだ。

 しかし、並みの道のりではなかった。

「この傷は、獣に襲われた時についたものです。命からがら逃げ出したものの、血が止まらなくて困りました」

 顔を指差して怜は言った。

「それに、親切な社に泊めてもらった時、またあの人が追いかけてきていることを知りました。憎しみの炎を燃やして社ごと燃やしてしまわんばかりに怒り狂った彼が、私の足取りを執念深く見つけ出していたのです」

「……そして、ようやく辿り着いたのが、ここだったのね」

 カトリーヌが静かに話を引き取った。


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