第1章 Faux Mouvement
ベトナム史はすごく面白いです。皆さんもベトナム史に関する本を読んでみて下さい。
そのうち、後書きで単語の解説をしていこうかと思っています。
その日は馬鹿に肌寒かった。
常夏のコーチシナにしては珍しいことだ。雨季でもないのに空を暗い色の雲が覆い尽くし、べたべたとした湿気が肌にまとわりついていた。雨は天の恵みと言えようが、身も衣も濡れる不愉快さはどうしても慣れない。 濃い緑の光沢をもつ大きな草の葉を掻き分け、男は何かに急き立てられるようにして進んで行く。弾力のある草花はどれほど踏み倒してもすぐに身を起こし、獣道すら作らせてくれない。この先にあるささやかな茅葺きの家を完全に包み隠していた。
男はしかし、その環境をむしろ歓迎している。歩きにくい道、うっそうと茂り向こうまで見通せない木々のおかげで、彼の家に客人が訪れたことは滅多になかった。ひとたび帰宅すれば、有り余るほどの悩みを抱えた百姓の相談に乗ってやることも、侮蔑や警戒を露骨に顔に浮かべた同僚との会話に気を張り続けることもない。男には連れ合いも子もいないため、日が昇るまでのわずかな時間で自分のためだけに寛ぐことができた。
顔面に容赦なく襲いかかってくるショウブの葉を払い除け、いつの間にかこさえた足首の虫さされ跡をおざなりに掻きむしり、男はふと立ち止まった。静かだ。虫の羽音や風に植物がそよぐのを除けば、心地よい沈黙が辺り一帯に満ちていた。
後ろを振り向いても、人間どころか獣の気配すら感じられない。
誰もついてきていないことをしっかりと確認してから、ようやく彼はまた進むことが出来る。安堵が全身を駆け巡り、深いため息となって口から流れ出た。
今日も、一日を無事に終えることができた。
男は口の中で呟き、右手を素早く切った。
「主よ、感謝します」
この決まり文句を唱えた後に、きまり悪さと少しばかりの苦さを感じるのは、毎日のことだった。
コーチシナ…ベトナム南部を指す呼称。宣教師らヨーロッパ人が用いた。ベトナム北部はトンキン、中部はアンナンと呼ばれた。