第5章 42
朝、受け取った雑炊の椀に毒が盛られていた。口に含んだ時の異常な味で気がついたものの。その日一日体の痺れが治らなかった。短刀で切りつけられたことも何度もある。腕や肩に傷が残った。歩いていると、樹上から岩を落とされたこともあった。いずれの時も、すぐに兵士が駆けつけてくれたが。
寝るときが最も恐ろしい。玉を盗まれないように、訓は毎晩寝場所を変え、しまいには夜に眠るのをやめた。代わりに昼間の短い時間に何度か休憩をとるのだが、人が近づくだけで目が覚めるようになった。
宣教師たちの通訳を免除されたのもこの頃からだ。戦局が停滞に入っていることにフランス人たちは不満なようで、フランス語の文句が教会の周辺を飛び交っていた。逃げ回っている訓は彼らの相手をしなくていい。不幸中の幸いだと呑気にも考えた。
大龍の心臓は、脈打ちのように明滅する時がある。気味悪いと感じながらも、訓はついそれに見入ってしまう。心臓が体内にないなんて、どれほど不気味で不安だろうと大龍を哀れに思うこともある。
明命十四年(1834年)三月四日、黎文懐の元に最新型の大砲が到着した。運んで来たのは、三人のフランス人と二十数人の文懐の部下である。
運びやすいように車輪をつけた重い砲台を、嘉定の港からはるばる引いてきた男たちは、歓迎の声を浴びて息をきらせながらにやりと笑った。
防御布を取り払うと、黒光りする砲筒が現れた。撫でてみた指が滑らかな鉄に吸いつくようだった。
「試し撃ちしますか?」
フランス人が通訳を介して文懐に問いかけた。
「いや、今はいい。弾を無駄遣いしたくはないからな」
だが、兵士たちは興味津々に集まっている。
「大砲の使い方を皆に教えてやってくれ。こいつを操るのはさぞかし楽しいだろうな」
兵士が、大南語でフランス人に尋ねると、軍人は笑顔を向けて答えた。通訳のカテキスタが慌てて口を開く。いつの間にかまた戻っていたマルシャンが、司祭たちと並んで見守っていた。
燈が文懐の側に来て囁いた。
「あれ一台に、どれほどの対価を払いましたか?」
「お前もよく分かっているだろう? 銀五十丁だ」
燈はうなずいたが、浮かない顔だ。
「言葉が通じない相手だと、どうもぼられている気がしてなりませぬ」
「そのために通訳がいるんだろ。お前の息子もなかなか優秀だったな」
燈が頭を下げる。抑えきれない喜びが、冷淡さを取り繕う顔の端々に浮かんでいた。
「フランスから、多くの収穫を持って帰ってくれることを期待しているよ」
「私もです」
カテキスタが文懐を呼んだ。これから砲丸を検分するらしい。砲台を取り巻く輪の中に入っていく文懐を見送った燈だが、ふと木々の間に注目した。
二人の男が、人の群れに背を向けて歩いていく。それだけなら普段は構わない。だが、一人はカテキスタの阮訓だった。
彼に課せられた役目のことは、燈もよく知っていた。武術の使い手でもなく知恵者にも見えないが、今の今まで生きているということはよほど強運の持ち主なのだろう。
連れの名は知らない。兵士の一人と思うが、顔見知りでないことが燈の警戒心に火をつけた。
部下に耳打ちし、燈はその場を離れた。




